第2話


 心配していた検問は何の問題もなく通過し、玉玲たちは暘帝国の京師みやこ嶺安りょうあんを出る。

 少しも性別を疑われなかったのは女として問題だけど、急いでいたので助かった。

 目指すは京師南方にある城郭都市、厘慶りんけい。京師から馬で十刻(五時間)ほど駆けた場所にある、商業が盛んな中都市だ。


 朝靄をまとっていた太陽は、厘慶の南外門をくぐった時には、中天でさんぜんと輝いていた。

 玉玲たちはさっそく目的の場所、『万華院ばんかいん』を訪れる。


「きゃあ~、色男よ! 何て素敵な男性なのかしら」

「お兄さん、遊んでいかない? 営業時間じゃないけど、お兄さんなら商売を抜きにお相手しちゃうわ」

「ずるいわ! 私が先よ!」


 露出度の高い色鮮やかなじゅくんをまとったじょたちが、幻耀の周りに群がっている。


 幻耀を巡って争う妓女たちの様子を、玉玲は少し離れた場所から呆然と眺めていた。


「まあ、あの容姿ですからね。いつものことですよ」


 口説かれている幻耀の姿を見て、幻晴が肩をすくめてこぼす。


「い、いつものこと?」

「任務で街に出たりすると、ああして女性が寄ってくるんです。まあ、兄上はいっさい相手にしませんけど。もったいないなぁ。俺ならまとめて相手してあげちゃうのに」


 軽口を叩く幻晴に、玉玲はまたもや軽蔑のまなざしを向ける。皇子には子をたくさんもうける義務があるとはいえ、節操がなさすぎだ。


「それにしても、ここの女性はやたらと積極的だなぁ」


 何だかどんどん腹が立ってきた。幻晴の言動にも。幻耀に群がる妓女たちにも。


「離れてください! この方はここに遊びにきたんじゃないんです!」


 玉玲は妓女たちの方へと近づいていき、幻耀から引き離しにかかる。


「それ以上失礼なことをしたら――」

「失礼ですって? 殿方を口説くことのどこが失礼なのよ!」

「ここはろうよ! 坊やは引っ込んでなさい!」


 興奮状態だった妓女たちは激高し、玉玲の肩を突き飛ばした。

 玉玲の体はあお向けに傾き、地面へと倒れそうになる。

 だが、その直前で幻耀が背中に素速く腕を回し、玉玲の体を抱きとめた。

 玉玲がホッと息をついたのも束の間。


「この者に手を出したら、女でも容赦しない」


 幻耀が氷のように冷ややかな目で妓女たちを睨みつけた。

 殺気と見まがうほどの鋭さに、妓女たちの顔がサッと青ざめる。


「ここの経営者を呼べ。お前たちに用はない」


 幻耀が冷たく命じると、妓女たちは逃げるようにその場から去っていった。


 彼女たちの姿が見えなくなるや、幻耀は表情をやわらげて玉玲の顔を覗き込む。


「お前が嫉妬するとは珍しいな」

「し、嫉妬なんかじゃ……っ! 捜査に邪魔な女性を追い払いたかっただけで」


 玉玲は真っ赤になって主張した。


「では、捜査が終われば、俺が妓女たちの相手をしてもいいと思えるのか? お前以外の女に触れても平気だと?」

「そ、それは……」

「お前は本当の妃ではないから、俺が誰を相手にしようと自由なはずだろう?」


 幻耀が後ろから体を抱きしめたまま、耳元で挑発するようにささやいてくる。

 玉玲は顔を紅潮させたままうつむいた。彼はこんなに意地悪な男性だっただろうか。彼が他の女性の相手をするなんて、嫌に決まっているのに。


「……あの、いちゃつくのはその辺りにしたらどうでしょう? 姉上はその格好ですし、あらぬ誤解を招きますよ?」


 幻晴の言葉に、玉玲はハッとして顔をあげた。

 妓女見習いと思われる少女たちが、建物の影からこちらに熱視線を送っている。玉玲に嫉妬するどころか、頬を赤らめて喜んでいる様子だ。


 おい、青年と少年宦官(本当は乙女)だぞ。少年趣味に走る美青年を愛でるような顔はやめてくれ。


 玉玲が慌てて幻耀から離れると、少女たちは残念そうに溜息をついた。

 色街の少女たちには変わったこうでもあるのだろうか。


 余計な心配をしていたところで、妓楼の入り口から豪奢な身なりの女性がやって来た。

 髪を高髻こうけいに結いあげた、背が低くてぽっちゃりとした中年女性だ。


「お待たせいたしました。万華院の仮母おかみでございます。私に何かご用があるようで」


 妓楼の経営者である仮母を名乗った女性は、手短に挨拶して幻耀の顔色をうかがった。


「俺は京師から派遣されたぎょだ。少し前に起きたあやかしがらみの殺人事件について訊きたいことがある」


 幻耀は腰に下げていたはいを見せて、仮母に身分を証明する。

 官吏や役所を監察する御史として通すことにしたらしい。隠密行動を取ることが多い御史を称せば、身分がばれることなく捜査を行えそうだ。


「はぁ、京師の御史様でございますか。しかし、その件は城から皇子殿下が来られて、解決されたはずでは? 確か、しょせいかいと呼ばれるあやかしが捕まったのでございますよね?」


 仮母が不可解そうに幻耀を見あげて確認する。


「気になる点があってな。再び調査することになったのだ」


 幻耀は極めて端的に事情を伝えた。


「……そうでしたか。わかりました。できる限り協力させていただきます。それで、私に訊きたいこととは?」

「この妓楼には、捕まったあやかしに襲われた妓女がいるそうだな? そのあやかしの住処からも近いと聞いた」

「はい。私にはあやかしが視えませんので、住処については存じあげませんでしたが、妓楼の裏のはいおくに住みついていたとうかがいました。本当に恐ろしいことです」


 仮母は青白い顔で答え、震えを抑えるように自らの両腕を抱く。


「襲われた妓女は現在治療中でして、部屋で休ませております。お会いになりますか?」

「ああ。案内を頼む」

「かしこまりました」


 玉玲は幻耀の後ろについて、仮母の案内に従った。

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