第5話



 伽蓉の講義を受けたり料理の準備をしたりしているうちに、三日が過ぎた。

 忙しすぎて、その間の記憶はあまりない。頭は伽蓉に教えこまれた学問や教養の内容で破裂寸前だ。


 夜の勤めについては、幻耀が伽蓉に無理いしないよう言ってくれたため、どうにか逃れられている。

 だが、事あるごとに伽蓉にはっをかけられ、玉玲の疲労は極限まで達していた。

 唯一与えられた自由時間。それは早朝、起きてからの数刻のみ。


「はぁ~。ここに来ると落ちつくなぁ」


 玉玲は畑の前に立ち、深呼吸をくり返す。ここは御膳房の裏に築いた小さな菜園だ。あやかしたちの力を借りて土をたがやし、幻耀が持ってきてくれた野菜の苗を植えてある。

 鶏を飼うための小さな産卵箱も作り、中からは「コケー」という鳴き声が聞こえてきた。まるで昔暮らしていた農村にいるようで、心がやされるのだ。


「こんな時間に起きてくるなんて、あんたちゃんと眠れているの? 人間には、あたしらあやかしとは違って睡眠が必要なんでしょ?」


 野菜の水やりをしていると、漣霞が菜園に姿を現し、尋ねてきた。

 莉莉や他の猫怪たちも集まってくる。


「睡眠のことなら大丈夫。朝から晩まで休むいとまもないでしょう? だから衾褥ふとんに入ったら、ぐっすりだよ」


 臥牀しんだいに入ってしまえば、伽蓉にとぎのことをあれこれ言われなくて済むという算段もあった。割と夜の早い時間に寝てしまうので、早起きも苦ではない。


「畑のことはおいらたちに任せてくれてもいいんだぜ。あとは水やりくらいだろ?」


 猫怪は普通の猫とは違い手先が器用で、簡単な作業なら手伝うことができるのだ。

 気遣ってくれた莉莉に、玉玲は菜園を眺めながら告げる。


「そうだけど。ここに来て、みんなと話すことが唯一の息抜きなんだ。野菜の様子を観察するのも楽しみだし」


 、大根、人参、長ネギ、南瓜かぼちゃ。野菜の面倒を見ていると、こうしてあやかしたちが寄ってきてくれる。彼らと話をするのが、最近では一番の楽しみなのだ。


「少しずつ大きくなっている気がするな。自らが食す物を育てるのもまた乙」


 よく水やりを手伝ってくれる三毛の猫怪が、好物の南瓜を眺め、満足そうに言った。


「いつ実るのかニャ。早く食べたいニャ!」


 我慢できなくなったのか、茶トラの猫怪が茄子の苗に手を出そうとする。


「実るのはまだだいぶ先だよ。でも、楽しみだよね。自分たちで育てた野菜を食べるのが。その時期になったらみんなで収穫して食べようね」


 茶トラを抱っこして阻止し、玉玲はあやかしたちに微笑みかけた。

 あやかしたちも笑顔でうなづき、菜園一帯になごやかな空気が流れる。

 だが次の瞬間、後方から響いた声が、あいあいとした雰囲気に亀裂を入れた。


「管理人さん!」


 しょうそうに満ちた表情で、キジ白の猫怪がこちらに駆けてくる。

 『管理人さん』というのは玉玲のことだ。最近では、玉玲をそう呼ぶあやかしが多い。


「ああ、ここにいたんだね。困ったことが起きたんだ」


 息を切らせるキジ白に、玉玲は面もちを正して問う。


「どうしたの?」


 キジ白はどうにか呼吸を整え、不安をあらわに答えた。


露露ろろが、僕の弟である猫怪が消えたんだ。昨日の夜からずっと姿が見えない」


 あやかしたちは「知ってる?」と言わんばかりに顔を見合わせる。


「ちゃんと探したのか? どうせどっかで遊んでるだけだろ」


 重くとらえていない莉莉の言葉を、キジ白は直ちに否定した。


「そんなことはない! 朝までずっと探したさ! それに、聞き込みをしていて、気になる話を聞いたんだ。昨日の夜、露露の住んでる西のあずまやで人影を見たって」

「……人影?」

「ああ。目撃した猫怪によると、夕食から二刻ほど経過した時間だったって。最近ここに来た人間が迷い込んだんだろうと、あまり気にしなかったらしいんだけど。僕はその人間が怪しいと思うんだ」


 キジ白の推理に、漣霞が口を挟む。


「その人影が露露をさらったってこと? どうしてそんなことをする必要があるのよ。猫怪一匹捕まえたからって、人間には何の得にもならないでしょう?」

「でも、おくびょうもので滅多にすみから出ない露露が消えるなんておかしいんだ。状況的にもその人影が露露の失踪に関わっていると考えるのが自然だろう?」


 キジ白の説明に納得したのか、漣霞も他のあやかしたちも押し黙った。


「露露はたったひとりの家族なんだ。もしかしたら、ひどい目にあわされているかもしれない。ああ、僕はどうしたら……」


 不安で居ても立ってもいられない様子のキジ白に、玉玲は励ますように声をかけた。


「大丈夫だよ。その子のことは私が見つけるから。約束する」


 あやかしたちの不安を取りのぞくこともまた自分の役割だ。人間が忍び込んだのであれば、幻耀に危険が及ぶことにもなりかねない。全力で解決にあたらなくては。


「まずは、人影に関することだよね。私、伽蓉さんたちに話を聞いてみるよ」


 情報収集から始めるべく、玉玲はあやかしたちに言って動き出す。


「じゃあ、おいらは他のあやかしたちに呼びかけて露露を捜してみるわ」


 莉莉が告げると、他の猫怪たちも頷いた。


「露露って確か、あんたにそっくりなキジ白の猫怪だったわよね? 仕方がないわ。あたしは鳥に変化して、高いところから露露を捜してあげる」


 漣霞はしぶしぶといった様子で、狐色の鳥へと変化する。

 ここにいるあやかしたちは、玉玲にとって本当に心強い存在だ。

 おろおろしていたキジ白だったが、ようやく明るい表情になって礼を言う。


「みんな、ありがとう」


 玉玲は小さく頷いて応え、伽蓉たちのいる宮女の宿舎へ向かって走り出した。


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