記憶喪失からはじまる物語(ショートショート集)

秋内夕介

1人目:ある研究室で目覚めた者の場合

「あれ…私はここでいったい何を…」

そこら中に実験用具の散乱している研究室の中で、私は目を覚ました。


「なんだか視界が定まらないな…頭もぼうっとする。」

冴えない頭を賢明に働かせて、私はあたりを見回した。

足元にはスパナなどの工具が落ちており、ろくに掃除もされていない様子だ。

そして部屋の奥には大きな姿見が置いてあった。

私は思わず鏡の中を覗き込む。


「白衣を着ている…しかも随分と生地がくたびれているな。

ろくにクリーニングにも出していないな。」

私は手がかりを求めて、無意識に白衣の中のポケットに手を突っ込んだ。

すると、中には鉄のボルトや使えなくなった電子基板のかけらが入っていた。

私はそれらを手の上に載せ、じゃらじゃらと揺らしてみた。

すると、それらの音が刺激となり、

次第に私の頭の中で一つ考えが浮かんできた。


「そうか、私はこの研究室で長いこと研究に没頭していたんだ。

このくたびれた白衣に、散らばったパーツ類…きっとそうだ。」

徐々に手がかりのかけらが繋がり合い、私を一つの推論へと導いていく。

だが、一方でぼんやりとした推論が形になっていくたびに、

新たな疑問も浮かび上がってくる。


「しかし、何故私はこれまでの記憶が無いんだ。」

私は次の手がかりを求めて、デスクの上に置いてあった研究ノートを手に取った。

研究ノートには研究の備忘録が事細かに記されていた。

「どうやら私は几帳面であると同時に、忘れっぽい性分だったようだ。」

私は研究ノートを読み進めていった。


「油圧式のアーム駆動に、人工知能の構築設計…そうか。

私は人工ロボットの研究に打ち込んで…」

そう読み進めていると、私はある異変に気付いた。

「このノート、何か赤いシミのようなものがついているぞ…」

よく見るとノートの所々に、血痕のような赤い液が垂れている。

一番赤いシミが大きくついているページを見ると、

そこには研究が完成し、いよいよロボットの試験起動をするとの記述が。

つまり、このページを書き終えた後に、

何者かがノートに赤いシミを残したと言うことだ。


「まさか…私はこのページを書き、ロボットの起動を行った後に、

何かのトラブルでそのロボットに襲われて、

血を流した挙句ショックで記憶を失ったでは…」

突如頭に浮かんだ恐ろしい仮説を前に私は得体の知れない危機感を感じた。

すると、次の瞬間。

部屋のドアの向こう側、廊下の奥から誰かの足音が聞こえてきた。


「私を襲って研究所を飛び出したロボットが帰ってきたのか、大変だ。」

私は助けを求めるようにノートの備忘録を読んだ。

「試作ロボットは非常に知能が高く、力も強い。

何かトラブルが発生し、暴力的になった場合は

躊躇せず直ちに破壊…と書いてあるな。」

私は迫りくる危機を前に、どうしていいか悩んでいたがついに覚悟を決め、

足元に落ちていたスパナを手に取った。

「よし、躊躇なくやってやる。なんたってこっちはついに記憶を取り戻したんだ。

同じ過ちを繰り返してたまるものか…

ドアが開いた瞬間にこっちが先手を打ってやる。」


一方、廊下に響く足音の主は呑気に鼻歌を歌っていた。

「いやぁ、ようやく長いこと打ち込んでいた研究もひと段落だ。」

研究室の主人である老いたロボット工学の博士は、千鳥足で部屋に戻る。

「完成記念に年代物のワインまで開けてしまったが、ちと飲みすぎてしまった。

大事な備忘録のノートにこぼして赤いシミまで作ってしまいもう散々だ。

だがまぁいい。戻る頃にはロボットの起動も完了していることだろう。」

ロボット博士は手に持っている男性物の服に目をやる。

「とりあえず起動した暁にはちゃんとした洋服を着せてやらないとな。

私のお古の白衣のままではいくらなんでもかわいそうだからな…」


上機嫌に笑う博士は、起動したロボットに挨拶するため、

研究室のドアに手をかけた。

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