第6話



「昨日のいぬこく?」


 宿舎へとおもむき、問題の時間に何をしていたか尋ねると、伽蓉はいぶかしげな顔で答えた。


「その時間帯は、みなで一緒に夕食を取っておりましたわ」


 突然何を? という表情だが、嘘をついたりごまかしていそうな様子はない。

 みんなで一緒にいたということは、現場不在証明アリバイはあるわけか。


「誰か夜に西の園林ていえんへ行ったということもありませんね?」


 戌の刻が確かとは言えないので、念のために確認する。

 侍女たちは不思議そうに顔を見合わせ、「はい」と返事をした。

 まあ、暗い時間帯にあんな場所へ行こうと思う女性はいないだろう。彼女たちに霊力はないという話だし、普通の女性に猫怪を捕らえることなど不可能だ。


「いったい何がありましたの?」


 思考を巡らせていると、伽蓉が首を傾げて訊いてきた。


 玉玲はキジ白の話を伽蓉たちにも伝える。説明もなしでは彼女たちも気になるだろう。より多くの情報を得るためには、事情を話しておいた方がいい。


「……人間が、あやかしを……?」


 説明を聞き終えた伽蓉は、しばらくの間沈黙してから、神妙な面もちで口を開く。


「お妃様、わたくしたちを疑われているわけではないと思いますが、言わせていただきます。わたくしが集めた侍女は身元のはっきりした娘たちです。殿下の危うい状況はわたくしが一番理解しております。殿下の外敵となりうる輩と繋がってないか、精査して選びました。もし少しでも殿下に災いをもたらそうものなら、この伽蓉、死んでおびを――」

「いやいや、わかってますって! みんなが今回の事件に関わっていないことは。ただ、誰かがうっかり西の園林に迷い込んで、偶然それを目撃されただけなのか、確認したかっただけなんです」


 玉玲は慌てて伽蓉の言葉を遮り、弁明を加えた。

 西の亭で目撃された人影が、迷い込んだ侍女たちのものなら問題はない。違う場合が厄介なわけで。


「違うということは、わたくしたち以外の人間が北後宮に侵入したというわけですわね。その日、殿下が戻られたのは、戌の刻よりずっと後でしたし」


「……侵入。やっぱりそうなんでしょうか」

「ええ。北後宮へ入ることができるのは殿下とお妃様以外にわたくしたち五人のみ。たいかんも特別な許可がない限り出入りできません。何者かが侵入したとしか考えられませんわ」


 伽蓉の意見を聞き、玉玲は腕を組んで考える。幻耀の暗殺未遂事件があったため、塀周辺の見回りを強化していると聞いたが、どこかにほころびがあったのかもしれない。


「太子様に報告した方がいいですね」

「ええ。何があるかわかりませんから」


 早い方がいいと促され、玉玲はさっそく伽蓉を伴い乾天宮へ向かった。連れ去られたかもしれない露露のことが心配だし、侵入した人間が幻耀に牙を向けてくるとも限らない。

 まだ朝早いので、この時間なら彼は乾天宮のしんしつにいるはずだ。


 宮殿の入り口から走廊ろうかを進み、ちんきんで装飾されたくろうるしの扉の前に立つ。


「太子様、ちょっといいですか?」


 声をかけると、すぐ中から幻耀が返事をした。


「ああ。入れ」


 玉玲は遠慮なく扉を開け、室内へと足を踏み入れる。

 しかし、臥牀の前に立つ幻耀に目を向けるや、「ぎゃっ」と小さな悲鳴をあげて、外へと逃げ出した。

 はだかだったのだ。下にはかろうじてズボンを身につけていたけれど。細身なのに意外と筋肉質で、腹筋がみごとに割れていた。

 彫刻のように美しい裸体がまぶたに焼きついて離れない。


「もうっ。着替えの途中なら、中に通さないでくださいよ!」


 玉玲は部屋の外から真っ赤になって抗議した。こういう面においては、本当に無神経な男性である。心臓が飛び出るかと思った。


「今のうちに慣れておかれた方がいいですよ。いずれ毎晩目にすることになりますから」


 後ろに控えていた伽蓉が、にこにこと笑いながら助言してくる。

 まったく、どいつもこいつも。うぶな乙女心を全くわかっていない。


 完全に着替えが終わる頃合いを見計らって、玉玲は再び扉を開けた。


「この時間に訪ねてくるということは、急ぎの用なのだろう。どうした?」


 づくえの前に座っていた幻耀が、真面目な顔で尋ねてくる。

 何か問題が起きたことには気づいていたようだ。 


 玉玲は気持ちを切り替え、今朝聞いた話を彼に伝える。

 露露という猫怪が突然消えたこと。昨日の晩、西のあずまやで人影を見たあやかしがいること。

 もしかしたら、外から侵入した何者かが露露を連れ去ったかもしれない。そのことを伝えると、幻耀は神妙な面もちをしてつぶやいた。


「……西の亭か」


 その場所が引っかかっている様子だ。


「何か思いあたることでもあるんですか?」


 幻耀は「いや」と答えたものの、表情は冴えない。どこか思いつめているような。

 西の亭といえば、彼の母親を殺した樹妖がいた木の近くだ。その時のことを思い出してしまったのだろうか。

 追及するのはいけない気がして、玉玲は自分なりに対策を考える。あやかしが人影を見たのは気のせいで、莉莉たちが露露を見つけてくれたらいいのだけれど。きっと今回の問題は、そう簡単には解決しない。

 何だかとても嫌な予感がする。


「どうしたらいいんでしょう。私、約束したんです。その子を見つけるって。でも、後宮の外へ連れ去られたのだとしたら……」


 思わず弱音をこぼしてしまった。

 眉をくもらせる玉玲の頭に、幻耀が優しく手を置く。


「心配するな。その時は俺が何とかする」


 玉玲の胸から不安が薄れていき、代わりに鼓動がどんどん速くなっていった。

 どうしてなのだろう。彼に触れられると、体の調子がおかしくなってしまう。


「いちおう俺もこの区域を見回ってみよう」


 立ちあがった幻耀に、玉玲は「じゃあ、私も」と言って、後についていこうとする。今は個人的な感情に振り回されている場合じゃない。


「いや、いい。お前は朝食の用意をしていろ。女は宴の準備にも時間がかかるだろう」


 『宴』という言葉を聞いて、玉玲はハッとする。

 そういえば、今日は午後から春の訪れを祝う宴があるのだ。いろんなことがありすぎて、すっかり忘れていた。


「伽蓉、玉玲の手助けをしてやってくれ」


 依頼した幻耀に、伽蓉は「かしこまりました」と応えて、こうべを垂れる。


 宴なんかに参加している場合ではないのに。


「お妃様にはお妃様の役割がございます。しっかり勤めに励まれませ。それが殿下の望みです」 


 後を追おうとしたが、伽蓉に腕を掴まれ、玉玲は先へ進めなくなってしまう。

 離れていく幻耀の背中をただ見送ることしかできなかった。


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