第10話


 最大勢力と言われている程一族の派閥。更に、皇子を産んだ上級妃嬪の親族も、たんたんと至高の座を狙っているという。

 幻耀が太子にさくりつされたことで収束しかけていた権力争いが、皇帝の決断次第でまた始まろうとしているのだ。

 百を超える人々の視線が、禁色の天幕へと注がれる。


 みながかたを呑んで見守る中、皇帝はおもむろに口を開いた。


「幻耀は廃嫡とする」


 程家の面々の目が喜色を帯びて輝く。


 玉玲は悔しさをこらえるように強く拳を握りしめた。

 せっかくここまで北後宮の空気をきれいにできたのに。

 幻耀が北後宮の主でなくなれば、自分も出ていかなければならないだろう。

 あやかしたちとも仲よくなれたのに、もう会えない。きっと幻耀にも。

 涙がにじみそうになり、目をつむる玉玲だったが。


「だが、幻耀にはまだ機会を与えることにする。瘧鬼の問題を解決してみせよ。さすれば、復位も考えよう。だが、ぎゃくの感染者が出ればそれまでだ。よいな?」


 起死回生とも言える皇帝の言葉が耳に入り、玉玲はパッと目を開ける。

 もしかして、北後宮から出なくてもいいのだろうか。あやかしたちや幻耀と別れなくても。


「主上、それではあまりに処罰が軽いのではないでしょうか? 殿下に太子の資質がないことは、こたびの件で明らかです。太子となられたのも、結局は武芸だよりでしたから」


 程貴妃が納得できないといった様子で主張し、尚書令も娘に賛同する。


「まことにその通り。太子の座をいつまでも空位にするわけにはいかなかったからといえ、あのような選び方をされたから。管理能力のなさが浮き彫りとなったのですぞ」


 ――あのような選び方?


 疑問に思うや、すぐ伽蓉が小声で答えてくれた。


「太子候補は最終的に殿下と第四皇子に絞り込まれたものの、なかなか決まらず、面倒に思われた主上が、武芸の試合で勝った方を冊立するとおおせられたのです。それで殿下が圧倒的な力を示し、勝利されました」


 誇らしげな顔をしていたのも束の間、伽蓉のけんに悔しさを示す線が刻まれる。


「決して武芸だけが優れているわけではありませんのに。聡明さも霊力も度量も全て殿下が上です。あんなのただの負け惜しみですわ!」


 声は抑えていたため伽蓉の怒りが伝わることもなく、重臣たちは口々に幻耀を非難する。


「あやかしたちを管理できない殿下は、太子の器ではない」


 彼らの訴えを黙って聞いていた皇帝が、ようやく玉声を紡いだ。


「ならばお前たちは、自らの推す皇子こそが太子の器であるとでも言いたいのか? 武芸以外は全て幻耀より優れていると」


 重臣たちがぴたりと口を閉ざす。さすがにここで支持する皇子を挙げるほど、ふてぶてしくはないようだ。


 複雑そうな顔をする重臣たちを見渡し、皇帝は「わかった」と言って、少しだけ口角をあげた。


「ならば他の皇子にも機会を与えよう。己こそが太子にふさわしいと証明してみせよ。成果をあげれば、太子に冊立してやらなくもないぞ」


 重臣たちが、にわかにざわめきだす。


「それは、太子を選び直すということでしょうか?」

「そのようにとらえてもよい。このままの環境では公平であるとは言えぬからな。霊力のある皇子は、また北後宮で暮らすがよい。半年という期間を設けよう。その間にあやかしがらみの問題を解決し、太子としての力を示せ」


 程貴妃の問いに答え、皇帝は挑発するような目で幻偉を凝視した。


「どうだ? 自信がないか?」


 しばらくの間、しゅんじゅんするように沈黙していた幻偉だったが。 


「わかりました、主上。証明してみせましょう」


 自信さえみなぎらせて、彼は宣言する。


「幻偉」

「大丈夫ですよ、母上。私に武芸以外で他の皇子に劣るところなど一つもない。必ず主上に認めさせてご覧に入れます。私にはその力がある」


 母親が心配そうに見つめてきても、幻偉の昂然とした目は少しも揺らがなかった。


「せいぜい励むがよい。宴はこれにて終了とする」


 皇帝が淡々と告げて席を立つ。


 その姿が奉極殿の奥へ消えると、静まり返っていた広場に、ざわめきが戻り始めた。


「では、さっそく準備に取りかかりますので、私もこれにて失礼を」


 幻偉が程貴妃に向かって拱手し、宴の場から退去しようとする。


「待ってください!」


 すかさず玉玲は制止の声をあげ、睨むように幻偉を見すえて訴えた。


「北後宮のあやかしたちを捕らえているのでしょう? 返してください。その子のことも。悪さもしていないのに、何てひどい……!」


 露露は息も切れ切れで、もはやしゃべることもできない様子だった。雪珠に関する証言を引きだそうとした幻偉に、ひどい拷問を受けたのだろう。幻偉を睨む玉玲の目に、敵意と嫌悪感がにじんでいく。


「このあやかしは絵姿を見せた時、反応したにもかかわらず真実を話さなかったから尋問したまでだ。他のあやかしもすぐ北後宮へ戻すさ」


 幻偉は肩をすくめて返し、広場からさっそうと去っていった。

 直ちに玉玲は露露のもとへと駆けつけ、体をそっと抱きあげる。


「かわいそうに」


 傷口を刺激しないように背中を撫でていると、幻耀が近づいてきて露露を気遣った。


「あやかしに薬は効かないが、の札とまじないなら効果がある。北後宮へ連れて戻ろう」


 玉玲はハッと顔をあげ、幻耀に確認する。


「また北後宮で暮らしてもいいんですね? あやかしたちと別れなくても」


 一度は全てをあきらめかけたのだ。とても喜べる状況ではないけれど、救いはあった。


「ああ。お前のおかげだ。俺がお前を守ると言ったのに、結局守ってもらったな」


 優しい目を向けてきた幻耀に少し鼓動を高鳴らせつつ、玉玲はすぐに否定する。


「いいえ、私は何も。もとはと言えば私のせいですし」


 文英を助けるようあおり、露露を守ると約束させてしまったのだから。


「いや、俺が自分で決めたことだ。後悔はしていない」


 幻耀は一度首を横へ振り、真剣な表情で玉玲を見つめた。

 その言葉に玉玲は救われた思いになる。

 けれども、とても楽観はしていられない。 


「最悪の状況は回避できましたが、これから大変なことになりそうですね」


 門へ消え去ろうとしている幻偉の背中を眺めながら、玉玲は不安を募らせる。


 宮廷の最大勢力を後ろ盾に、牙を剥いたのごとき兄皇子。

 そして、皇帝の血を引くまだ見ぬ他の太子候補たち。

 一度おろされていた皇位を巡る闘いの幕が今日、再び切って落とされたのだ。



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