第二章 契約夫婦の受難

第1話



 げんに捕らえられた他のびょうかいたちは、その日の夜には戻ってきた。

 彼らには特に大きな怪我もなく、ぎょくれいはひとまずあんする。

 ただ、露露ろろげん耀ようほうじゅつを施してもらっても、ずっとぐったりしたままだった。


 玉玲は一晩中部屋で露露を看病し、一向に回復しない彼の身を案じていたのだが。


「露露?」


 突然起きあがった露露に、びっくりして声をかける。

 玉玲が作って持ってきたやくぜんななくさがゆを食べて、少したった後のことだった。


「食べたら何だか力が湧いてきました。すみに戻ります」


 露露は丁寧な言葉遣いで言って、ゆっくりと歩き出す。昨日は料理をいっさい受けつけず、薬膳も自分では食べられなかったほど衰弱していたのに。


「大丈夫なの?」

「はい。僕がいろいろしゃべってしまったことで、ご迷惑をおかけしました」

「ううん。ずっと黙っていてくれたんでしょう? それであんな目に」


 すぐに雪珠のことについて話していれば、大怪我を負うこともなかったはずだ。

 申し訳なく思う玉玲に、露露は小さく首を横に振る。


「いいえ。あなたたちのせいじゃないんです。話すことで彼女が危ない目にあうんじゃないかと思ったから」


「……彼女って、雪珠せつじゅさん?」

「はい。雪珠は僕のたったひとりの友達だったんです。住処が近くだったから、よくおしゃべりをする仲でした」


 確か、露露の住処が西のあずまやで、雪珠も西の園林ていえんだった。


「そうだったの」


 誠実そうな猫怪の露露と男勝りなじゅようの雪珠。性格は正反対に見えるが、意外に相性はよかったのかもしれない。


 露露が「じゃあ」と言って再び歩き出したので、玉玲は部屋の扉を開けに走る。力があって器用な猫怪なら扉を開けることもできるが、怪我をしている彼にはまだ無理だろう。


「困ったことがあったら訪ねてきてね。あなたのための料理もまた作るから」


 体を気遣いながら送り出すと、露露はぺこりと頭を下げて去っていった。


 ちょうど玉玲の部屋へと向かってきた幻耀が、驚いた表情で露露に目を留める。


「あれはどういうことだ? 今朝様子を見にきた時は、まだぐったりしていたが」

「それが、料理を食べた後、急に元気になって。私も驚いているんですけど」

「なるほど。お前の料理には、あやかしをやす不思議な力があるようだな。霊力がこもっているのか、札やまじないよりよほどよくくらしい」


 怪我をしたあやかしに料理を食べさせたのは初めてだが、とてもそんな効果があるとは思えない。玉玲は別の可能性を考える。


「昨日のお札や呪が効いてきたんですよ。私の料理なんて普通に作っているだけですし」

「いや、あやかしたちが夢中になるくらいなのだから、何らかの力があるのだろう。普通あやかしはあそこまで料理を食べたりしない」

「味を気に入ってくれたんじゃなくて?」

「もちろんそれもあるだろうが。お前の料理は旨いからな。俺も食べたくなってきた」


「……え? でも、ようさんが用意してくれたんじゃないですか? 朝食はもう取られたんでしょう?」


 今朝伽蓉が、自分に任せてほしいと言って、幻耀の料理を作っていた。二刻(一時間)ほど前のことだから、とっくに食べたと思っていたのだけれど。


「それが、彼女の料理は朝から食べる気になれなくてな。にんにくをふんだんに使った牡蠣かきやら牛肉やらうなぎやら重い料理ばかりで、受けつけなかったのだ」


 玉玲は赤面しつつ頭を押さえる。全て精力を増強させる食材だ。彼女は朝からいったい何を期待しているのだろう。


 目をそらそうとする玉玲に、幻耀は柔らかなまなざしを向けて言った。 


「俺はお前の料理が一番好きだ。どこか優しい味がする」


 幻耀の言葉を受け、玉玲の胸に熱い感情がこみあげる。

 うれしく思うと同時に恥ずかしくもあった。『好き』という言葉に意識がいきすぎて。料理を気に入ってくれているだけだとわかっているのに。


「じゃあ、何か軽めの料理を作ってきましょうか?」


 彼と少し離れて、胸や顔の熱さを冷ます必要もあった。


「ああ、頼む」


 うなずく幻耀に、玉玲は「部屋で待っていてください」と言って、走廊ろうかを走り出す。


 まだ胸が少しドキドキした。早く料理をして心を落ちつけよう。

 そう思い、宮殿前のきざはしを駆けおりた時だった。 


「兄上! 兄上はおられるか!」


 宮殿に繋がる路の先から朗々とした男性の声が響く。

 えん色の戦袍せんぽうを着た十代後半くらいの青年が、こちらへと向かってきていた。


 男子禁制の後宮に幻耀と宦官以外の男性が現れたことに、玉玲は驚く。

 そういえば昨日皇帝が、霊力のある皇子は北後宮で暮らすように言っていた。

 つまり、この青年は――。


「そこの童女、兄上はこちらか?」


 侵入者の正体について考えていたところで、青年が玉玲に尋ねてきた。


「ど、童女!?」

「お前、宮女見習いの童女だろう? 兄上とお話ししたい。兄上! 兄上~!」


 青年は失礼極まりない推測をして、宮殿の方へ大声で呼びかける。


「うるさいぞ、幻晴げんせい。聞こえている」


 声を聞きつけたのか、幻耀が宮殿の入り口に姿を現した。


「兄上! ご無事で何よりです!」


 青年は階を駆けあがっていき、幻耀の体をひしと抱きしめる。


「くっつくな、暑苦しい」


 直ちに幻耀が青年の両肩を押して、体からがした。


 幻耀の反応は素っ気ないが、かなり親密な間柄のようだ。


「えーと、そちらの方は……?」


 少し気おくれしつつく玉玲に、幻耀はためいきをついて答えた。 


「第八皇子・ふう幻晴。俺の三つ下の弟だ。母親が違うこともあり、年は一つしか変わらないが」


 やはり皇子だったのか。玉玲は幻耀の弟皇子である幻晴を改めて観察する。

 髪は後頭部で一つに束ね、装飾品はいっさい身につけていない。身長は幻耀より少し低いが、がっちりとした体つきをしている。皇子というより武人という印象だ。異母兄弟であるためか、眉が少し太く口は大きめで、幻耀とは顔があまり似ていない。


「兄上、聞きましたよ。てい一族と第四皇子のやつ、何とおうじょうぎわの悪い! 太子にふさわしいのは兄上だというのに!」


 二人の顔を見比べていると、突然幻晴が吐き散らした。


「大変な時に、お側にいられず申し訳ありません! 脱獄した罪人の追跡にかり出されておりまして、宴に出ることもできず。話を聞いて、思わず近くの木をへし折ってしまいましたよ! その場にいたら剣を抜いていたかもしれません!」


 玉玲は意外な思いで幻晴の顔を見る。幻耀のために怒ってくれる身内がちゃんといたのだ。


「こんな弟君がいらしたんですね。何だか少し安心しました」

「どこに安心できる要素がある? 少し剣のけいをつけてやっただけでまとわりつかれ、鬱陶うっとうしくてかなわない」

「つれないことをおっしゃらないでくださいよ! この幻晴、兄上を尊敬申しあげているのです! 兄上に手合わせしていただき、かんなきまでにたたきのめされた時から! それまでは正直、武芸において自分にかなう皇族はいないとうぬぼれておりました。それを兄上は……! 武芸が優れているだけではなく、頭脳明晰、眉目秀麗、質実剛健! これほど完璧な人間は他にいない! とても尊敬せずにおられましょうか!」

「もういい。うるさいから黙れ」


 熱弁を振るう幻晴に、幻耀はうんざりした様子で告げる。


「あなたのような方がいてくれて、頼もしいです。どうか太子様の力になってやってくださいね」

「もちろん言われなくてもそうするが。お前、何様だ? 宮女見習いのくせに偉そうに」

「偉そうなのはお前の方だぞ、幻晴。兄の妃に対する礼儀も知らないのか?」

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