第8話



 皇城の中心部、ほうきょく殿でん前の広場は鮮やかな衣裳をまとった人の姿でにぎわっている。

 きんじきの天幕が張られた上座には皇帝が鎮座し、その隣に三夫人、後方には九ひんと二十七世婦せふが並び、けんを競っていた。南側には、赤や青、緑の官服を着た重臣たちの姿もある。

 妃嬪と重臣が顔を揃えるのは念に数度。年中行事の宴の時のみだ。春の到来を祝う春元節しゅんげんせつの宴は、華やかかつ壮麗な雰囲気の中執り行われていた。

 楽師たちがしょうを奏で、芸妓たちが舞を披露する。天幕に備えられた卓子には、早咲きの桃の枝が飾られ、春塀しゅんぴんと呼ばれる小麦粉料理が並んでいる。これを食すのが暘帝国における春元節の風習なのだ。


 玉玲は料理にも舞にも目もくれず、ひたすら周囲を観察していた。第四皇子が何か仕掛けてこないか用心して。

 幻耀と自分の席は広場の西側に、皇族の席は東側にある。そこに第四皇子の姿はない。玉玲の後方に控えていた伽蓉が教えてくれた。皇族は原則、年中行事に参列しなければならない決まりなのに。他にもぽつぽつと空席が目につく。

 誰も不在者について問うこともなく、宴は進行していった。


 このまま何も起きなければ、それでいいのだけれど。

 宴も終盤へとさしかかり、安堵しかけていたところで、事態が動いた。


「主上!」


 鋭い男の声が、夕陽の光に覆われ始めた広場へと割って入る。

 年は二十前後。天鵞絨びろうどの長袍をまとった堂々たる風姿のじょうだった。


「……じゅん親王。あの方が第四皇子、ふうげん様です」


 南の大路おおじから現れた偉丈夫を見て、伽蓉が小声で教えてくれる。


 ついにきたか。玉玲はゴクリと息を呑み、近づいてくる幻偉に視線を据える。

 異母兄弟とはいえ、幻耀とは全く似ていない。髪は冠の中に全てまとめあげ、男らしい輪郭を強調させている。せいひつな美と空気をまとう幻耀に対し、幻偉は雄々しく自信に満ちあふれ、まるで月と太陽。正反対の印象だった。


 幻偉は皇帝の天幕へと進んでいき、手にしていた布の袋を地面に置いてひざまずく。


「遅くなり申し訳ございません。こやつがなかなか口を割らず。ようやく証拠が揃いましたので」


 そう言って布袋のひもほどくと、中からキジ白の猫怪が体を投げだすようにして現れた。


「……もしかして、露露……?」


 今朝、露露が消えたと報告してきたキジ白にそっくりだ。ただ、全身に傷を負い、ところどころ血で汚れている。まるで拷問によって体を切り刻まれたかのように。


 言葉を失っていると、幻偉が立ちあがり、周囲に視線を巡らせて言った。


「宴も終わろうという時に、不作法ではありますが、重臣方や張本人も揃っているのでちょうどいい。これより太子殿下の罪を立証したいのですが、よろしいでしょうか?」


 つかの沈黙を挟んで、広場一帯にざわめきが波及する。


「太子殿下の……!?」

「いったい何をされたとおっしゃるのか……」


「それは国にとって一大事! 早々に申されませ!」


 赤い官服を着た老年の官吏が、ひときわ大きな声で進言した。


ていしょうしょれい。程貴妃の父君で、第四皇子の外祖父ですわ」


 伽蓉が小声で伝えてきたが、玉玲はすぐに頭を整理できない。

 突然の展開に、気が動転しかけていた。


 せかすような重臣たちの視線を受け、皇帝が幻偉に「申せ」と続きを促す。

 幻偉は皇帝に向かって軽くこうべを垂れ、顔をあげるや早口で陳述した。


「太子殿下は北後宮のあやかしと結託し、死刑に処されるはずであった罪人を逃がしました。これは許されざる大罪です! 主上、何とぞ厳正なる裁きを!」


 心臓が大きく脈を打ち、玉玲は真っ青になる。

 幻耀が雪珠をわざと逃がし、文英の脱獄の手引きをした。そのことは玉玲と幻耀以外に知る者はいないはずなのに、なぜそれを?


「言いがかりです! 証拠はあるのですか!?」


 混乱する玉玲の代わりに、伽蓉がまなじりを吊りあげて反論する。秀女は皇族に意見できる立場ではないのだが、とても黙ってはいられなかったのだろう。


「無論。それを今ここで証明してみせよう。一同、まずはこちらをご覧いただきたい」


 幻偉が自信ありげに告げるや、彼のお付きと思われる宦官が、桐箱を抱えてやってきた。

 その箱から幻偉が一幅の彩色画を取りあげ、みなに見えるようにかかげてみせる。 


 ――あれは……!?


 玉玲は出かかった言葉と驚きをどうにか胸の中にとどめた。

 一つにくくった薄茶の長い髪に、眼光鋭い薄桃色の瞳。華奢な体には、白い長衣をまとっている。幻耀が逃がした樹妖の雪珠。まさしく彼女をえがいた工筆画だった。


「こちらは、罪人の逃亡を先導したあやかしの絵姿です。私はこの三日、ずっと罪人を追跡していましてね。ただの人間が城の牢から脱獄できるはずはない。あやかしがからんでいると踏んで捜査を続け、ついに足跡を掴んだのです。あと一歩というところで妖術を使われ逃がしてしまいましたが、顔や姿はしっかり記憶することができた。それを城の絵師に伝えて描かせたのがこれです」


 すかさず伽蓉が幻偉に食ってかかる。


「そのあやかしが殿下と結託したという証拠がどこにあるというのです!?」

「罪人は城の牢から逃げたのだぞ? 北後宮のあやかしの手引きで逃げたと考えるのが、一番自然な話ではないか」

「それは可能性の話でしょう? 城の外から誰かがあやかしを手引きしたのかもしれませんし。わたくしは、殿下があやかしと結託した証拠を示すよう申しあげているのです!」


 伽蓉が強い口調で訴えると、幻偉は少しの間、考え込むように腕を組んだ。


「証拠を示すのは、確かに難しい。あやかしは逃がしてしまったし、太子殿下もお認めにはならないでしょうからな。だが、このあやかしが北後宮のあやかしであることを証明することができたら?」


 薄気味悪い笑みを浮かべた幻偉に、玉玲はぞわりと皮膚をあわてる。


「言え」


 ぐったりしていた露露を足で軽く蹴って、幻偉が発言を促した。


 露露は一度体をけいれんさせ、弱々しくも、どうにか言葉を絞り出す。


「……そこに描かれているあやかしは、北後宮の園林ていえんで暮らしていた樹妖です。人に変化した姿を見たことがあります……」


 幻偉はしたりげにわらい、周囲に視線を巡らせる。


「わかっていただけただろうか? ああ、霊力のない者にはわからないだろうな。今、こやつはこう言った」


 幻偉によって伝えられた露露の発言を聞き、重臣たちは近くの者と顔を見合わせた。


「このあやかしは北後宮から脱走した。結託したかどうかはまだ証明できない。だが、あやかしをしっかり監視する立場にあるはずの太子殿下が、あやかしを城の外へ脱走させた。その責を問うことはできよう」

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