第2話


 幻晴は目をぱちくりさせて周囲を見回した。


「え? 妃? いったいどこに?」

「目の前にいる。彼女の他に誰もいないだろう」


 さまよっていた幻晴の目が、ようやく玉玲の姿をとらえる。


「……。……って、え~~~~~~っ!?」


 驚きすぎだろ。

 玉玲は苛立ちつつ気落ちする。そんなに幻耀の妃に見えないのだろうか。


「冗談ですよね? だって、どんな美姫に言い寄られてもいっだにしなかった兄上が。こんな童女――いや、ちび、いや、ちんちくりんを妃にするなんて……!」


 言い直しても、いちいちしゃくにさわる。ていうか、どんどん失礼になってないか?


 機嫌を損ねていく玉玲に、幻晴は階を飛びおりて謝罪した。


「大変失礼いたしました! 兄上の趣味がこれほど変わっているとは思わず。これからはぜひ姉上と呼ばせてください!」

「いえ、お断りします」


 玉玲はきっぱりと答えてやる。同い年とはいえ年下にしか見えないし、彼に気安くそう呼ばれたくない。何より自分は幻耀の本当の妃ではないのだから。


「そうおっしゃらずに! 兄の妃は俺の嫁――じゃなかった、俺の姉も同じ。ぜひ実の姉弟のように接していただければ――!」

「彼女に触るな、幻晴。お前は俺の妃にまで言い寄るつもりか?」


 玉玲の手を握ろうとした幻晴に、幻耀が苛立ちをあらわに告げる。 


「人聞きの悪いことをおっしゃらないでください! 俺は女性に対して誠実ですよ!」

「十七で三人も妃妾ひしょうを抱えておいて、よく言う」

「十八になってもめかけ一人得ようとしなかった兄上が異常なんですよ! 複数の妃妾をもうけ、より多く子孫を残すことは、言わば皇子の義務。それを兄上は……」


 幻晴の言葉を聞いて、玉玲の胸はチクリと痛んだ。皇子は複数の妃妾をもうけ、子を成さなければならない。幻耀もそうあるべきなのだ。


「一人でもめとったのだからいいだろう。お前の妃妾はどうした? しばらくここで暮らすことになるのだろう?」

「ええ。妃たちは王府に置いてきました。北後宮なんて怖くて近寄りたくないと言われてね。どうせまた兄上が太子に選ばれることになる、すぐ王府へ戻ることになるのだからと説得したのですが。『すぐ戻れるなら一人で行ってください』ですよ。つれないなぁ」


 妃妾のことを訊かれた幻晴は悲しそうにこぼす。


「本当に冗談じゃないですよ。せっかく妃たちと王府で幸せに暮らしていたのに。第四皇子が欲を出すから、太子になりたくない俺まで巻き添えに。ああ、妃たちの肌が恋しい」


 彼の愚痴を聞くにつれ、玉玲はどんどん腹が立ってきた。妃一人にならまだしも、複数の女性に対して何を言っているのだ、この男は。 

 幻耀も幻晴を白い目で見つつ、面倒くさそうに尋ねる。


「他の皇子も単身で戻ってくるのか?」

「どうでしょう。でも、女性は抵抗があると思いますよ。ここにはあやかしがうじゃうじゃいますからね」


 幻晴がそう答えた直後のことだった。


「あら、わたくしは怖くありませんわよ。軟弱な女たちと一緒にしないでくださる?」


 後方から立て続けに女性の声が響く。


「わたくしも怖くありませんわ。主人が太子になれるかどうかという時にづいてはいられませんもの」


 振り返ると、着飾った五人の若い女性たちが、こちらへと近づいてきた。その後方には、お付きの侍女と思われる宮女たちが続いている。前方の五人は髪をぞうせいきんようできらびやかに飾りたて、明らかに身分が高そうだ。


 誰だろう。首を傾げたところで、階下までおりてきた幻耀が教えてくれた。


「第四皇子の正妃と妾妃たちだ」


 玉玲の胸にまた鈍い痛みが走る。第四皇子に至っては、五人も妃妾がいるのだ。

 でも、それが普通なのかもしれない。皇帝は皇后の他に四夫人、九嬪、二十七世婦、合わせて四十人もの妃嬪がいるのだから。

 この先きっと幻耀にも……。


 一人意気消沈していると、一番豪奢なじゅくんをまとった先頭の女性が声をかけてきた。


「あなた、ここの宮女? 荷物の運搬を手伝ってくれない? 人手がまだ揃ってなくて」

「失礼な方だな! その辺の童女にしか見えないかもしれないが、これでも兄上のれっきとした妃です。バカにしないでいただきたい!」


 いや、あんたが一番バカにしてるけどな。

 妃をたしなめたつもりの幻晴に、玉玲は半眼を向けた。


「ええっ!? うそでしょう!?」


 妃妾たちが一斉にきょうがくの声をあげる。

 うん、その反応にはもう慣れた。


 妃を演じていることが申し訳なく思えてきて、玉玲は肩を縮める。

 珍獣でも見るような妃妾たちの視線が痛くなり、その場から離れようとした時だった。


「早かったな、お前たち。午後でいいと伝えたはずだが?」


 聞き覚えのある男性の声が、玉玲の鼓膜を震わせる。ざわりと肌があわった。

 第四皇子の幻偉だ。


 大路おおじの先から近づいてきた幻偉に、正妃と思われる先頭の女性が頬を赤らめて答えた。


「早くここの暮らしにみたくて。少しでも殿下とご一緒したかったのです」

「まだ住まいの準備もできていないのだぞ。まあ、これからするつもりだったのだが」


 幻偉は軽く笑うや、幻耀に鋭い視線を向けて言い放つ。


「ここをどいてもらおうか、幻耀。今日から私たちがこの乾天宮けんてんきゅうで暮らす」


 直ちに幻晴が「無礼な!」と怒りの声をあげた。


「太子である兄上にその口の利きよう――」

「太子? 昨日までの話だろう。今は私が上。兄であり、血筋もいい私の方がな」


 幻晴の言葉を途中で遮り、幻偉は尊大に告げて鼻を鳴らす。


 玉玲は伽蓉から教わった皇族の序列を思い出し、拳を握りしめた。

 霊力のある皇子は親王に封じられ、あやかし討伐を担う代わりに皇帝に次ぐ身位と待遇を与えられる。だが、親王はみな同列ではなく、長幼の他に母親の身分の高い者が優位となり、俸禄や住まいなどあらゆる面で優遇されるというのだ。

 幻耀が廃嫡された今となっては、幻偉の方が上と言われても文句をつけられない。


「主上の許可はいただいている。乾天宮は明け渡してもらおうか。お前はあいている殿舎に移ればいい。住みついているあやかしどもを追い出してな」


 口角を吊りあげた幻偉にならって、妃妾たちもあざけるようにわらう。


「あなた方は――!」

「やめろ、幻晴。住む宮殿にこだわりはない。俺には広すぎると思っていたくらいだ」


 食ってかかろうとした幻晴を、幻耀が淡々とたしなめた。


「他の殿舎って、蜘蛛くもの巣が張っていそうなところしかないじゃない」

「まあ、あの妃にはお似合いね」


 妾妃たちが玉玲を見くだすように凝視して、高らかな笑い声をあげる。


 自分はバカにされても構わないが、幻耀のことをあなどられたくない。

 意見しようとする玉玲だったが、幻耀に手首を掴まれ、その場から引き離された。


「太子様」 

「玉玲、俺はもう太子じゃない」


 幻耀は冷ややかに告げると、玉玲の手首を放し、一人で歩き出してしまう。


「住む場所についてはお前と伽蓉に任せる。俺は雨露さえしのげればそれでいい」


 幻晴が後ろから「兄上!」と大声で呼び止めた。

 それでも幻耀は一度も振り返ることなく、離れていってしまう。


 彼には闘うつもりがないのだろうか。淡泊な態度を見て、玉玲の胸に不安が募っていく。

 まだ近くにいるはずなのに、その背中がとても遠く思えた。


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