第7話



 露露の捜索を始めてから約八刻(四時間)後。


「他にも消えた猫怪がいる?」


 宮殿の近くを見回っていた玉玲は、莉莉の報告を聞き、眉根を寄せた。


「どこかにいる可能性はあるけどよ、仲間の姿が見あたらないって猫怪が二匹いたんだ」


「あたしは、昨日の夜、人間の男を見かけたっていう目撃情報を得たわ」


 莉莉と一緒にやってきた漣霞が、不穏な情報を口にする。


「……人間の男?」

「見慣れない大人の男だったそうよ」


 何やらどんどんきな臭い話になってきた。北後宮には原則、皇帝と幻耀以外の男性は立ち入ることができないはずなのに。


「今の情報、太子様は知っているのかな?」

「どうかしらね。今どこにいるのかわからないけど、見かけたら伝えておくわ」

「うん、お願い」


 玉玲の依頼に頷き、漣霞は鳥の姿になって飛んでいく。


「おいらも捜査に戻るわ」

「じゃあ、私も宴までもう少し見回りを」


 莉莉の後に続いて、駆け出そうとする玉玲だったが。


「なりません!」


 近くに控えていた伽蓉が、玉玲の腕をがっちり掴んで引き戻す。


「もう身支度をしなければならないギリギリのお時間です。さあ、こちらへ」


 有無を言わさず宮殿へと引きずりこまれ、玉玲は伽蓉を睨むように見すえた。

 今は大変な時なのに。


「事情はお察しいたしますが、今は宴の方が大事です。泥だらけの姿で行って、殿下に恥をかかせたくはないでしょう? それに、お妃様一人が捜査に加わっても、たいして変わりはございませんよ。あとはあやかしたちに任せましょう」


 正論をもって諭され、玉玲は押し黙る。

 朝食の後、あやかしたちに協力を募り、八十匹近くの猫怪や狐精に捜査を手伝ってもらっていたのだ。玉玲一人が加わったところで、たいした力にはならないだろう。

 ただ、何もせずに待っているのはとても心苦しかった。だから、渋る伽蓉に無理を言って、宮殿の近くだけでも見回らせてもらっていたのだけど。


 気が気ではない玉玲を部屋へと導き、伽蓉はてきぱきと主人の身なりを整えていく。


 その間も玉玲は事件についてずっと考えていた。

 見慣れない大人の男とは、いったい何者なのか。どうやって北後宮に入ったのだろう。北後宮であれば、警備の隙を突いて南後宮との間にある塀から侵入することも不可能ではない。だが、南後宮へ忍び込むのは無理だと言える。南後宮を通らず、北後宮へ入れる門は東にあるが、幻耀と皇帝しか出入りを許されていない。


 行方不明の猫怪たちもどこへ消えたのだろう。謎の男が関わっていたとして、連れ去る理由が全く読めない。進入経路も目的も何もかも。


「さあ、これで完了です。難しい顔をされていては、せっかくの化粧が台なしですわよ」


 思考を巡らせていたところで、伽蓉がたしなめるように告げて肩に手を置いてきた。

 玉玲はハッとして、鏡に映る自分の姿に目をらす。一瞬、誰かと思った。

 髪は左右のお団子から輪っか状に髪が垂れる双髻そうけいに結われ、花のかんざしきんようで飾りたてられている。身にまとっているのは、金糸で花模様をあしらった紅梅色のうわぎに、ひだの入った桃色のスカート。顔にはばっちり化粧が施され、本当に自分なのか問いたくなるほどの変貌ぶりだ。

 これは自分というより伽蓉の腕を賞賛するしかない。さすが、秀女。ここでも有能ぶりを発揮してみせるとは。


みがけば光るものですわね。これならば殿下もその気になるかもしれません」


 伽蓉が満足そうに玉玲を眺めて微笑んだ。

 いい加減、あきらめてくれ。

 切実に思っていると、部屋の外から男性の声がした。


「準備はできたか?」


 玉玲はドキリとして肩を震わせる。幻耀の声だ。


 直ちに伽蓉が扉を開け、彼を室内へと招き入れる。


 鏡台の前にいる玉玲を見た幻耀は瞠目し、しばらく無言でたたずんでいた。


 彼が思っていそうな言葉を察し、玉玲は悲しくなりながらそれを口にする。


「わかってます。猿にも衣裳ですよね。いえ、鬼龍子きりゅうしにも化粧ですか」


 以前一度はっきり言われた。どんな人間でも身なりを整えれば立派に見えることのたとえ。つまりは、元が猿や置き瓦程度にしか思われてないわけで。


「いや、きれいだ。思わず見とれてしまった」


「……えっ!?」


 予想外の言葉に玉玲は目を見開き、吃驚きっきょうの声をあげてしまう。漣霞に化粧や着つけを任せた時と、大きな差はないはずなのに。この反応の違いは何なのだろう。

 自分を本当の妃にしたくて、おだてているだけ? それとも――。


「殿下も惚れ惚れするほどの男ぶりですわ。ねえ、お妃様?」


 戸惑っていると、伽蓉がニヤニヤしながら訊いてきた。


 玉玲は改めて幻耀の姿を観察する。蛟龍こうりゅうの文様があしらわれた濃藍こいあいの長袍に蔽膝ひざかけを合わせた、いつもよりも華やかで豪奢な格好だ。つやめいた黒髪は一部だけを冠でまとめ、背中に流している。

 男性なのに女性よりも美しい。自分なんかかすんでしまうほど。


「……太子様の方が素敵です……」


 思わず賞賛の言葉をもらしてしまった。

 伽蓉がニヤリと笑ったことに気づき、玉玲は真っ赤になってうつむく。何だが、してやられた気分だ。


 恥じらう玉玲に、幻耀は軽く微笑みかけて告げる。


「では、行こうか」


 手を握られ、玉玲の心臓は陸にあがった魚のごとく跳ねた。

 そのまま幻耀に手を引かれ、部屋の外へと導かれていく。


 走廊ろうかに控えていた侍女に、伽蓉が小声で命令した。


「いちおう夜伽の準備をしておいてちょうだい。今宵はお召しがあるかもしれません」


 ――いや、ないから!


 玉玲は心の中で声を大にする。聞こえていたと思われたくないし、幻耀にあまり意識してほしくない。

 空気を変えるべく、慌てて幻耀に別の話を振る。


「太子様、途中で漣霞さんに会いませんでしたか? 追加情報があるんですけど」


 真っ先に話しておくべきことだったのに、空気に流され遅れてしまった。


「ああ、さっき聞いた。俺も外廷でその件に関する情報を得て、戻ってきたところだったのだ。宴に集中できなくなるから、お前には終わってから話すつもりだったのだが」


 幻耀は少し迷うように眉根を寄せる。


「気になって余計集中できませんよ。今話してください」


 真剣な表情で訴えると、彼は小さく息をついて口を開いた。


「昨日の夜、第四皇子が二刻だけ北後宮へ立ち入ったらしい。調査のためだと言って、主上の許可を得てな。俺は夜中まで城を出ていたから、伝わるのが遅れたようだ」


「……第四皇子が? 調査のためって、いったい何の……?」

「詳しい話までは聞けなかった。だが、火急の用件だったらしく、俺への断りもなく断行したようだ。もしかしたら今日、第四皇子から話があるかもしれない」


 玉玲は大きく息を呑み、混乱しそうになる頭を必死に整理する。 


「じゃあ、露露たちをさらったのは、第四皇子? いったい何のために……」


 第四皇子は幻耀の一つ上の兄で、四夫人の一人である程貴妃の息子だ。最後まで幻耀と太子の座を争っていたと聞く。

 もしかして、幻耀を追い落とすための謀略なのだろうか。


「第四皇子の目的はまだわからない。ただ、何かが起こることは間違いないだろう」


 硬い顔つきの幻耀を見て、玉玲の胸に不安が降り積もっていく。

 消えたあやかしたち。幻耀の不在をついて北後宮に侵入した兄皇子。

 謎が解けるに従って、幻耀がきゅうに追い込まれていくような。


「心配するな。何も悪さをしていないのであれば、露露のことは俺が守ってやる。玉玲、お前のことも」


 嫌な予感を振り払うかのように幻耀が告げ、握っていた玉玲の手に力を込める。

 繋がれた手と心臓が熱を帯び、少しずつ不安をやわらげていく。

 

 自分も守りたい。あやかしたちも、幻耀のことも。

 全身全霊で大切なものを守り抜く。

 玉玲は幻耀の手を握り返し、暗雲漂う皇城の上空を見すえたのだった。


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