第3話


 仮母は客をもてなす妓楼の大棟ではなく、その裏の離れへと向かっていく。

 えんろうと呼ばれる三階建ての土楼住宅だった。おそらく妓女たちの宿舎的な建物だろう。


 仮母は石造りの小さな拱門きょうもんをくぐり、一階にある部屋の前で足を止めた。


しょうあん。京師から御史様がお見えです。訊かれたことに答えなさい」


 室内から「はい」と戸惑いをはらんだ声が響く。


「では、私はこれで失礼させていただいても?」

「ああ。ご苦労だった」


 幻耀が答えると、仮母は一礼し、拱門の方へと引き返していった。


 玉玲は一度深呼吸してから扉を開ける。

 部屋の奥の臥牀しんだいに、二十歳ぐらいの女性が上体を起こして座っていた。

 治療中ということもあり、長い髪はおろし、夜着姿で化粧っ気もないが、きれいな顔立ちをしている。確か、仮母が『小杏』と呼んでいたか。


 小杏はこちらを見るや、臥牀から立ちあがろうとした。


「そのままで。話を聞きたいだけですから」


 玉玲は小杏を制止し、彼女へと近づきながら声をかける。


「怪我の方は大丈夫ですか? あやかしに襲われたと聞きました」

「ええ。少しずつよくはなってきております。まだ痛みはありますが」


 幻耀も部屋の奥へと踏み入り、小杏の首もとに視線を移して尋ねた。


「傷口を見せてもらってもいいか?」


 幻耀の顔を見あげた小杏は、真っ赤になって答える。


「は、はいっ」


 恥じらいつつどこかうれしそうだ。必要以上に夜着をはだけ、幻耀に傷口を見せている。

 玉玲はちょっとおもしろくない。


「確かにまれているな。人間の歯形ではない。鋭い牙を持つあやかしで間違いないだろう」


 玉玲も傷口を見せてもらい、気を取り直して小杏に話しかけた。 


「襲われた日のことで訊きたいことがあります。あなたはあやかしに襲われた後、逃げていくコウモリのような影を見たそうですね? あやかしは普通の人には視えないものなのですが、どうしてその影が視えたのでしょう? コウモリはこんなふうに人を襲ったりしません。あなたが視たのはあやかしのはずなのですが」


 毘毘に話を聞いて一番不思議に思ったのが、そこだった。なぜ彼女にコウモリのあやかしが視えたのか。まずそれを確認したくて、この妓楼を訪ねたのだ。

 小杏は戸惑った様子で口を開いた。


「実は私、霊感というものがあるらしく、人には見えない何かが視えてしまうことがあるのです。本当にぼんやりとですが」

「……霊感? 霊力と同じものなのでしょうか?」


 玉玲の疑問に、すぐ幻耀が答えてくれる。


「少し違う。あやかしを視たり声を聞くことはできないが、存在を感じ取ったり、ぼやけた影を視ることができたりする。霊力を弱めたものというところか。霊感のある者もまたまれだが、霊力のある人間よりは多くいる。ちまたにいても不思議ではない」

「なるほど、それで」


 コウモリのような影を視たというわけか。玉玲は半分納得する。もう半分は違和感だ。


「事件の前後に何か気になることはありませんでしたか?」


 違和感の正体を探すため、更に質問する。


「そういえば、襲われた日の前夜もコウモリを見ました。こちらをうかがうように窓辺にぶらさがっている姿が」

「それははっきり見えたのですか?」

「ええ。私を襲った影よりははっきり。あれはコウモリでした。もしかしたら、そのことが影響しているのかもしれません」

「影響している? それはどういうことですか?」

「私を襲った影がコウモリのように思えたことです。はっきりとは見えなかったので。前夜コウモリを見たことが影響して、コウモリだと思い込んでしまったのかもしれません」


 半分残っていた違和感が氷解した。なぜはっきり視えないはずの彼女が、逃げたあやかしをコウモリだと思ったのか。り込みだろう。

 ただ、前夜窓辺にぶらさがっていたコウモリのことが引っかかる。偶然にしてはおかしい。新たな違和感が胸に充満する。


「他には最近何かありませんでしたか? 身近で起こった不思議な出来事とか」


 手がかりを求めて尋ねると、小杏はしばらく考え込んだ後、思い出したように答えた。


「私が襲われた三日前、近くの民家で鶏が血を抜かれて死んでいたそうです。鶏一匹の被害なので事件にはなりませんでしたが、死に方が物騒だったのでよく覚えています」

「……鶏?」


 その言葉を聞いて、玉玲は毘毘の話を思い出し、幻耀と顔を見合わせた。


「毘毘という諸精怪が捕まった日も、鶏が被害にあったそうだな。毘毘の住処に鶏が迷い込んで、それを毘毘が襲ったのだとか」

「ええ。血を吸っていたところに第四皇子が現れて、捕らえられたのだと聞きました」

「彼女が襲われた三日前、民家で鶏が襲われた件は毘毘のわざか?」


 玉玲は毘毘の発言を振り返りながら考える。彼は小さなほ乳類や鶏だけを獲物にしていると話していた。


「そうかもしれません。でも、うまくいきすぎている気がします。まるで真犯人が誘導しているかのような」


 小杏が襲われた前夜、目撃されたコウモリ。そして、毘毘が捕まった日、彼の住処に迷い込んだ鶏。こうも偶然が続くと、仕組まれたようにしか思えない。


「え? え? 話が全然見えないんですけど、どういうことです?」


 一人置いていかれていた幻晴が、わけがわからなそうに訊いてきた。

 悪いが今は彼に説明している余裕はない。


「他に何か変わったことは?」


 玉玲は幻晴を無視して、小杏に確認した。


 小杏は額を押さえて、またしばらくの間考え込み、小さく首を横に振って答える。


「いえ、それ以外には何も」


 彼女から引き出せる情報はこれだけのようだ。

 だが、推理に必要な材料はかなり集まったと言える。


「わかりました。ありがとうございます。あとはゆっくり休んでください」


 玉玲は小杏の体を気遣い、早々と部屋を出たのだった。


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