第2話


「放っておいて悪かったな。任務で城を離れていた」


 うつむいていると、幻耀が抑揚のない声で話しかけてきた。


「任務?」


 その言葉に不穏な空気を感じて、玉玲は彼の顔を見あげる。

 幻耀は硬い表情で答えた。


「文英の追跡だ。北後宮の管理者として、表向きだけでも参加しなければならなかった」


 玉玲はゴクリと息を呑み、緊張した面もちで問う。


「それで、文英さんたちは……?」


 死罪になるはずだったところを幻耀の手引きで逃亡した文英と、桃の樹妖の雪珠。彼らは無事京師みやこの外へ脱出することができたのか。


「今のところは無事だ。追っ手を別の方向に誘導したからな」


 返事を聞いてひとまず安堵するも、玉玲の胸にすぐ別の不安が湧きあがってくる。


「太子様は大丈夫なんですか?」


 文英を逃がしたことで、幻耀にも疑いの目が向けられるのではないだろうか。その件に関する真偽はどうあれ、雪珠が北後宮のあやかしであることが判明すれば、管理者として責任を問われることにもなりかねない。なぜそこまで気が回らなかったのだろう。


 文英を助けるようにあおった自分を責めていると、幻耀が気遣うように表情をやわらげて言った。


「雪珠は運よくまだ人の目には触れていない。程貴妃ていきひの一族はこの機に俺を糾弾したいところだろうが、俺が関わったことを裏づける証拠などないからな」


 大きくて温かみのある手が、玉玲の頭を優しくポンと叩く。 


「心配するな。そんなことより、お前に土産みやげがある」

「……土産?」


 ドキリとしつつつぶやいたところで、幻耀の後方に人の姿が見えた。

 四人の宦官たちが荷車を引きながらこちらへと向かってくる。その荷台には大量の食材の他に、かごに入った四羽のにわとりと野菜の苗などが積まれていた。

 以前、鶏の飼育と野菜の栽培ができるように要望を出していたのだが、ちゃんと覚えていてくれたのだ。


「土産としては、色気がなさすぎたか」

「いいえ、すごくうれしいです! ちょうど食材もなくなりかけてましたから」


 玉玲は幻耀の言葉を即座に否定し、笑顔を見せた。


「こんなもので喜ぶ女はお前くらいだな」


 幻耀の口もとがほころび、優しいまなざしが玉玲の胸を熱くする。

 何て柔らかい表情を見せるようになったのだろう。見つめられていると、鼓動の高鳴りが止まらない。


「けっ、ほんとシケてるぜ。おいらなら、好きなめすにはひらひらの布とかきらきらの石とか、もっとしゃれたものを贈るけどな。気のかない野郎だぜ」


 漂いかけた甘い空気を裂くように、莉莉が幻耀を刺々とげとげしく非難した。


「ううん、莉莉。私、きれいな宝石とかしょうよりこっちの方がずっとうれしいよ」


 かぶりを振って否定する玉玲に、漣霞が白い目を向ける。


「バカじゃないの? 女なら高価な宝石と衣裳でしょ。幻耀様、あたしには? この前、捜査に貢献したら褒美をくれるって言ってましたよねぇ?」

「そうだぞ! おいらにもよこせよ!」


 漣霞と莉莉に詰め寄られ、幻耀は肩をすくめて告げた。


「心配するな。そっちもちゃんと用意してある。玉玲、お前にも。おまけつきでな」

「……おまけ?」


 どこに用意しているのだろうと、玉玲は幻耀とその周辺を見渡してみる。宦官たちが引いてきた荷車には、食材と鶏や野菜の苗以外は何も載っていない。


「きゃあ、宮女たちが何か持ってきたわ~。あたしへのご褒美はあれね!」


 いち早く人がやってきていることに気づいた漣霞が、東の路を指さして言った。


 宮女のお仕着せを身にまとった女性たちが、衣裳箱を抱えて近づいてくる。いくぶん年かさの宮女が先頭を歩き、その後方に四名の下っ端たちを従えているといった様相だ。


「あの女は!?」


 先頭の宮女を見た漣霞が、何かに気づいた様子で声をあげた。

 知っている女性なのだろうか。年は四十前後で、高い身長と笑んだように細い目が特徴的な女性だった。玉玲との面識はない。南後宮でも見かけたことはなかった。


 じっくり観察していた玉玲を尻目に、先頭の宮女が幻耀にきょうしゅの礼を取る。


「お久しゅうございます、殿下。手塩にかけて育てた侍女と一緒に馳せ参じました。お呼びいただき、うれしゅうございますわ」


「よく来てくれたな、よう。突然の要請にもかかわらず、すぐに応じてくれて感謝する」


 にっこりと微笑む宮女に、幻耀はねぎらいの言葉をかけた。

 伽蓉と呼ばれた女性の目尻に涙が浮かぶ。


「しばらく見ない間に、ずいぶんとご立派になられて。孤高の虎のように人を寄せつけなかった殿下が。この伽蓉、殿下の期待にこたえ、お妃様に誠心誠意お仕えいたしますわ」


 伽蓉はそでで涙をぬぐい、胸に手をあてて宣言した。


「それで、お妃様は宮殿の方でございますか?」


 辺りを見回す伽蓉に、幻耀は玉玲の方を見て答える。


「いや、そこにいる」


「そこ? 宮女見習いしか見あたりませんが。この辺りに隠れておいでなのですか?」


 玉玲をいちべつだけした伽蓉は、近くの茂みまで調べ始める。

 自分を捜しているようなので、「あのー」と声をかけたが、無視されてしまった。

 玉玲を妃だとはつゆほども思っていないのだろう。


「そちらの女性は?」


 複雑な気持ちになりながら、幻耀に彼女のことをく。


秀女しゅうじょの伽蓉だ。以前、俺の教育係もしてくれていた。お前のことも頼もうと思ってな」


 玉玲はいろんな意味で驚き、「えっ!?」と声をあげた。

 秀女とは、選抜試験で選ばれた良家の子女にだけ与えられる役職だ。貴人に仕える内官ではあるが、宮女よりもずっと格が上で、一部の秀女は皇帝のひんにもなりうる。

 そんな優秀な人材が、なぜ自分なんかの教育係に?


 玉玲の疑問を察したのか、幻耀が淡々と説明する。


「文英がいなくなり、さすがに人手不足がすぎるだろう。お前には妃として学んでほしいこともある。三日後に皇族が集まるうたげもあるからな。伽蓉の力が必要だと思ったのだ」


 その言葉を聞いた伽蓉が、きょうがくの表情で玉玲をぎょうした。


「まさか、殿下。そちらのちんちくりん――いえ、小柄な女性が? 難攻不落の殿下を落としたとうわさの玉玲様!?」


 まるで殭屍キョンシーにでも遭遇したかのような驚きようだ。


うそでしょう? 品位や知性のかけもないじゃない」

「宮廷一の美男とうたわれる殿下に見初みそめられたのだから、どんなかと思っていたのに」


 引き連れていた宮女たちまでもが、小声で驚きをあらわにする。


 ……聞こえているんだけどな。


 そんなに妃には見えないだろうか。玉玲は自らの格好をかえりみる。花色のあわせに白いズボン。以前文英が用意してくれた作業着だ。袖はところどころ調味料で汚れている。童顔で背は低いし、うん、これではどこからどう見ても見習い宮女だ。幻耀の妃としてふさわしくない。


 肩をすぼめる玉玲に、信じられないという目を向けていた伽蓉だったが。


「まあ、これはこれで腕が鳴るというもの。この伽蓉、玉玲様を殿下にふさわしい立派な妃に育てあげてみせますわ!」 


 自信ありげに胸をたたいて、彼女は豪語する。


 玉玲の胸には、ふつふつと嫌な予感が湧いてくるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る