第1話 家庭訪問
家庭訪問の告知を受けしばらく、翌週になって月曜日。
いよいよ池野崎先生による家庭訪問の日がやってきた。
昨日はバイトを休みにしてもらい部屋の掃除に費やしたし、今日は学校からの帰り道でお茶菓子の購入も済ませた。
まぁ家族がいないとわかれば、家に上がらず玄関で軽く話して終わりってのもありそうだけど。
それでも準備しておいて悪いことはないはず多分。
一通りの準備を済ませ時計を見てみると時刻は17時を回っていた。
順番的には今日の最後なので、もうそろそろといったところか。
別に緊張する必要なんてないとは思う。
ただ、やはり自分の生活する場所に教師、それもあの池野崎先生が来ると思うと少しばかりそわそわとしてしまうわけで。
時計を見やりながら落ち着かない気持ちでいるとついにその時は来た。
インターホンが鳴って出てみると、画面には池野崎先生の姿があった。
画面に映った先生は手で髪を整えている。
「はい」
『湯野川高校教師で
「あ、どうも伊佐敷です。お疲れ様です。今開けますんで」
扉を開けると、いつもの学校にいるときよりも少しだけ露出を抑えたスーツ姿の池野崎先生が立っていた。
「どうぞ上がっちゃってください」
「お邪魔します」
そのままリビングまで案内してソファーに座るよう促し、お茶菓子を用意する。
出迎えたのが俺だけだったのを不思議に思ったのか、先生はきょろきょろと部屋を見渡していた。
「お茶どうぞ」
「ん、ありがと。ところで伊佐敷くん、ご両親は?」
出したお茶をこくりと一口飲むと気になってるであろうことを尋ねてくる。
「あ、あー……実はですね。なんて言いますか、俺一人暮らしなんですよね」
「え? そうなの?」
「はい、そうなんですよ」
「それならそうと言ってくれれば良かったのに」
先生は「はぁ」と軽くため息を吐くと、行儀の良い姿勢を崩してテーブルに置いてあった菓子を口に含んだ。
「この前言ったわよね? 都合悪かったりしたら教えてねって」
「ですね。ただ日程とかのせいじゃなかったので……」
言うと、先生が手招いたので近づいてみる。
するとニコッと微笑み、「ん」っと頭を差し出すように促される。
これは学校でも時折り見る光景なのですぐわかった。コツンと先生の握った拳が俺の頭を軽く叩く。
池野崎先生は怒ると、たまにげんこつ(弱)をするのだ。
ただぶっちゃけ痛くない。
なんなら一部の男子生徒たちは、先生の方から自分に触れてくれるということでわざと怒られたりするらしい。アホだ。
「ちゃんと言っておけば良かったですよね。すみませんでした」
「反省してるなら良いんだけどね……。これからはこういうことはちゃんと先に言うのよ? 報連相って大事なんだから」
「うす」
「うん、よろしい」
先生は頷くと、ソファーから立ち上がって「うーん」と軽く伸びをした。
たぶん家族がいないとわかったので帰るのだろう。
元々家庭訪問といえば生徒の両親と話したりするのがメインだろうし。
そう思い、玄関まで送ろうと俺も同じく立ち上がる。
すると逆に先生は、ぽすんとまたソファーに座ったのだった。
「さて、じゃあちゃちゃっと終わらせちゃおっか」
「と、言いますと?」
はて? なにをだろうか。と言ってもこの場合は一つしかないか。
「家庭訪問よ。そのために来たんだからね」
「まぁですよね」
「本当は伊佐敷くんの御両親と、伊佐敷くんの学校生活でのこととか成績とか話そうと思ってたわけだけど」
「いないですね」
「そうなのよねー……どうしよっか」
うーんと足を組み、顎に手をやって先生は考え込む仕草をした。
その姿が結構様になっていて思わず見てしまう。
「ん? どうかした?」
「あ、いえ」
「そ?」
「てかあれですよ。両親いないことですし、遅くなるのも悪いので終わりでいいんじゃないですかね?」
どうも自分の家に教師と二人きりというこの状況は落ち着かない。
先生にも悪いし、俺としてはもう終わりでいいんだけれど。
「別に気にしなくていいのよ。私の家、ここのすぐ近くだから」
「え、そうなんですか?」
これには驚きだ。
この辺は学校から結構離れているので、家の近くでうちの生徒を見かけたことがなかった。
教師ではあるがご近所に学校関係者が住んでいたとは。
「そうよ。だから今日はここが終わったらこのまま直帰ってわけ。そうね、ここからだと、んー……ベランダから見えるんじゃないかしら?」
「へー、そうだったんですね」
ベランダへ向かい窓を開け景色を眺めてみる。
3階のここから見える景色の中に先生の家があるのか。
わりとっていうか本当に近いんだな。
「それにしても伊佐敷くん、高校生の一人暮らしの割には良いお家に住んでるわよね。ここって1LDK?」
「1LDKですね。うちの人の知り合いが管理してるらしくて、それで安く貸してくれてるんすよ」
「ふーん。そうなのね。……生意気」
「え?」
「いやいや、なんでもないわよ」
「そうですか?」
なんかひどいこと言われた気がしたんだが……。
ただ、最後の方が小声だったせいでうまく聞き取れなかった。
「そんなことより、学校の話をしましょうか」
「はぁ、学校の話ですか?」
「そうそう、ほらほら座った座った」
池野崎先生に促され対面に座ると、先生が真面目な表情に切り替わった。
世間話しか話してなかったしここからが本番なのだろうか。
「それじゃさっそくと。まずは成績かしらね?」
「はぁ」
「一年生のころから成績は優秀みたいね。特にこれと言って苦手な科目があるわけでもないと……うん、偉い偉い」
「ありがとうございます」
「授業態度も私の見る限りでは真面目にしてるし、期末考査も頑張るようにね?」
「まぁその辺は頑張りますよ」
俺は無理を言って実家から遠い学校に通い、一人暮らしさせてもらってる。
そんな俺の成績が悪いとなれば、実家に強制送還なんてことも十分にありえる。
だから成績だけはしっかり保っておく必要があるのだ。
「特に成績関係は問題なさそうね。それじゃ学校生活かな」
「学校生活ですか」
「ぶっちゃけ伊佐敷くんって友達とかいるの?」
「え?」
あれ? もしかして俺ボッチとか思われてる?
「いや、それなりにいると思いますけど……」
「あ、そうなの? いつも一人で帰ってるみたいだったし、学校でもおとなしいほうだから私てっきり」
「確かに、あんまうるさいのとか好きじゃないですし、バイトがあったりで一人で帰ることが多いですけど……。仲いいやつはそれなりにいますよ、たぶん」
「それならいいんだけどね? だめよ? 成績が優秀でも一度きりの高校生活なんだから青春を謳歌しなきゃ。高校時代に寂しい生活をしてるとね、大人になってこう、高校生活を思い出したりしたときに切なくなるわけよ」
自分の言葉に一人頷きながら俺に言い聞かせるように話す先生。そのあと外を眺める先生の瞳は少しだけ悲しげだった。
何かそういう経験があるのだろうか。聞くと怒られそうだからそっとしとこ。
「彼女とかいないの? こんな良いところに一人暮らししてるんだから連れ込み放題じゃない」
「彼女とかいないですし。というか教師がそういうこと言って大丈夫なんですか」
教師がそんなこと言っちゃいかんでしょ。
まぁこういうところが生徒から親しみやすいと言われる所以なのかもしれんけど。
「別にここは学校じゃないからね。せっかくの家庭訪問なんだし、普段学校では話せないことを話しておくのも大事じゃない?」
「そういうもんですかね?」
「そういうもんなのよ」
なんか強引にいい話風にされてる気がするんだが……。
別に学校生活に不満があるわけじゃないし、それなりに満足してるんだけどなぁ。
他人から見たらボッチで寂しいやつに見えるのだろうか。
「ま、そういうわけだから学業だけじゃなくて学園生活もしっかり楽しむこと。先生との約束ね」
「まぁはい。善処します」
「それじゃ、ほい」
言うと、先生が自分の小指を立てて俺に向けてくる。
「なんです?」
「指切りよ、指切り。先生とのお約束ってやつ?」
「え……しなきゃだめですか?」
「なによー、嫌なの?」
嫌というか。高校生にもなって指切りとは。つうか、指切りとはいえ女性と触れ合うとかあんまり経験ないしちょっと難易度高いんだけど。
「ほれほれ」
「ぐっ、わかりましたよ」
はよはよと、半ば強引に先生と指切りさせられる。
先生と俺の小指が絡み合う。なにこれ指めっちゃ柔らかい。同じ人間か? てかマジで俺は何をさせられてるんですかね。
「ふふん。指切りげんまん嘘ついたら針千本の~ます」
指切りを終え、なぜか満足げな先生。
これ先生の思う学園生活しないとめんどくさそうだしほどほどに青春謳歌してますアピールしなきゃなぁ……。
「言いたいことはこれくらいかなぁ。伊佐敷くんからは何かある? 困ってることとか、相談だったり何かあればせっかくだし」
「んー、特にはないですかね。困ってることというなら強いて言えば、今の約束くらいです」
「そ、じゃあ特にはないということで。今日はこの辺にしておこうか」
「スルーですかそうですか」
聞かれたからちゃんと答えたというのに、俺の発言は華麗にスルーされた。大人ってずるい。
それから帰り支度を済ませた先生を玄関まで見送る。
「先生、今日はありがとうございました」
「ん、私も教え子とゆっくり話せて楽しかったわよ。お茶菓子ご馳走様。家庭訪問はないと思うけど三者面談とかあるかもしれないから今回のようなことはないようにね?」
ビシッと指をさされ注意される。
確かに今回みたいなことは先生にも迷惑をかけるし、今後は家族にも報告しよう。
「気をつけます……」
「それじゃ、また明日学校でね」
「はい、お疲れさまでした」
挨拶を済ませ先生を見送り自室に戻る。さっきまでこの部屋で人と話していたせいか、いつもよりも静かに感じた。
「はー……なんだか疲れたな」
精神的に疲れた気がしてさっきまで先生が座っていたソファーに倒れこむ。
いつもと違う心地よい香りがした気がした。
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