第10話



 御膳房の窓から煙と湯気がほとばしり、玉玲の口からは幾度となくあくびが出る。


「あんた、ずいぶん眠そうね。朝からずっとあくびしてばかりじゃない」


 ぼんやり料理をしていると、隣で作業を手伝っていた漣霞が、白い目を向けてきた。


「まあね。この二日全然眠れてなくて」


 玉玲は鍋を振りながら答え、また一つあくびをする。


「眠れてない? あんた確か、一昨日おとといから幻耀様のお部屋で寝てたのよね? もしかして、夜はずっとお楽しみだったとか?」


 漣霞がニヤニヤと笑い、下世話な質問をしてきた。


「ち、違うよ! 幻耀様とはまだ何もない。単に眠れていないだけ」

「あんたたち、まだねんごろな仲になってなかったの!? 人間の男と女ってどうきんすれば体の関係ができるものなんでしょ? なのに、どうして!?」


 信じられないという表情で訊く漣霞だったが、玉玲の体を見て、悟ったような顔になる。


「ああ、あんたに女としての魅力がなかったから」

「求められはしたよ! でも、嫌だったの。そういう関係になるのは」

「だからどうしてよ?」


 玉玲はかまどの火を止め、暗い目をして答えた。


「だって私、本当の妃じゃないし。三年後にはここから出ていくつもりだから。家族との約束もあるし」


 自分は三年限定の契約妃なのだ。年季が明けたら、養父や団員たちのもとへ戻り、雑伎団の旅を再開すると約束していた。今更反にすることはできない。


「あんた、幻耀様のこと好きじゃないの?」


 いぶかしげな顔をする漣霞に、これだけはきっぱりと答える。


「好きだよ。人として。すごく尊敬もしてる。でも……」


 今の感情を伝えることは難しく、玉玲は言いよどんだ。


「男としては見られない?」

「そういうわけじゃないけど。まだはっきりわからないの。自分の気持ちが」


 彼に迫られると胸がドキドキする。温かい気持ちにもなるし、好意を覚えたりもするのだけれど、どこかで歯止めがかかってしまうのだ。これ以上彼を異性として好きになってはいけない。愛してしまえば、かえって傷つくことになるのだと。


「それに、私には妃としてやっていく自信もない。だって、今はまだ妃が私一人だけど、これからどんどん増えていくんでしょう? 彼が即位したら、更に増えることになる」


 男性皇族には複数の妃妾を得て、多くの子をもうける義務がある。幻耀が自分以外の妃を複数めとり、彼女たちとねやの順番を共有するなんて、とても耐えられる自信がない。


「まあ、そうね。確かにそれは嫌かもね」


 漣霞が初めて賛同してくれた。

 女友達と恋愛話をしているような感覚になり、玉玲はつい愚痴をこぼす。


「それにね、幻耀様が私を女性として求めてくれているかどうかもわからないんだ」


 彼に恋愛的な意味で好きだと言われたことは一度もない。


「でも、体は求められたんでしょ?」

「それは、私に霊力があるから。たぶん、霊力のある子供を産んでほしいだけだと思う」


 そのことについては、彼にはっきり言われた。自分と幻耀の間に生まれた子供は高い確率で霊力が備わるらしい。父母共に霊力があるからだ。それは皇后の資質だとも言っていた。たぶん彼にとっては一番重要な。

 最近やたらと迫ってくるのも、霊力があって都合のいい妃を求めているだけなのではないか。自分を好きなのではなく、打算があって口説いているだけなのかもしれない。玉玲の中にはそんな疑念もあった。


「漣霞さんは? 幻耀様のことが好きなんだよね?」


 自分の話ばかり続けるのもおっくうになり、漣霞の恋愛観について訊いてみる。


「それは好きだけど、異性としてじゃないわ。あやかしが人と一緒になるなんて無理だと思ってるし。彼のことは産まれた時から見てるしね。すごく大変な思いをされてきたから、幸せになってほしいとは思ってるけど。できればあんたと」

「えっ、私?」


 漣霞がこぼした言葉に、玉玲は驚いた。そこまで自分を認めてくれていたのかと。


「別にあんたが幻耀様にふさわしいと思ってるわけじゃないからね! 第四皇子の妃みたいなのよりはましだと思っただけよ!」


 玉玲の胸中を読み取ったのか、漣霞が真っ赤になって主張する。


「ほら、できた料理を早く運ぶわよ!」


 赤くなった顔を見られたくないのか、料理を勝手に持って出ていってしまった。


 散々恥ずかしいことを訊いてきたくせに、彼女の方はこれだけのことで音をあげるのか。

 納得できない気持ちを抱えながら、玉玲は他の料理を荷車に載せて御膳房から出る。

 まあ、最近はなりをひそめていたけれど、彼女は天邪鬼あまのじゃくで素直じゃないからな。


 空を見あげると、あかね色の下に黒く濁った靄が漂っていた。ある地点だけ周囲の空気より一層薄汚れて視える。


「ねえ、獄舎のある方角、一段と空気が悪くなってない?」

「さあ。あたし、あんたみたいに瘴気なんて視えないから、わかんないわよ」


 玉玲は嫌な予感を覚えた。空気の悪化には必ず何か原因がある。


「もしかして、捕らえられている猫怪たちに何かあったのかも」


 危機感が伝わったのか、漣霞の顔にもしょうそうの色が広がった。


「急ぎましょう」


 玉玲は漣霞と一緒に駆け足で獄舎へと向かう。

 そして、入り口へと駆け込み、檻房が視界に入った瞬間。


「これは……!?」


 玉玲は驚きの声をあげ、檻房の中を注視した。

 猫怪たちがいる隣の檻房に、新たなあやかしが閉じ込められている。だが、北後宮で目にしたことはない。ハリネズミのあやかしである蟤怪いかいじゃように、イタチ、トカゲといったしょせいかい。みな新顔のあやかしだ。鉄格子には呪符が貼られていたため、体が小さくても隙間から逃げることはできないようだった。


「ねえ、あのあやかしたちは?」


 玉玲は捕らえられていた顔なじみの猫怪に尋ねる。


「少し前に第四皇子が連れてきたんだ。街の外で悪さをしたあやかしらしい」


 猫怪の返事を聞いて、漣霞が忌々いまいましそうに顔をしかめた。


「第四皇子の点数稼ぎが始まったようね」

「点数稼ぎって?」

「次の太子は実績で選ばれるんでしょ? 前までもそこが重視されてたんだけど。こうして悪いあやかしを捕らえて、皇帝に報告することで評価が上がるのよ。勝手に自分で判断して滅してしまうより、高い評価がもらえるらしいわ」

「どうして? 何か理由があるの?」


 漣霞は自称『北後宮一の情報通』だ。古参のあやかしでもある彼女に、玉玲は少し突っ込んだ質問をする。


「単純に、あやかしの捕縛には高い能力が必要なこと。それと、前に第二皇子が点数稼ぎをしようと、無実のあやかしを斬りまくったことがあってね。それを問題に思った皇帝が、捕縛と報告を求めるようになったのよ。捕らえるのが難しかったり、すぐに滅さなければ害が及ぶ場合を除いてね。報告を受けて、皇帝が捕縛されたあやかしに裁きを下すようになったの。まあ、それで無実の罪で滅されるあやかしが減ったからいいんだけど」

「……第二皇子。昔は幻耀様と比較的仲のよかったお兄様だよね」


 けれども数年前、幻耀を暗殺しようと謀り、返り討ちにされた兄皇子だ。


「ええ。一時期までは結構親しかったのよ。でも、幻耀様の才能が恐ろしくなってあせったのか、必要以上にあやかしを狩るようになっちゃってね。幻耀様は彼をいさめつつ、歩み寄ろうとしてたんだけど。第二皇子は幻耀様にもどんどん冷たくなってしまって」


 漣霞は悲しそうに眉を曇らせ、溜息をついてこぼす。


「せっかく後継者争いが収まって、ここに連れてこられるあやかしも減ったのに。また増えていくんでしょうね」

「そうなるのかな?」

「ええ。さっそく第四皇子がやる気を見せたじゃない。一度幻耀様が太子に封じられてからはさっぱりだったのに。露骨すぎてが出るわ!」


 玉玲は、表情をころころ変える漣霞から周囲に視線を移した。ねんされるのは空気の悪化だ。やはり連れてこられたあやかしたちは、悪さをしでかしただけあって邪悪な空気をまとっている気がする。おそらく、獄舎の上空が他より濁って視えたのは彼らのせいだろう。こうして集められるだけで、北後宮の空気にも悪影響を及ぼしそうだ。

 どうすれば、空気を浄化することができるのか。


「あなたたちも食べる?」


 玉玲は新顔のあやかしたちに、持ってきた饅頭を示して問いかける。


「ちょっと、そんなやつらにまであげることないでしょ。悪さをしたあやかしよ?」

「そうかもしれないけど。せめて主上の裁きが下るまでは気持ちよく過ごしてもらいたくて」


 彼らの心をなごませられれば、そのぶん空気の悪化も防げるかもしれない。


「もう、あんたってば、ほんとお人好しなんだから」


 玉玲を軽くなじりつつ、漣霞は食事の配給を手伝ってくれる。

 まずは怪我をした猫怪たちに。そして、無反応の蛇妖たちにも。

 今はこうして自分にできることを精一杯やっていくしかない。


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