第8話
その後、殿舎を出た玉玲は、莉莉と一緒にあやかしたちの住まい探しに奔走した。
だが、いくつか殿舎を回ってみるも、すでに猫怪たちがたくさん住んでいて、めぼしい住処は見つからない。
更に二刻(一時間)ほど探索して、ようやく居住者がいそうもない殿舎を探しあてた。
「ここはどうかな? 周りに緑が多くて、喜んでもらえそう」
玉玲は窓の外から室内と周囲を観察し、莉莉に意見を求める。
「いや、ここにはそこそこの数の猫怪が住んでいるはずだぜ」
「そうなの? 気配はないけど」
殿舎の入り口も調べてみようと、表に回った時だった。
「玉玲、あれを見ろ!」
莉莉が顎で指し示した方向を見て、玉玲は目を
各部屋の扉に見覚えのある黄色いお札が貼ってあった。
「どうして、呪符が……? もしかして、ここも」
嫌な予感がして振り返ったその時。
「おや? 誰かと思えば、幻耀の妃か」
耳ざわりの悪い男の声が、玉玲の
「あなたは……!」
豪奢な長袍をまとった青年の姿が目に入り、玉玲は嫌悪感をあらわにした。
「着飾っていなければ、見習い宮女とさして変わらんな」
作業着姿の玉玲を見て、幻偉があざけるように鼻を鳴らす。
「この呪符を貼ったのはあなたですか?」
玉玲は睨むように幻偉を凝視しながら尋ねる。
「ああ、その通りだが」
「中にいた猫怪たちは?」
「南西にある獄舎だ。罰として
「そんな! どうして!?」
声を荒らげる玉玲に、幻偉は不愉快そうに眉をひそめて答えた。
「穏便に済ませようと退去勧告を出してやったのだがな。やつら、この私に逆らい、抵抗してきたのだ」
「いきなりやって来て、出ていけなんて言われても、簡単に納得できるはずがないでしょう? 抵抗するのも当然です! それを、檻房に閉じ込めるなんて」
「これらの建物は全て我ら皇族のものだ。あやかしどもに抵抗する権利はない」
本当に何て
「まったく、素直に明け渡せば、無傷で済んだものを」
幻偉がこぼした言葉に、玉玲は
「まさか、あやかしたちを傷つけたのですか?」
「当然だ。刃向かうあやかしがいれば、見せしめに罰を与えるべきだろう。人間に逆らえば、痛い目にあうのだと知らしめなければ」
幻偉が言い終えるのも待たず、玉玲は獄舎へと走り出した。
どれほどの怪我を負わされているのか、心配でたまらない。獄舎の上空を見あげると、鈍色の靄が他の箇所より濃くなっているように思えた。あやかしたちが発する負の感情、
せっかく空気がきれいになりかけていたのに、あのバカ皇子。
心の中で幻偉をののしりながら、質素な石造りの建物へと入っていく。
「みんな、大丈夫!?」
鉄格子で仕切られた
「管理人さん?」
怪我を負った猫怪たちがのっそりと顔をあげ、玉玲を見やる。
獄舎の中に檻房は五つ。その中の狭い一室に六匹の猫怪が閉じ込められていた。他の檻房には誰もいないというのに。あやかしに対する幻偉の配慮のなさがうかがえる。
六匹はそれぞれ複数の裂傷を負い、中にはぐったりして動けない猫怪もいた。
「……ああ、かわいそうに」
少しの間猫怪たちの様子を観察していた玉玲だったが、ハッとして周囲を見回す。早く彼らをここから出して治療にあたらなければ。
「鍵は? この扉、開けられないの?」
鉄格子の扉には錠前がぶらさがり、
「無理だよ。ここの鍵を持ってるのは、あの傲慢な皇子だけだ」
猫怪の言葉を聞いた玉玲は、束の間考え込む。おそらく幻偉に掛け合っても聞く耳を持ってはくれないだろう。時間の無駄だ。ならば、どうすればいいのか。
ある案がパッとひらめいた玉玲は、ひとまず猫怪たちに確認する。
「傷の具合は平気?」
「ああ。痛むけど、みな命に関わるほどじゃない」
あやかしに薬は効かない。応急処置を施したところで無意味なのであれば――。
「ちょっと待ってて!」
猫怪たちにそう言い置いて、玉玲は獄舎から飛び出した。
目指すは御膳房。怪我を負った猫怪たちに料理を作るために。
昨日幻耀が、玉玲の料理にはあやかしを癒やす不思議な力があると言っていた。露露も食べた後、かなり回復していたし、獄舎の猫怪たちにも効果があるかもしれない。
全速力で路を北上していくと、前方に
一直線に駆け込もうとするが、どこからか「玉玲!」と名前を呼ばれて立ち止まる。
「今、呼びにいこうと思っていたのだ。抵抗しようにも、あいつら、我が輩たちの声が聞こえず、姿も視えぬようだからな」
「何かあったの?」
「こっちに来るニャ!」
三毛と茶トラに促され、玉玲は御膳房の裏へと向かっていく。
すると、あやかしたちと造った菜園に、複数の人の姿が見えた。
四人の宦官と二人の宮女が、畑で何やら作業をしている。
「ちょっとあなた、何をしてるんですか!?」
野菜の苗を引き抜いていた宦官のもとに、玉玲は慌てて駆け寄った。
「菜園を撤去しています。更地に戻すよう命じられましたので」
宦官は手を休めることもなく淡々と答える。
「誰がそんな命令を!?」
「わたくしよ」
玉玲が尋ねるやいなや、後方から女性の高い声が響いた。
見覚えのある若い女性が、二人の宮女を伴い菜園の方へとやってくる。
「王妃様」
作業をしていた宦官や宮女たちが、先頭の女性を見てうやうやしくこうべを垂れた。
王妃というのは、親王の正妃のことだ。その女性は昨日も一度目にしていた。幻偉と一緒にいた、いかにも気位が高そうな妃嬪。伽蓉に第四皇子の正妃には注意するよう言われ、ある程度の情報は得ていた。確か、名前は
「後宮にこのような場所はいりません。農村でもあるまいし。
「ここは御膳房の裏です! あなた方のような貴人の目に触れることはないでしょう!?」
汚いものでも見るように話す紫妍に、玉玲は躍起になって反論する。
「格式高い後宮にこんな場所があってはいけないの。わたくしは殿下に、北後宮の品位を保つよう命じられました。この区域の主である
紫妍に命じられ、宦官と侍女たちが作業を再開した。
「やめて! ここはあやかしたちと築いた大事な場所なんです!」
玉玲は苗を引き抜こうとした宦官の手を掴み止めて訴える。
「やっぱり、これはあなたの
紫妍は玉玲に侮蔑のまなざしを浴びせると、引き連れてきた二人の宮女に命令した。
「あなたたち、その娘を捕まえておきなさい。作業の邪魔よ」
命を受けた二人が玉玲の腕を片腕ずつ掴んで押さえ込む。
「何をするんですか! 放してください! 私だってこれでも幻耀様、第五皇子の――」
「母親の家格が低い皇子の妃に、力などあるものですか。それにあなた、捨て子だそうね」
「それが何だっていうんですか!」
「皇族出身の母を持つわたくしに逆らうことなどできないのよ。ここでは全て身分と出自が物を言うの。格下のあなたはわたくしの前では何の力もないということよ! ほら、早くなさい。鶏小屋も撤去してしまうのよ!」
苗の排除を終え、手を止めていた宦官に、紫妍が高らかに命を下した。
宦官は鶏小屋の扉を破壊し、中にいた鶏たちの首を掴んで外へと引きずり出す。
「やだ、やめて!」
絶叫に近い玉玲の声が、周囲一帯にむなしく響き渡った。
「やめろ~!」
莉莉が宦官へと飛びかかり、行動を
「よせ、連れていくな!」
「その鶏たちを放すニャ!」
三毛と茶トラも必死に抗議したが、宦官たちは涼しい顔をして門の方へと退散していく。
菜園には、荒れ果てた畑と鶏小屋の残骸だけが残った。
そこでようやく玉玲は宮女に体を解放される。
だが、もうできることはない。変わり果てた菜園の様子を呆然と眺めることしか。
「これに
紫妍は勝ち誇ったように告げると、高らかな笑い声をあげて去っていった。
玉玲は失意のあまり、その場にへたり込む。
「やっと大きくなってきたところなのに」
大事に育てていた
「ひどすぎるニャ……」
茶トラと三毛もがっくりと肩を落とす。
玉玲は言葉を発する気力もなく、ただ視線をさまよわせた。
いつの間にか周囲に黒っぽい靄が漂っている。
たった半日足らずで北後宮の空気が一気に濁ったように思えた。
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