第11話


 新顔のあやかしたちにも料理を与えたことが功を奏したのか、しばらくはそれ以上空気が悪化することはなかった。


 しかし、翌日の夕方。


「うーん、また獄舎の方の空気が濁っているなぁ」


 御膳房の入り口から空を見あげ、玉玲は眉をひそめてこぼす。


「でも、料理を差し入れたことで、ましにはなったんでしょ? また何かあったのかしら」


 漣霞は玉玲の顔と獄舎の上空を見比べ、不思議そうに首を傾げた。


「差し入れも作ったし、行ってみようか」


 もしかしたら、また幻偉に捕らえられ、新たなあやかしがやってきたのかもしれない。

 玉玲は漣霞と一緒に料理を運びながら獄舎へと急いだ。

 今日の空気の濁りは昨日よりも一段と濃い。数が多いのか、それとも更に邪悪なあやかしが捕らえられたのか。


 不安を覚えつつ路を南下していると、獄舎につく前から騒がしい男の声が聞こえてきた。


「出せ~! ぎぬや~!」


 地方から連行されたのか、妙ななまりがある。何度も同じ言葉を発し、非常にうるさい。


「これは何の騒ぎなの?」


 玉玲は耳をふさぎたくなる思いで獄舎へと駆け込んだ。


「管理人さん! あいつ、どうにかしてくれよ。ちょっと前に第四皇子が連れてきたんだけど、うるさくて仕方がないんだ」


 顔なじみの猫怪がはす向かいの檻房を示し、前足で両耳を折る。

 玉玲は示された方向を見て、目を丸くした。子猫くらいの大きさがあるコウモリの諸精怪だ。耳も猫のように大きく、体はもふもふの茶色い毛で覆われている。

 諸精怪は檻房の中を飛び回り、時に鉄格子へ体当たりを食らわせながら騒ぎ立てていた。


「おい、お嬢ちゃん! ここの責任者を連れてきてくれいっ! わいは悪いことなんて何もしてないんや! なのにあいつ、たいして調べようともせず、わいを連行しよった! 何度訴えようと馬の耳に念仏、とうふうや!」


 玉玲に目を留めた諸精怪は、また訛りのある方言でやかましく主張する。


「あいつって、身なりの立派な二十歳くらいのしい男性のこと?」

「せや! いかにも他を見くだした偉そうな若造のことや!」


 やはり、幻偉が連れてきたあやかしだったか。


「私、責任者ってわけじゃないけど、この区域の管理を任されているの。詳しく話を聞かせてもらえる?」


 玉玲は面もちを正し、諸精怪の黒い双眸を見すえる。


「ええで。何とかしてくれるんならな!」

「話次第だけど、善処する」


 真剣な顔で頷くと、諸精怪は石の床に着地し、若干落ちついた様子で口を開いた。 


「わいの名は毘毘びび。血が大好物なコウモリの諸精怪や。けどな、人の血は吸わんようにしてる。人に手を出せば騒ぎになって、あやかし狩りが湧くからな。ちゃんと頭を使つこうて、小さなほ乳類や鶏だけを獲物にして生きてきたんや。なのにあの若造、わいの住処の近くで人死にが出たからって、わいを捕らえよって、完全な濡れ衣やで!」


 また興奮し出した毘毘に、玉玲は念のために確認する。 


「でも、何か疑わしい点はあったんじゃない? 主上に報告するため、調査もしたと思うし」


 あやかしに対する不当な裁きを減らすため、皇帝は調査に基づいた捕縛を推奨したのだ。手当たり次第捕らえたわけではないだろう。


「まあ、人間からはちゃんと話を聞いていたようやし、疑われても仕方がない部分もあったよ。けどな、そこがどうにも不思議なんや。疑われる状況に追い込まれたっちゅうか」

「どういうこと?」

「例えばな、捕縛された日、わいの住処に鶏が迷い込んできたんや。わいはもちろんそいつの血を吸ったった。そこをあの若造に捕らえられたんや。あとは、被害者の一人がコウモリのような影を見たって、証言したらしい。わいはその日、事件が起きた場所には近づかんかったのに。どうもわいを犯人に仕立てあげようっちゅう輩がおったようにしか思えないんや」


「つまり、誰かがあなたに罪を着せたっていうこと?」

「確証はないけどな。わいは人を死なせてなんかおらんのや。そうとしか考えられへん!」


 毘毘はまっすぐ玉玲の目を見て断言する。


「今の話全部、第四皇子にはした?」

「もちろんや! なのにあいつ、全く耳を貸そうとせぇへん!」


 玉玲はしばらく無言で毘毘の顔を凝視した。

 毘毘は少しも目をそらすことなく、玉玲の言葉を待っている。


「じゃあ、私もその事件について調べてみるよ。もっと詳しい話を聞かせてもらえる?」

「ねえ、あまりそいつの言うことみにしない方がいいんじゃない? あやかしにだって平気で嘘をつく輩はいるわよ?」


 詳細を尋ねた玉玲に、漣霞が疑わしそうに口を挟んだ。


「何やて!? おばはんは黙ってろや! 血ぃ吸うたろか!」

「お、お、お、おばはん、ですってぇっ!」

「まあまあ、漣霞さん」


 鬼の形相になる漣霞を、玉玲は慌ててなだめる。


「その子は嘘をついてないよ」

「どうしてそんなことがわかるのよ!」

「うーん、勘?」


 怒気をみなぎらせていた漣霞の目が一瞬冷め、また燃えあがった。


「あんたねぇ、根拠も何もないじゃないのよ!」

「そうなんだけど、目を見れば何となくわかるんだ」


 玉玲に嘘を見抜くことはできない。だが時々、相手は嘘をついていないという直感が働くことがある。その人――あやかしの言うことなら信じられると。毘毘も嘘をついていない。彼の目を見て、そう信じられた。

 まとう空気は黒く濁っているけれど、無実の罪で捕らえられた負の感情がもれ出ているだけだろう。 


「お嬢ちゃん。あんたにはあやかしを見る目があるで。そこのおばはんとちごてな」

「こいつっ! ぶっつぶしてやる!」

「れ、漣霞さん!」


 激高する漣霞の腕を玉玲は必死になって掴みとめた。

 この諸精怪は死ぬのが怖くないのだろうか。力のあるあやかしは、格下のあやかしを滅することができるらしい。漣霞を怒らせば、皇帝の裁きを待たず冥府あのよ行きだというのに。


 彼女の恐ろしさを知らない毘毘は気ままに宙を舞い、鼻をひくひくさせた。


「お嬢ちゃんが訊きたいことには、何でも答えたる。けどその前に。その箱は何なん? さっきからめっちゃええ匂いがしとるけど」


 毘毘の目が地面に置いてあったせいろうをとらえる。


「ああ、これ? ここのみんなへの差し入れなの。あなたも食べる?」

「え? ええの? 食べる食べる!」


 空気をよくするためにも、まずは食事にした方がいいだろう。玉玲は、先に怪我をした猫怪たちに饅頭や春巻を配り、それから毘毘や他のあやかしたちにも料理を与えた。

 鉄格子の隙間から差し入れられたしょうろんぽうに、毘毘はとしてかじりつく。

 そして数度咀しゃくするや、衝撃を受けたように体を震わせた。


「何なん、これ? めっちゃうまいやん! もちもちとした皮の歯ごたえに、ジュワッと広がる肉汁の旨味! ここにおれば、こんなん食わしてもらえんの?」

「まあ、今のところ毎日配るつもりではいるけど」

「何それ、楽園やないの! わい、ええわ。ここにいられんのなら罪を着せられたままで」

「バッカじゃないの! このままなら確実に冥府行きよ! あんた、人殺しの罪を着せられてんでしょ!?」

「あ、ああ。せやったな」

「まあ、あんたなんて、どうなっても構わないけどね! 玉玲、こんなやつ助けてやらなくてもいいわよ! 放っておきましょ!」


 怒りが収まらない漣霞に納得してもらおうと、玉玲は彼女の目を見て反論する。


「罪を着せられているなら、本当の犯人がいるわけだし、野放しにはできないでしょ。それに、この事件の真相を暴けば、幻耀様が有利になると思わない?」


 漣霞は束の間考え込み、やがて納得したように手をポンと叩いた。


「あっ、そうか。無実のあやかしを捕らえたとなれば、第四皇子の失態になるものね。そうすれば、太子争いもこちらの有利に働く!」

「そういうこと」


 よくできましたと言わんばかりに玉玲は笑顔で頷く。


「なら、仕方がないわね。ちょっと、あんた。助けてやるから、さっさと話しなさい。初めから詳しくね」

「何でおばはんの方が偉そうなんや。まあ、ええけど」


 このあやかしは本当に命が惜しくないのか。

 ふんがいする漣霞をどうにかなだめつつ、玉玲は毘毘から事件の詳細を聞いたのだった。


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