第三章 謎解き後宮調査隊

第1話



 髪は後頭部で一つにまとめ、焦げ茶色のしゃぼうを被る。身にまとうのは、えりの丸い緑色の官服。しょうたいかん――いわゆる少年宦官の正装だ。この格好をすれば、げん耀ようのお供として北後宮から出やすくなる。


 毘毘びびたちに話を聞いた翌朝、ぎょくれいは料理の準備と着替えを済ませ、れんと一緒に幻耀の部屋を訪れた。


「お待たせしました。準備が整いましたので、お願いします」


 努めて明るく声をかけたのだが、幻耀は全く反応しない。卓子つくえの前に黙然と座り、不機嫌そうな顔でこちらを見つめてくるばかりだ。


「あの、まだ納得してもらえていないのでしょうか?」


 玉玲はたじたじしながら訊く。彼には昨夜、毘毘たちのことを報告し、明朝調査に行きたい旨を伝えて、「わかった」という言葉を得ていたのだけれど。不機嫌に見えるのはどういうわけだろう。納得していなかったのか、それとも昨夜幻耀の申し出を固辞して、もふもふ部屋で寝たからか。睡眠不足なのだ。理解してもらいたい。


 言葉を待っていると、幻耀が仏頂面のまま口を開いた。


「少数精鋭の極秘調査として赴くことになる。第四皇子に疑いを抱いていることがばれるとまずかいらな。護衛の人員も限られてしまうのだ。俺はお前を危険なことに巻き込みたくない」


 つまり、自分の身を案じて、迷っていたということだろうか。

 玉玲は彼の心遣いをうれしく思いつつ、真剣な表情で訴える。


「私のことは心配しないでください。身体能力はありますし、自分の身は自分で守れます。それに、このまま黙っていたら、あやかしたちが苦しむことになるんです。真犯人を野放しにすれば、民にも犠牲が出るかもしれません。必ずお役に立ちますから」

「それはわかっている。だから、はっきり拒絶できないのだ。お前は俺には視認できない空気まで視えるし、考えもしない策を思いつく。役に立つことは確かだからな」


 幻耀は複雑そうに眉をゆがめると、大きな溜息をついて言った。


「連れていくのは不本意だが、仕方ない。お前のことは何があっても守ってやる。俺の近くから離れるなよ」


 玉玲は胸が熱くなるのを感じながら「はい」と返事する。自分の力を認め、受け入れてくれたことがうれしい。不確かな話なのに、疑いを向けることなく信じてくれたことも。


「極秘調査ってことなら尚更あたしの力が必要になるわね。じゃあ、さっそく行きましょう」

「おう、腕が鳴るぜ!」


 後方にいた漣霞と莉莉が気合いを入れて歩き出そうとする。

 だが、幻耀が「ちょっと待て」と言って、ふたりを引き止めた。


「お前たちは連れていけないぞ」

「なっ、何でだよ!?」


 当然莉莉は反発の声をあげる。


ぶんえいの脱獄事件が起きたばかりだからな。せつじゅのこともあり、警備が厳重なのだ。北後宮から外廷に出る東門も皇城の裏門も、しばらくは霊力のある人間が配備されている。お前たちでは通り抜けることができないだろう。俺でさえ検問が必要だからな」


 悄然として黙り込む莉莉と漣霞を、玉玲は残念に思いながら見つめた。彼らの力があれば心強いのだが、そういう事情であれば仕方がない。万が一ふたりの存在が露見すれば、幻耀の立場が非常にまずいことになる。


「莉莉も漣霞さんも力になろうとしてくれてありがとう。ふたりにはここのことを任せたい。たくさん料理を作っておいたから、みんなに食べてもらって。私たちが戻ってくるまで、北後宮とあやかしたちのことはお願いね」


 やるせなさそうなふたりに、玉玲は柔らかく微笑みかけて告げる。一緒に来てもらえなくても頼りにしているのだ。


 じっと見つめたまま返事を待っていると、不服そうではあるものの莉莉が答えてくれた。


「わかったよ」


 漣霞はまだ納得がいかないのか、唇をとがらせている。


 彼女からは言葉を得られそうもない。


「ごめんね。ふたりにはお土産みやげを買ってくるから」


 姿が見えなくなれば、あきらめもつくだろう。

 玉玲は後ろ髪を引かれる思いで幻耀と一緒に部屋を出た。

 やはり少し心細い。その日のうちに帰ってくるつもりとはいえ、しばらく離れることに寂しさが募る。


 しんみりした気持ちで幻耀と東門に向かっていた時だった。


「あれ、兄上?」


 聞き覚えのある男性の声が、玉玲の鼓膜を突く。


「こんな朝早くから出勤ですか? 精が出ますね!」


 声がした方向に顔を向けると、近くの殿舎の入り口に若い男女の姿が見えた。

 白い夜着に上衣うわぎを引っかけた青年が、恥じらう宮女の肩に腕を回している。よく見ると、宮女の着衣はやや乱れ、首もとには赤い跡があるような。

 らちな青年の正体は第八皇子だ。


幻晴げんせい。お前こそこんな時間に何をしている? その女は何だ?」


 幻耀が白い目を向けて問うと、幻晴はおくめんもなく答えた。


「妃たちがいない寂しさをまぎらわせていたのですよ。しばらく女性と触れ合うこともできないなんて、つらすぎて」


 玉玲は幻晴に軽蔑のまなざしを向ける。三人の妃妾を持ちながら、彼は宮女を寝所に連れ込んでいたのだ。


「……最低。女性の敵ですね」


 思わずこぼした言葉が耳に入ったのか、幻晴が「ん?」と言って玉玲の顔を注視する。


「何です、その生意気な小太監は? どこかで見た顔のような。そういえば、声も」


 ――やばい。ばれた?


 玉玲は慌てて幻晴に背中を向ける。

 しかし、幻晴は玉玲の前へと回り込み、顔をのぞき込んできた。


「ん? ん? もしかして、姉上?」


 ――まずい。


「人違いですよ。私は殿下に仕える小太監です」


 だみ声で否定する玉玲だったが、幻晴はだまされてくれない。


「いやいや。おかしいですよ、その作り声。姉上でしょう? どうしてそんな姿に? 全然違和感がなくて、すっごく似合ってますけど」


 ――そこは褒めてくれるな。


「ちょっと所用がありまして。気にしないでください」

「所用って? わざわざ小太監に変装する必要があるのですか?」


 玉玲は返事にきゅうした。幻晴をあざむく言葉が思い浮かばない。

 助けを求めるように隣を見やると、幻耀は溜息をついて言った。


「仕方がない。お前にだけは話しておいてやる」


 幻晴は心得たと言わんばかりに大きく頷き、近くにいた宮女を遠ざける。


「俺たちはこれから、とある街へ調査におもむく。第四皇子が不当な罪であやかしを捕らえた可能性があるからな」

「姉上を伴って?」

「俺の妃は優秀で、とても役に立つのだ。俺より霊力が高くて、機転も利く」


 玉玲はくすぐったい気持ちになる。買いかぶりすぎのようにも思えるが、彼に認めてもらえるのは、やはりうれしい。


「兄上が他の誰かを褒めるなんて。そこまでべた惚れでしたか」


 幻晴は意外そうに玉玲を凝視し、幻耀に視線を戻した。


「姉上に関してはわかりました。でも、護衛はどうするんですか? 従者の方は?」

「途中までは連れていく。だが、いちおう極秘捜査だからな。目的の街に入ってからは、俺たちだけの単独行動になる」

「そんな、危険です! てい一族が兄上の命を狙っているかもしれないのですよ? いくら兄上の武芸が卓越しているとはいえ、姉上のことも守らないといけないのでしょう?」


 最後の問いかけに対して思うところがあったのか、幻耀はピクリと眉を震わせる。


「わかりました。俺もご一緒します」


 幻晴は胸に手をあてて申し出た。


「いや、いい。そこまでする必要はない」

「いいえ、これくらいしないと安心できません! 行かせませんよ。俺を連れていくという条件を呑んでくださらなければ。俺一人ぐらいなら街へお供をしても大丈夫でしょう? 決して捜査の邪魔をせず、兄上方を警護しますから!」


 一歩も引こうとしない弟を幻耀は腕を組んで見すえる。連れていくべきか迷っているようだ。


「えーと、幻晴様は――」

「呼び捨てでいいですよ、姉上」


 敬称をつけて呼んだところで、幻晴が口を挟んできた。

 さすがに成人した皇子を呼び捨てにするのはどうだろう。姉上というのも、いい加減にやめてもらいたい。


「じゃあ、あなたも呼び捨てにしてください。せめて「さん」づけで。私もそうしますから」

「わかりました、姉上!」


 ――全然わかってない。


 玉玲はあきらめの境地に達する。

 もういいか。彼には話が通じないようだ。


「幻晴さんは、お強いんですか?」

「強いですよ。兄上の次くらいには。それだけが取りなので。他の兄たちなんかは目じゃありませんね」


 自信に満ちた幻晴の発言を聞き、玉玲は幻耀に視線を移して提案した。


「じゃあ、お願いしましょう。私も警備には不安がありましたし」


 強力な護衛が一人でもいた方がいいだろう。幻耀の身の安全が第一だ。


 気乗りしない様子の幻耀だったが、仕方がなさそうに「わかった」と答えた。


「お前に万一のことがあっては困るからな。だが幻晴、余計なことはするなよ」

「わかりました。全力で捜査にあたりますので、兄上は大船に乗ったつもりでいてください!」


 ――やはり全然わかってない。


 玉玲は幻耀と一緒に溜息をつく。

 本当に人の話を聞かない弟だ。


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