第4話


「殿下をそのように変えられたお方です。妃としてふさわしい。だからあなた様には何としても本当の妃になっていただきます。そのためにこの伽蓉、命をかける所存ですわ!」


 伽蓉はやる気を取り戻して告げ、玉玲の腕を掴んだ。


「というわけで、講義がまだ途中です。戻りましょう」

「ちょっと待ってください! 私はあやかしたちの食事を作らなければならないんです。それが私の仕事ですから」

「いいえ。契約とはいえ、あなた様は太子妃。お妃様のお仕事は殿下に仕えることです。まずは知識を身につけられませ」


 相変わらず聞く耳を持たない伽蓉に、玉玲は危機感を募らせる。

 どうすれば、自分の言葉に耳を傾けてくれるのだろう。


「あやかしたちに料理を作ることは、太子様のためにもなるんです!」

「……殿下のため?」


 伽蓉がピクリと眉を震わせ、腕に込めていた力を弱める。

 効果あったか。


「あやかしたちの心をなごませれば、後宮の空気がよくなります。流行病の原因になる鬼が寄ってくるのを防げます。そうすれば、太子様の仕事も減るし、後宮で暮らす人々のためにもなるんです。太子様の評価もあがるでしょう?」


 たたみかけるように説得を続けると、伽蓉は玉玲の腕から手を放した。


「殿下のためになることなら、仕方ありませんわね」


 思った通り。幻耀のことをに使えば、ちゃんと話を聞いてもらえる。彼のことを一番に考えているようだから、そこを突けばいいのだ。


「まだ夕食には少し早いですが、ついでですし、お手伝いいたしますわ。これが終われば講義にも戻れるでしょう?」


 あんためいきをついていたところで、伽蓉がくりやへと進んでいき、野菜の皮を剥き始めた。

 じゃがいもや大根の皮がまたたく間にがれていく。身はほとんど削られていない。玉玲など足元にも及ばないほどのかみわざだ。

 仕事を奪われて文句を言いそうな漣霞も、ただ目を丸くしている。


「すごい。お料理、お上手なんですね」


 多彩な教養を身につけているのに、良家の子女というのは、料理までできるのか。


「いちおう市井では一児の母として家のことはこなしておりましたし。わたくしの主人は、しがない下級官吏でしたので」

「お子さんやご主人がいたんですか!?」


 少し意外に思いつつ、残された家族のことをおもんぱかって訊く。


「離れてしまってもいいんですか?」


 自分や幻耀のために、彼女は家族と離れて暮らすことになったのだ。

 申し訳なく思う玉玲だったが、伽蓉は晴れやかな表情で「はい」と答えた。


「わたくしには殿下の方が大事ですから。暇を出された後、主人の押しに負けて結婚しましたが、ずっと後宮に戻りたいと思っておりました。いつの日か殿下が呼び戻してくれると信じて。その日のために、殿下に仕えるに足る侍女を育ててきたりもしたのですよ」

「そこまで太子様のことを……?」

「ええ。恐れながら殿下のことは我が子と思い、お育てしてまいりました。素晴らしい才能を持たれ、性格も容姿も完璧です! あの方こそ次の皇帝にふさわしい! わたくしの不出来な子や亭主と比べるなど、おこがましい限りですわ!」


 狂信的なまでの愛情を目の当たりにして、玉玲は漣霞と一緒に苦笑いをこぼす。愛が深すぎて、ちょっと怖い。


「またお仕えすることができて、わたくしは果報者です」


 幸せそうな伽蓉の顔を見ていると、玉玲は素直にうれしく思えてきた。いきすぎた部分はあるけれど、ここまで幻耀を思ってくれる人がいて。

 幻耀の力になりたい、そう思う気持ちは一緒だ。だから、彼女ともきっとうまくやっていけるだろう。こんなに有能な人が味方になってくれて心強い。

 伽蓉に対する印象を改めていた時だった。


「伽蓉様、言われていたものをお持ちいたしました」


 御膳房の入り口から女性の声が響く。伽蓉が城の外から連れてきた侍女だ。


「あら、ご苦労様。そちらへ置いてちょうだい」


 侍女は「かしこまりました」と言って、持ってきた食材を厨房の台に並べた。牡蠣かき、牛肉、卵、にんにく、胡桃くるみこんやまいもなど。食材に統一感がなくて、何の料理を作りたいのか全くわからない。


「何か作るつもりだったんですか?」

「はい。精力を増強するための料理を。よいは殿下にもがんばっていただかなくては!」

「はあっ!?」


 伽蓉の返事を聞いて、玉玲は裏返った声をあげる。


「本日よりあなた方のお食事は、わたくしが用意させていただきます。お妃様にもご懐妊しやすくなる食べ物を――」

「やめてください! 私は契約妃で、三年後には後宮から出ていく予定なんです。太子様のお子を産むつもりはありません!」


 はっきり意思を伝えた玉玲に、伽蓉は哀れむようなまなざしを向けた。


「あのように素敵な殿方に見初められたというのに、ぜいたくなことを。殿下に抱かれたいと思う女性は山のようにいるのですよ?」

「だから、私に与えられたのはそういう役割じゃないんですって! 私は太子様の妻として望まれてるわけじゃなく、あやかしたちを導いて後宮の空気をよくするために――」

「別に妻としての役割も果たしてくれていいのだぞ。お前がその気になってくれるのなら、俺は大歓迎だが」


 玉玲の言葉をさえぎるように後方から声が響く。


 玉玲はドキリと心臓を高鳴らせて振り返った。


「太子様!?」


 幻耀が白い夜着に上衣うわぎっただけの格好で、御膳房へと入ってくる。


「ずっと飲まず食わずだったから腹が減った。この時間ならここにいると思ってな」


 玉玲に伽蓉を紹介した後、彼は乾天宮けんてんきゅうへ戻り、ずっと仮眠を取っていたらしい。任務中、ろくに食事もしていなかったのだろう。玉玲の手料理を求め、やってきたようだ。


 それより、さっき何て言った?


 ……いや、いい。何も聞かなかったことにしよう。


 気にせず料理を続けようとする玉玲だったが。


「あらあら。では、すぐにご用意いたしますわ。お妃様、こうおっしゃっておいでなのです。今宵は殿下のしどにあがらせていただきましょう」


 無視しようとした幻耀の話を蒸し返し、伽蓉が笑顔で提案してくる。 


 彼の子供を産むつもりはないと言っているのに。本当に人の話を聞いちゃいない。


「いいえ! その気になんてなりませんから!」


 玉玲は断固として拒否し、まな板に包丁を叩きつけたのだった。


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