第9話


 どんどん不利な状況へと追い込まれ、冷や汗を浮かべた伽蓉だったが、それでも幻耀を救うべく反論する。


「そのあやかしが嘘をついている可能性もあるでしょう!」

「嘘? なるほど、せんの場で嘘をついたということであれば、そのあやかしは滅する必要があるな」


 幻偉が腰にいていた妖刀を抜き放ち、切っ先を露露へと向けながら幻耀を見やる。


「いかがでしょうか、太子殿下? そのあやかしが嘘をついているのか。それとも、本当のことを言っているのか。さあ、どちらかな?」


 百を超える人々が集う広場に、束の間、張りつめた空気が流れた。


 その話は嘘だと言えば、露露が断罪されることになる。

 だが、露露の証言を認めてしまえば、幻耀が――。

 焦燥を募らせていく玉玲に反し、幻耀は落ちつき払った表情で淡々と答えた。


「その猫怪は嘘をついていない。そこに描かれているのは北後宮にいた樹妖だ」


 幻偉の黒い目が、わなにかかった獲物を見るようにギラリと輝く。 


「普通に管理していたのであれば、あやかしが北後宮から脱走することなどないはずです。あなたが逃亡の手引きをしたのでは?」


 畳みかけるように幻偉が追及した。


「ありえません! 聞けば、脱獄した罪人は殿下を暗殺しようとはかったのでしょう? それなのに、殿下が逃亡の手引きをするなんて、考えられない話ではありませんか!」

「ならば、なぜあやかしが北後宮から逃げることができたのか?」


 潔白を示そうとする伽蓉だったが、鋭いところを突かれて押し黙る。

 北後宮のあやかしが城から逃げた。そのことを証明されてしまっては、責任から逃れるすべはない。


 玉玲は自らを責めるように唇をんだ。このままでは、自分のせいで幻耀に重い罪を背負わせてしまう。彼に文英を助けるようにあおったのは玉玲だ。露露に関しても。幻耀は露露を守るという、玉玲との約束を果たすために今の状況を受け入れたのだろう。


 大切な人が危機におちいっているのに、黙っている場合じゃない。


「それは、その樹妖は文英さん――罪人から護符を与えられていたんです。獄舎に閉じこめていたのですけど、私の監視が甘くて、逃げられてしまいました。あやかしたちの管理は、妃である私の役割。だから、全ての責任は私が負います!」


 幻耀に累が及ばないようにすべく、玉玲は胸に手をあてて主張した。

 だが、幻偉は玉玲を見くだすように眺め、鼻で笑って指摘する。


「妃の責任は太子の責任。そんな言葉で殿下の失態を不問にすることなどできませんよ」


 幻耀が立ちあがって何か言いかけたが、玉玲は押しとどめるように彼の手を掴んだ。

 もしかしたら、幻耀はもう罪を認めてもいいと思っているのかもしれない。だが、まだあきらめてほしくなかった。北後宮には彼が必要なのだ。あやかしたちにも。そして、自分にも。


 思いが伝わったのか、幻耀は無言で幻偉を見すえ、ただ時間だけが流れた。 



「まあ、いい。脱走した罪人とあやかしは、他の皇族たちに全力で追跡にあたらせています。捕らえて口を割らせればいい。太子殿下がここで共謀の罪を認めることはないでしょうからね。ただ、あやかしを脱走させた責任は問わせていただく」


 一度追及をゆるめたかに思えた幻偉だったが、幻耀を鋭く見すえて言い放つ。


「太子の一番大事な役割は、北後宮を問題なく管理すること。このような事態を引き起こしたからには、資質がないと言わざるをえない。力なき者に国家の大事を託すことなどできません。私は太子殿下のはいちゃくを要求します!」


 幻偉のこうぜんとした声が広場に重々しくこだまし、玉玲の胸を押しつぶした。

 これが目的だったのだ。幻偉は文英の脱獄に幻耀がからんでいるとあたりをつけ、しつようなまでに追い回した。そして、雪珠が北後宮から逃げたあやかしであることを証明するため、情報を持っていそうな猫怪を捕らえたのだろう。幻耀に対する疑惑を皇帝に突きつけて。弟を太子の座から引きずりおろすために。


「あやかしと結託した疑いも晴れていないことですし、廃嫡では生ぬるいのでは? わたくしは、親王の身分もはくだつされた方がいいのではないかと思うのですが」


 程貴妃の声が玉玲を現実へと引き戻す。政敵を失脚させ、息子を太子の座に据える絶好の機会なのだ。廃嫡でしとする幻偉とは違い、彼女の方は徹底的に幻耀を潰すつもりらしい。


「その通りです。あやかしを北後宮から逃亡させるなど前代未聞。これは大事件ですぞ。太子殿下には、親王位の剥奪をもって責任を取っていただくべきかと」


 娘の意見に同調し、尚書令が皇帝に進言する。


「殿下に太子の資質がないことは明白です! 主上、何とぞ公正なご判断を!」


 他の重臣たちも、最大勢力と言われる程家の二人にならい、幻耀の厳罰を訴えた。

 幻耀の後ろ盾だった皇后が投獄された今、味方となってくれる人物はいない。

 おそらくは、皇帝しか。


「待ってください! 太子様ほど資質のある方はいらっしゃいません!」


 玉玲はしんえんのような皇帝のそうぼうを見て、幻耀がいかに優れているかを説く。 


「頭が柔軟で度量が広く、人の話をよく聞いてくださいます。それはあやかしたちに対してもです。このひと月でどれだけ北後宮の空気がよくなったことか」

「玉玲、それはお前が」

「いいえ! 太子様があるじでなければ、私もあやかしたちも笑顔で過ごすことはできませんでした。あなたが私たちを信じてくれたから」


 思わず幻耀の言葉を遮り、熱い思いを吐き出してしまった。

 彼の理解がなければ、手にできなかったものがたくさんある。人間もあやかしも関係なく、みなが心安らかに暮らせる場所。そんな理想も一人では叶えられない。


「主上は、瘧鬼ぎゃくきのせいで流行病にかかる女性が増えたことを憂慮されているとうかがいました。私と太子様であればその問題を解決することができます。太子様がいなければだめなんです。必ず成果をあげるとお約束します。ですから、どうか太子様を、私たちのことを信じてください。お願いします!」


 玉玲は皇帝に挽回の機会を求め、深々と頭を下げた。

 あとは皇帝の慈悲と判断力にすがるしかない。

 馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに幻偉が鼻を鳴らす。


「筋の通らぬ屁理屈を。主上、あのようなごとに耳を貸す必要はございません。どうか厳正なる裁きを」


 重臣たちも「厳正なる裁きを」と復唱し、広場に水底のような静寂が落ちた。

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