第18話 【運命の女性】はこの世界に二人いるようだ

 激動のバレンタインデーが終わった。


 小町先輩を送った俺は、疲れ果てた身体に鞭を打ちながら家へと帰っている。

 体力を使い果たして身体的には辛い状態な筈なのだが、不思議と心は満たされていた。


 その後、家に到着すると自転車を指定の場所に停めた後、玄関のドアを開ける。

 すると食べなれた料理の香りが漂ってきた。

 この臭いを嗅いだだけで、今日の夕飯が何なのかが一瞬で分かってしまう。


「今日は母さんの得意料理のカレーか……」


 俺は荷物を廊下に置くと、そのままリビングへと向かう。


「昌彦ちゃんおかえりなさい。ご飯はもう直ぐできるからね」


「母さん、ただいま。って言うかそろそろ、【ちゃん】づけを辞めてくれない?」


「えっ!? どうして、昌彦ちゃんは、昌彦ちゃんじゃない!?」


「俺ももう高校生だし、人前で【ちゃん】づけされるのは恥ずかしいって言うか……」


 俺の言葉を受けて、母さんのテンションが見るからに下がっている。

 しかし年頃の男の大多数は【ちゃん】づけで呼ばれたく無い筈だ。


「おいっ、昌彦! お前のせいで母さんが悲しんでいるじゃないか!? お前は就職するまでの間、父さんと母さんに育てて貰っている立場なんだぞ! だからそんなお前が母さんに文句を言うのは筋違いだ。今すぐメンタルを鍛えて、人前で【ちゃん】づけされても動じない強い男になれ!」


 いつもの指定席で料理が出来上がるのを待っていた父さんが、母さんを擁護する為に俺に対して文句を言ってきた。

 ここまで母さんを第一に考えられる父さんが凄いと感じる。


「ったく、いつでも父さんはブレないな。そこまで母さんが一番ってのはある意味凄いよ」


「そりゃそうだろ? 俺は母さんにぞっこん、なんだからな」


「よく息子にそんな恥ずかしい事が言えるな…… って言うか父さんに質問があるんだけど」


 俺はどうしても、父さんに聞いておかなければいけない事があった。


「ん? なんだ言ってみろ」


「なぁ、父さんが言っていた【運命の女性】って一人だけじゃないのか?」


「なんだその質問は?」


 父さんは眉を歪め、意味が分からないといった表情へと変わる。


「いや…… 二人いたりするのかなって思って」


「何を馬鹿な事を? 確かに米倉家を繁栄させてくれる人が【運命の女性】だと言われてるけど、そういう特別な人間が何人も現れたりはしないだろう。父さんだって母さん以外の【運命の女性】なんていなかったぞ」


「そうだよな。 じゃあ、もしも【運命の女性】が二人、現れたらどうすればいいと思う?」


「一人を選ぶしかないんじゃないか? ここは日本で二人同時に結婚は出来ないんだからな」


 父さんの言った事はもっともな事だろう。


 それにハッキリ言って俺は小町先輩の事しか知らない。

 星野夢さんは今日あったばかりの人であり、星野さんの顔にも文字が見えただけである。

 今の俺にとっては他人と言って差支えが無い。


 今の状況でどちらを選べと言われたら百パーセント小町先輩だ。


 けれど、あの小町先輩に俺みたいな男が釣り合うとも思えなかった。


「そうだよな。父さんの言う通りだ」


「なんだ? もしかして【運命の女性】が見つかったとか?」


「そんなんじゃねーよ」


 俺はそう言って会話を切る。

 その時、皿にカレーを盛った母さんがテーブルまでやってきた。


「ご飯できたわ。昌彦ちゃんも早く着替えてきなさい」


「わかってるよ」


 そう言われた俺は部屋に上がると、制服を脱いでラフな服へと着替える。

 着替えが終わると、夕食を食べる為に一階のリビングへと向かう。


 俺がリビングに戻った時にはテーブルの上には見た目も旨そうなスープカレーが並んでいた。


 母さんはカレー料理が得意で、月に5~6回はカレーが出てくる。


 そして今日のカレーはシーフードスープカレーだ。

 俺は母さんのカレーが大好きだった。


 俺が料理を作る事が好きになったのも母さんの影響が強い。

 

 母さんは料理が得意だった。

 母さんの料理は手間を惜しまず食材の旨味を十分に引き出している。


 シーフードと言ってもメインとなる食材の種類は多い。

 代表的なシーフードと言えばエビ、イカ、貝、魚など、パッと思いつくだけでもこれだけ思い浮かぶ。

 

 今日はムール貝をメインとしたスープカレーだ。

 自分の前に差し出されたカレースープが入った器を見つめていると、カレースープの茶色と色鮮やかな緑色系野菜が目を釘付けにする。

 メインのムール貝が見当たらないのだが、米倉家では調理中に貝殻を取る様にしていた。

 これは食べやすさを重視した結果なのだが、美味しさには変わりはなく、香りをかげばムール貝とスパイスの甘く刺激的な香りが鼻の奥を刺激する。


 カレーのスパイスが効いた香りをかぐだけで、俺の口内は大量の唾液が溢れ出し、早くカレーを食べたいと訴えてきた。


 堪えきれなくなった俺は、まず最初にスープだけをスプーンですくうと飲んでみる。

 口に入れた途端、ムール貝の旨味が口いっぱいに溢れ出してきた。

 スープのベースにはいつも白ワインを使っている。

 口の中では白ワインの甘みが広がった後、スパイスの刺激が後追いしてくる。


 次にふっくらと炊けたライスををすくってスープと絡ませる。

 そしてたっぷりとスープが絡んだ口に放り込むと、ライスの甘みとカレーのスパイス絡み合い。

 噛むたびに旨味が溢れ出してくる。

 

 美味すぎて一度食べだしたら、ライスが無くなるまで手が止まる事はなかった。


 一言言っておくが、ワインを使っているが過熱してアルコール成分は飛ばしているので酔う事もなく、葡萄の甘みと旨味がカレーに溶け込み、味を一段階引き上げる隠し味となっている。


 今日まで何百回と食べなれた味であり、慣れた味が一番美味しいと感じてしまうのは仕方ない事かも知れない。

 目を閉じていても、母さんがどんな手順でこのカレーを作ったのかがわかる。

 

 今度、小町先輩にもこのカレーを食べさせてあげたいと思った。

 

「やっぱり。母さんのカレーって美味しいな」


「そう? そう言って貰えるのが一番嬉しいわ」


「父さんは毎日言ってるけどな」


 俺に嫉妬した父さんが口を挟んできた。

 息子に嫉妬するなんてどれだけ心が狭い父親なんだろう。


「そう言えば、さっき昌彦ちゃんとお父さんが【運命の人】って話していなかった?」


「母さん【運命の人】じゃなくて、【運命の女性】だよ」


 父さんが母さんに説明している。


「昌彦が【運命の女性】が二人いたりするのかって馬鹿な事を聞いてきたんだよ」


「女性から見たら【運命の人】でいいのよ。その【運命の人】が二人いるって話。母さん、昔に本で読んだ事があるわ」


「へぇ~ それでどんな事が書いてあったの?」


 俺は興味本位に聞いてみる。

 

「えっと確か一人目が「愛する事、失う辛さを教えてくれる人」で二人目が「永遠の愛を教えてくれる人」だったかしら?」


 なんだか難しいそうな言葉が出て来た。

 まだ女生徒付き合った事もない俺には理解が出来ない気がした。


「母さん、それってどういう意味なの?」


「そうね簡単に言えば、【愛する事、失う辛さを教えてくれる人】って言うのは、いつもどんな時でも一緒で、常に笑っていられる相手かな。その人と出会って好きって気持ちや、悲しいって気持ち。恋愛で体験する感情を教えてくれる人の事」


 それが恋愛の全てじゃないのか? 素直にそう思った。


「じゃあ、もう一つは?」


「【永遠の愛を教えてくれる人】は初めて会ったのに、不思議と昔から知っていたような、懐かしい感じがする相手かな。その人といれば気も使わず。本来の自然な自分でいられる相手ね」


「へぇ~」


 わかった様な? わからない様な?

 

 だけど何となく納得させられる解答でもある。


 俺は小町先輩がどちらのタイプになるのか考えてみた。

 小町先輩は綺麗なので一緒にいるだけで、ドキドキしてしまう。

 

 この気持ちは愛する事になるのだろうか?

 憧れという可能性もあるから難しい所だ。


 それに最近一緒にいる事も増えて来ているのだが、小町先輩の前でも普段の自分でいられる気はしている。

 どちらの条件にも当てはまる気がするので、俺はますます訳が分からなくなってきた。


 その後、食事を終えた俺は、二人目の【運命の女性】である星野夢さんの事を思い出していた。

 最初は警戒されたが、一度心を許せばとてもフレンドリーに接してくれた良い人だ。

 最後に見せてくれたあの眩しく可愛らしい笑顔は、今でもハッキリと覚えている。


「本当にどうなっているんだよ。誕生日を迎えただけで変わりすぎだろ!! 経験不足の俺に一体どう行動しろって言うんだよ」


 状況の変化について行けず。

 俺はもんもんとした夜を過ごした。

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