2人目:ある山の神の場合

「いたた…あれ、ここは…?」

布団の中で、私は鈍い体の痛みによって目を覚ました。

ゆっくり横たわっていた体を起こしあげてあたりを見渡すも、

部屋には誰もいなかった。


「おーい、誰か。誰かいないのか。」

そう声を出してみると、即座に近くの障子が引き開けられた。

「ああ、山神様。目覚められたのですね。」

そこにはきちんと身なりを整えた老人が正座していた。

「体が痛んで目が覚めてしまってな…って待てよ。今何と?」

「目覚められたのですね、と申し上げました。」

「では無くその前だ、私のことを何と?」

「山神様と申し上げました。山の神様なのですから、そう呼ぶのが適切かと。」

「待て待て、何だそれは。私が山の神だと?」

「なんと、ははぁ、そうでしたか。やはり崖から落ちた衝撃で…」

老人は悪い予感が的中したと言わんばかりの渋い顔で頷いた。


「一人で納得せず、私にもわかるように説明してくれ。」

「いやはや、失礼致しました。

では、まずあなたがどこまでご自身について覚えているかを確認しましょう。」

「それくらいは覚えておる。旅を続ける狩人だ。

これまで、自慢の弓と小刀をひっさげて多くの獲物を狩ってきた。」

「では、なぜこの村に?」

「それはもちろん…新しい獲物を狩りに…獣の噂を聞いて…

ってあれ、なんだったかな。」

「では昨日ご自身が狩られた獲物も覚えていらっしゃらない?」

「なんと、私は昨日狩りに出ていたのか。」

「ははぁ、それでは村に来て以降の記憶が曖昧ということですな。」

「本当だ。この村で私の身にはいったい何が起こったんだ。」

「では私の知りうる限りの範囲ではありますがお教えしましょう。」

老人はことの経緯を説明し始めた。


「まず、この村は古くから、近くの山に住む獣の長に悩まされておりました。

その獣の長はどの獣よりも大きく凶暴で、それでいて人の如く賢い。

村の人間がどんな罠を張っても、どんな狩人を送りこんても、

全てお見通しと言った具合でひらりとかわしてしまうのです。」

「なんだと、それでは村はすぐに壊滅するのでは。」

「ええ、そうなんです、そこなんですよ。

万策尽きた我々は、

とうとう山に生贄を捧げようかという話までし始めた時にですよ。

獣の噂を聞きつけたあなた様がこの村に現れ、

颯爽と山の中へと消えてゆかれたのです。」

「そしてどうなったんだ?」

「山の中から、地面が揺れるほどの咆哮が聞こえてまえりました。

絶叫にも似たその声のした方へ向かいますと、

返り血にまみれたあなた様が崖の下で倒れておりました。

おそらく獣を倒した後に高いところから落ちたのかと。」

「なるほど…」


私は、話を聞いているうちにだんだんと記憶を取り戻しつつあった。

しかし、一つだけ思い出せないものもあった。

「して、その獣の見た目だが、どのようなものなのだ?」

「実は私を含め村の人間は、皆はっきりとは見たことがありません。

それを見た数人の伝承によって語り継がれていることには、

何でも四つん這いで動き回る、それは恐ろしい歪な異形の姿をしているとのことで。

その禍々しさから巷では祟り神とも呼ばれておりました。」

「その祟り神を狩ったから私が山の神と呼ばれているのか。」

「左様でございます。

しかし、自ら祟り神を仕留めたあなた様が姿を覚えてらっしゃらないとは。」

「ううん、ぼんやり闇の中に赤い目が浮かんでいたくらいしか覚えてなくてな…」

「まぁ、何にせよあれほどの化物を倒されたのです。

祟りが出てはと心配でしたが、記憶が二、三飛んだ程度で何よりです。」


その晩、老人を始め村中の人から感謝の礼と手厚いもてなしを受けた私は、

村の中で一番立派な建物で寝泊りすることとなった。

祝宴での酔いもまわり、気持ちよく寝ていたものの、私は突然目が覚めた。


「なんだ、身体中が…痒いぞ。」

全身に強烈な痒みがはしった私は布団から飛び起き、枕元の灯で確認すると、

身体中から、猪のような硬い毛が生え始めていた。

加えて、次の瞬間、背骨のあたりが立っていられないほど急激に痛み始めた。

思わず獣のように四つん這いになってしまった私は再び痛みで叫び声をあげる。


すると、その声を聞きつけたのか、誰かが駆けつけてくるのが聞こえた。

四つん這いのまま建物を飛び出した私は、山の奥へと走った。

その最中も、骨が皮膚を破って出てくるのではと思うほど、

うねりながら形を変えているのがわかった。

私は理性を失いかけるほどの痛みに苦しんだ。


そうして、いつの間にか真っ赤に充血していた私の目は、山の暗闇に適し始め、

大きく肥大化した耳と鼻は獣のように野生の感覚を研ぎ澄まさせた。

私は既に自分が異形の祟り神になってしまったことに気づくと、

悲しみと苦しみの混ざった叫び声を上げた。

しかし、それもおぞましい咆哮として、夜の山にこだまするだけであった。


あたりを見回すと、いつの間にか集まっていた獣たちが、

新たな長に敬意を示すかのように、そろってこうべを垂れていた。

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