ドラマチック・ホリデー

藤田小春

短編

 少女が夕闇に染まった土手を退屈そうに歩いている。桜並木が続く河川敷の土手にいるのは彼女だけだ。少し伸びかけたアッシュグレーのショートカットに、鮮やかな黄色いタンクトップと食い倒れ人形のようなオーバーオールと言う奇抜な着こなしをしていて、幼い風貌にそぐわない赤いカラコンとごついシルバーアクセで彼女は常に人目を引いているが、当の本人は人の目など全く意に介していない。彼女の目に映るのは彼女の興味を引くものだけだ。

 彼女はこれから自分がまきこまれる破天荒なドラマを知らない。イアホンで外界の音を遮断して帰途に就く彼女は、土手がいつも以上の静寂に包まれている事さえも気付いていない。


 唯は見慣れた道をぼんやりと歩いていた。

 今日は、夏休みの課題を片付けようと思って珍しくやる気を出して大学の図書館に向かっていたのだ。けれども、昼ご飯を食べた直後に家を出たのが悪かった。思っていた以上にきつい日差しにうんざりして、学校に着いた頃にはすっかりやる気を失っていた。勿論課題が進んでいるはずもない。

 大体まだ7月なのになんでこんなに暑いのよ。いくら散歩が好きでも、日も暮れようって言う時間になっても蒸し暑さが体にまとわりついてきたら嫌になるってもんじゃない。まぁね、虫よけスプレーをし忘れたのに全然虫に刺されないのだけはラッキーだけどさ。でも、そんな小さい些細なラッキーなんて慰めにもならないっての。あーぁ。こんな事なら大人しく家でダラダラしとけばよかったわ。

 無表情の裏でどうでもいいことを毒づきながら歩いていた唯の進路を遮るかのように一枚の紙が落ちていた。そんなもの踏みつけて歩いてもよかったけれど、急いで家に帰ったところでご飯を作ることくらいしかやる事はない。少し興味をひかれて手にした紙には、中央に文字が一列だけシンプルに自己主張をしていた。


「今宵貴女の宝物を頂きに参上します   ボンバーヘッド・マニア」


 思わず感動してしまうアホらしさ。

 懐かしさを感じるくらいにパクリ要素に満ちた決まり文句。


 いつも冷静な唯も思わず表情を崩したが、頭の中を検索するまでもなく該当する情報は多数ヒットした。これはこんなふざけた文章ではあるが、今最も世間を騒がせている怪盗の犯行声明文である。あまりニュースや新聞に触れない唯でも知っているくらい有名な怪盗、それがボンバーヘッド・マニアだ。

 1年半ほど前に突如ヨーロッパに現れたボンバーヘッド・マニアは、馬鹿馬鹿しくも華やかな手口ですぐに時の人となった。活動拠点がヨーロッパにもかかわらず、日本でも連日報道されている事でもその注目度の高さが分かる。現代のアルセーヌ・ルパンとも呼ばれている彼の犯行は華麗にして派手。にて、アホ。まず、服装からしてアホだ。スリーピースの黒の細身のスーツにセルフレームの眼鏡と、何故かアフロを身に着け、胸元には必ず一輪の真紅の薔薇を忘れない。そして犯行前には「今宵貴殿の宝物を頂きに参上します」とどこかの漫画に影響されたかのような子供じみた犯行声明文を空からセスナでばら撒いては警察と犯行先とマスコミを煽っている。声明文は文面を変えて何度もばら撒かれ、その度に内容はだんだん具体的になっていくが、決して標的の名前が直接書かれることはない。そのくせ、警察が謎を解けずに現場に向かえなかった場合は、わざわざ犯行現場から警察に電話をかけて、自分の逃走経路を断つ演出をしてから標的を盗んで逃げるような真似をする。また、犯行後は必ずジャンクなお菓子と、アフロのヅラの一部と、次の標的のヒントを置いていくようだ。

 その官憲を小馬鹿にした態度と、逃走時に披露される実現が不可能だと思われている2次元の技やトリックの見事さから、市民からはリアルな娯楽として注目されていて、様々な噂も飛び交っている。

 かつては逃走の際にカメハメ波を出したから、今度はスタンドを背負うに違いない。彼は盗みそのものには興味がないだろう。盗んだ物を闇市場で換金しては寄付をしているのがその証拠だ。いやいや、換金したお金は次の犯行に向けて技を磨くために使っているのだろう。

 少し思い出しただけでも無責任な噂には事欠かない。また、3か月ほど前から、日本が犯行現場になることが多くなったため、警視庁ではつい最近ボンバーヘッド・マニア対策本部が発足した。しかし、威信をかけて右往左往する警察と比べるとそこら辺の子供たちは気楽なものだ。子供たちの間では空前のアフロブームが起きていて、アフロのカツラが手に入りにくくなっていることがちょっと困った事件らしいのだ。


 あたしにはただのマジックを履き違えた、子供じみた目立ちたがりの犯罪者にしか見えないけどさ。大体、漫画のような突飛で愉快な出来事は3次元では起こらないんだから、そう言う事は現実には持ち込まないで欲しいわ。仮に百歩、いや一万歩譲っても私の周りでは起こりっこないんだから。でも、子供が家に閉じこもらずに外で駆け回るのはいい事かもね。近所の子供たちがボンバーヘッド・マニアごっこに興じて、そのまま忘れて帰ってしまっただろう手の中の手紙をポケットにくしゃっと突っ込むと唯はまた歩き始めた。結構長い時間紙に気を取られていたのだろうか?赤く染まっていた空は濃紺の面積が広がっていた。あとは川の方から多少風が吹いてくれれば涼しくてちょうどいい。耳にはめていたイアホンを外して川の音を聞きながら歩いていたら、今度は気の上からさっきと同じくらいの大きさの紙がふってきた。掴めというかのような絶妙な速度でふわりと落ちてきた紙を右手で掴むと、そこにはさっきよりも更にふざけた文句が書いてあった。


「貴殿の宝物は私の宝物。私の宝物は何でしょう。  ボンバーヘッド・マニア」


 知るかーい。唯は心の中で激しく突っ込んだ。少し右手のスナップもきかせてしまいそうになったが、それはすんでのところで押しとどめた。そもそも唯はボンバーヘッド・マニアが好きではないのだ。むしろ大嫌いだといってもいい。唯の目の届かぬ場所で勝手に色々やらかすのはそれでいい。でも、唯の世界に非常識が介入してくるのは何としてでも阻止したかった。ドラマチックは唯の世界には必要ない。ドラマは2次元だけで十分で、日々の生活は平凡に送れればそれでいい。期待しても今まで何もそんなこと起こらなかったんだから、これだってあたしには関係のない事だ。きっとそうだ。邪魔な思考を振り払うかのように唯は早足で歩きだした。


 しかし、その反発心を逆撫でするかのように木の下を通るたびに唯をめがけて紙が次から次へと落ちてくる。頭上にのっかり、耳の傍をすり抜けて、目を塞いでくる紙も全て手で払いのけながら歩き続けた。それでも時に唯の視界に入ってくる紙には1枚1枚違う文章が一言ずつ綴られていた。


「私は紳士。紳士は女性を大切にするのが本懐  ボンバーヘッド・マニア」

「私の宝物は女性の幸福  ボンバーヘッド・マニア」

「貴女の大切な物を取り戻す  ボンバーヘッド・マニア」

「貴女に笑顔を届けに行く  ボンバーヘッド・マニア」

「貴女に笑顔とアフロヘアーを  ボンバーヘッド・マニア」

「そして貴女を攫っていく  ボンバーヘッド・マニア」


 鬱陶しくて仕方ないのに視界に入ってきた言葉が全部頭にこびりついて離れない。とうとう唯は家に向かって走り始めた。その瞬間、上から頭上を覆い尽くすくらいのたくさんの紙が降ってきて、視界は一面白く染まった。紙が全て落下してから上を見たら、低空飛行していたセスナが上昇していくのが見えた。思わず周りを見渡したけれど、やはり周りには誰もいない。唯もこの紙は自分宛のメッセージなのだと認めざるを得なくなった。足下に散らばる紙をそっと拾い上げたら、そこには一言書かれていた。


「貴女の宝物は貴女自身なんです  ボンバーヘッド・マニア」


 不思議と怖くなかった。

 気持ち悪いとも思わなかった。

 ないと思ってあきらめてたドラマを味わえただけで幸せだったから、何でこんな事が起きたのかなんて考えないで、この非日常を大事な思い出にしよう。そうだ。記念に紙を一枚持って帰るのは許してもらえるかな。唯は久し振りに心から笑いながら家路に着いた。それにしてもボンバーヘッド・マニアってどんな奴なんだろうか。ここまでやったんだったら、この後本当に攫いに来たら面白いのにな。いやいや、そうやって期待し過ぎるのがあたしの悪い癖じゃない。期待し過ぎてもドラマは起こらないでしょ。浮き足立ったりそれをなだめたりしながらアパートの階段を上って部屋のドアを開けたら、奥にあったのはいつも通りの暗い静寂な部屋だった。思った以上にがっかりしている自分にビックリしながら電気をつけたら、その瞬間にベランダの窓の方からパシュッと言う音が響いた。ベランダに急ぐと、そこにはアフロの毛が刺さった矢文もどきが吸い付いていた。アフロの中にちらりと見えた白い紙を見ようと手を入れた途端にインターホンが鳴り響いた。

 高鳴る胸の鼓動を止められないまま玄関のドアを開いたら、そこにはいつもニュースで耳にしていた服装の少年が立っていた。少年は大人びた外見とは裏腹に子供のような瞳をしていて、そして大人っぽくて整っている外見をアフロで台無しにしている年齢不詳の子だった。何故か見覚えのあるその少年は一回コホンと咳払いをして唯に言った。


「アナタを見た瞬間からボンバーヘッドが似合うと思ってたんです。一目惚れと言ってもいいです。僕と一緒に来ませんか?」


 そうして頭に乗せられた予備のアフロを振りほどく手も、振り落す頭も唯は持ち合わせていなかった。迷いなく少年の誘いに乗ると、少年は唯を軽々と背負ってベランダの方へ走り、助走をつけてそのまま2階からダイブした。風を切りながら、唯は後ろを向いて今までの日常にさよならを告げた。

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ドラマチック・ホリデー 藤田小春 @tsumugi1220

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