第4話


「あなたは誰? どうしてこんな場所にいたの?」


 玉玲は茶トラを地面におろして質問する。

 だいたい予想はついているけれど。


「僕、げんといいます。十三番目の皇子です」


 やはりそうだったか。玉玲は納得しながら、幻羽と名乗った少年を観察する。

 顔立ちはまだ幼く、年は七歳前後だろう。霊力のある幼少の皇子は第十三皇子だけだと聞いていた。親王なのでこの区域にいるのはわかるが、どうして一人でいたのだろう。

 その疑問に答えるように幻羽が口を開く。


「今日から霊力のある皇子は北後宮で暮らさなければならないと言われて、宮女と一緒に来たんですけど、あやかしが立てた物音にびっくりして、どこかに逃げちゃって。一人で歩いていたら兄上たちが……」


 幻羽の目にじわりと涙がにじんだ。


「僕、ここに来る資格はないんです。おじい様は罪人だから……」


 玉玲は不思議に思って尋ねる。


「罪人? でも、捕まってはいないんでしょう?」


 おじい様というのは先帝ではなく母方の祖父、家の当主のことだろう。呉家の当主は皇后と結託し、孫を太子に据えようとした疑いで尋問を受けていた。当然当主は関与を否認し、証拠もなかったため罪に問われることはなかったが、その件ですっかり力を失ってしまったと聞いている。そのせいもあり、程家が権勢を振るうようになったのだと。

 失脚はしたものの、呉家の当主が罪を認めて捕まったとは聞いていないのだが。


「そうだけど、貴妃様や兄上たちに言われました。おじい様は皇后と結託して、金の力で権力を握ろうとした悪だぬきだって。その孫に皇位を継ぐ資格はないって。僕、そんなもの欲しくないのに。北後宮になんて来たくなかったのに。ずっと母上の側にいたかった」


 幻羽の目から大粒の涙がこぼれ落ちる。


「ううっ、ははうえぇ~っ」


 ついに幻羽は声をあげて泣き出してしまった。

 玉玲は幻羽と視線が合うようにかがみ込み、慌てて彼をなぐさめる。


「泣かないで。あなたのことは私が守るから。あの意地悪なお兄さんたちが来たって大丈夫。さっきみたいに追い返してあげるからね。誰にもあなたを悪く言わせたりしない」


 幻羽はしゃくりあげるのをやめ、初めて玉玲のそうぼうを見た。


「……守ってくれる?」

「うん。寂しい時には側にいてあげる。だから、もう泣かないで。ね?」


 玉玲は取り出したしゅきんで幻羽の涙をぬぐい、頭を優しくでてやる。


「……母上」


 幻羽は小さくつぶやくと、甘えるように玉玲の体に抱きついてきた。


 母親が恋しいのだろう。確か、彼の母親が流行病で亡くなってまだ半年もたっていなかったはずだ。そのうえ、こんな場所に一人で送り込まれて、寂しくないはずがない。

 同情した玉玲はそのまま体を貸し、幻羽の背中をなだめるように撫で続けた。


 それからしばらくたった後。


「おいっ、いい加減、玉玲から離れろよ」


 莉莉の声に反応して、幻羽はハッと玉玲の背中から手を放す。


「ごめんなさい。迷惑をかけて。あの、あなたは……?」


 どう答えようか迷ったが、玉玲は身分を明かすことにした。


「これでもいちおう妃なの。あなたのお兄様、第五皇子の」


 絶対驚かれるに決まっているが、もう開き直ってしまおう。


「びっくりしたよね。こんなちんちくりんが皇子の妃だなんて」

「いいえ! 優しくて、とても温かくて、素敵な女性だと思いました。幻耀兄上の妃にふさわしいです」


 幻羽は大きく首を横に振り、頬を赤らめながら玉玲の顔を見あげた。

 何ていい子なのだろう。玉玲は幻羽の気遣いと素直さに感動を覚える。自分をバカにした面々に、彼の爪のあかせんじて飲ませてやりたい。特に幻晴に。


「幻羽様は太子――じゃなくて、五番目のお兄様と話したことはあるの?」

「はい。狩りがあった時、体を気遣ってくださいました。幻耀兄上も優しくて好きです」


 幻羽はもじもじと答え、玉玲にこう要求した。


「あの、僕のことは幻羽と呼んでください。様をつけられると悲しくなるので」


 皇子といっても、確かまだ八歳の少年だ。うやまわれることに抵抗があるのだろう。


「わかった。私は玉玲。幻羽も呼び捨てにしてくれていいよ」


「……いえ。その、姉上って呼んだらだめですか? 僕にはもう親身になってくれる家族がいないので」


 束の間、沈黙する玉玲だったが、笑みを浮かべて応じる。


「いいよ。あなたがそう呼びたいなら」


 幻晴はお断りだが、幻羽ならばいいだろう。姉弟に見えなくもないし、何より彼に喜んでもらえるのなら。これから姉弟のようにつき合っていきたいとも思う。


「ありがとうございます、姉上!」


 幻羽は少年らしいはつらつとした笑顔で礼を言った。

 こうやって笑うと、どことなく昔の幻耀に似ている。かわいらしくて素直だし、玉玲は幻羽のことをすっかり気に入ってしまった。お菓子をあげたら喜んでくれそうだ。


 部屋に招こうかと考えていたところで、路の先から女性の声が響いた。


「殿下!」


 三十代くらいと思われる宮女が、慌てた様子で駆け寄ってくる。


「申し訳ありません、殿下! 突然物音がして、気が動転してしまって」


 弁明する宮女を悲しそうに見て、幻羽が玉玲に彼女を紹介した。


「いつも僕の面倒を見てくれている宮女です」


 宮女は少し息を整えてから、「さあ、まいりましょう」と言って幻羽に手を差しのべる。

 幻羽は戸惑った様子で玉玲の顔を見あげた。どこかごりしそうに。


「私はそこの殿舎に住んでいるから。いつでも訪ねてきてくれていいからね」


 玉玲は幻羽に笑顔で告げる。

 幻羽は安心したように表情をやわらげ、「はい」と返事をして宮女の手を取った。


 離れていく幻羽の背中を眺めながら、玉玲は安堵の溜息をつく。


「よかった。他にも太子様を慕ってくれる存在がいて」


 一時は身内に味方が誰もいないのではないかと心配していたのだ。幻羽と幻晴。幻羽はまだ子供で、幻晴は性格に少し難があるが、二人の存在を頼もしく思う。


「まあ、あの子には見る目があるかもしれないわね」


 漣霞は頷いてくれたが、莉莉は忌々いまいましそうに鼻を鳴らして反論した。


「おいらは気にくわねえぞ。あいつ、玉玲に媚びを売りやがって。わざとらしい」

「莉莉、大人げない嫉妬は見苦しいぞ」


 三毛が指摘し、漣霞と茶トラも賛同する。


「そうね」

「そうニャ!」

「嫉妬じゃねえ!」


 明らかにろうばいする莉莉を見て、他のあやかしたちはニヤニヤと笑った。

 玉玲も彼らにつられて笑みを浮かべる。

 住居を追い出され、どうなることかと思ったが、あまり悲観しなくてもいいのかもしれない。自分にはこうして笑い合える仲間がいる。幻耀にも慕ってくれる弟がいるのだから。きっとこの先もうまくやっていけるはず。


 今の生活に希望を見いだす玉玲だったが、その後すぐ考えが甘すぎたことを思い知らされるはめになる。


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