第2話【運命の女性】は学園のアイドルでした。

【お腹がすいた何か食べたい】


 秋田先輩の顔にはハッキリとそう書かれていた。


「嘘だろ……」


 俺は周囲を見渡して別の生徒たちの様子を伺ってみたが、秋田先輩の顔の文字の事を言っている者は誰も居ない。


「やっばー、秋田先輩メッチャ綺麗」

「身体ほっそー。何を食べたらあんな完璧な体型になるの?」


 などといった同性からも憧れと願望を含んだ声が聴こえてくるだけだ。


「マジかよ…… あんなにハッキリと書いているのに」


 その時、俺は父さんの言葉を思い出した。


 すると急に秋田先輩の顔に書かれている【何か食べたい】という言葉が頭の中でこだまを始める。

 

(秋田先輩、お腹がすいているのか…… 可哀そうだな)



 次の瞬間、俺の損な性格が反応してしまう。


 俺の心の中で秋田先輩に何かを食べさせてあげたいという想いが高まり、自然と動き始めていた。


 俺達の周囲には多くの学生が登校している最中で、その半数近くが秋田先輩に視線を向けている状況なのだが、そんな事は抑止力にはならない。


「秋田先輩!!」


 俺は目の前を通り過ぎ、数メートル先を歩く先輩に声を掛けた。

 他の生徒も何事かと俺にも視線を向ける。


「えっ!? 君は…… 私に何か用なのかな?」


「一年の米倉です。突然ですが、もしお腹がすいているのなら、これを食べて下さい」


 俺はおもむろにさっき買ったばかりのあんパンを袋ごと取り出し差し出した。


「へっ!?」


 秋田先輩は突然の事に困惑している。


「マジかよ。誰だよアイツ……」

「朝っぱらから告白?? しかもこんな人通りの多い所で馬鹿なの?」

「罰ゲームだろ? 普通ならあり得ないっての」

「それに何を渡したって? パン? 馬鹿か!? 知らない奴から渡された食べ物を食べれる訳がないっつーの」


 周囲からは面白がる生徒たちの声が聴こえてきた。


「私がお腹を空かせているですって!? それでそのパンを私に……?」

 

 秋田先輩は確実に警戒している。 

 だが俺はそんな事はお構いなしで押し続けた。


「はい、そうです。すぐそこの有名パン屋で買ったばかりの【限定のあんパン】です。焼きたてなんで滅茶苦茶美味いですよ」


「いや…… 気持ちは嬉しいんだけど受け取れないよ。それに私、それ程お腹はすいてないから」


 秋田先輩はそう言っているが、いつの間にか【お腹がすいた何か食べたい】と言う顔文字が【あんパンが食べたい】と書き替えられていた。

 これは今もっとも欲しいものが【何か食べたいから】から【あんパン】に移行した事になる。


(先輩は今この【あんパン】が食べたい。それは間違いない)


「限定品なんで次に食べれるのは早くて一週間後ですよ!! 本当に要らないのですか?」


 俺の押しを受けて秋田先輩は押し黙ってしまう。

 表情は引き気味だが、それは俺に対してでは無く、この【あんパン】という誘惑に抵抗している様にも見えた。


「馬鹿じゃね? 秋田先輩は要らないって言っているじゃねーかよ。それに【あんパン】だってよ、誰があんなジジ臭いパンを食べるんだよ」


 そんな野次が飛んできた。

 しかし野次を飛ばした奴は分かっていない。

 焼きたての【あんパン】がどれ程美味しいと言う事かを!!


 人気店が力を入れて作ってるだけあって、原材料のこし餡は何種類もブレンドした深みのある極上品に仕上がっている。

 甘すぎず、口に入れただけで餡が解けていく感じだ。

 そしてフワッとしたパン生地が程よい弾力を与え、口の中を幸せで包み込んでくれる。


 更にパン生地にはなんと微量のコーヒー豆が混ぜられていた。

 焼けた香ばしいコーヒー豆の程よい香りが鼻腔をくすぐり食欲を掻き立てる。


 知っている人はいるだろうか?

 【あんパン】にブラックコーヒーが合うって事を!!

 ブラックコーヒーの苦みにこし餡の甘みが混ざり合い、絶妙な味へと変化する。


 必死に堪(た)えていた秋田先輩を篭絡するには時間が掛からなかった。


「うぅぅぅ。もぅわかったわ。それじゃ受け取るだけ受け取るから、食べるかどうかは約束できないからね!!」


 顔を真っ赤に紅潮させながら秋田先輩が陥落した。


「それで結構です。それにこれも一緒にどうぞ。同じ店で買ったばかりの牛乳です。よく冷えていますよ。もちろん賞味期限を確認して頂ければ新鮮だと分かって貰えるはずです」


「もう、何なのよ君は!!」


 何故、俺が牛乳まで差し出したかというと、当然書いてあったからだ。

 秋田先輩の顔には【牛乳】としっかりと書かれていた。


 あんパンに牛乳!!

 これは古より伝えられている鉄板の組み合わせの一つである。

 【あんパン】を食べた後に牛乳を一飲みするだけで牛乳が甘みを増す。

 更に口の中の甘みを綺麗に取ってくれるので【あんパン】の食後の食感を素晴らしいユートピアへと変えてくれるのだ。


「先輩もやりますね。実に分かってらっしゃる」


 俺はそう言うと笑みを浮かべた。


「私には君が何をしたいのかが分からないよ。もぅ…… これでおしまいだからね。牛乳もありがとうございました。じゃあ、私は行くからね」


 その場から逃げる様に秋田先輩は【あんパン】と【牛乳】を受け取り建物内へと走り去って行った。


「おい。受けとって貰えたじゃないか。すげぇぇなアイツ」

「何言ってんだよ。キモがられてたじゃん。どうせゴミ箱行きだって」

「アイツ誰だよ!!」


 そんな言葉が聴こえてきたが、俺の興味はそこでない。

 去り際に秋田先輩の頬の文字は綺麗に消えていた事を俺は見逃さなかった。


「欲しい物が手に入って満足したって事なのかな?」


 とにかくあの【あんパン】で秋田先輩の空腹が満たされるのなら満足だ。


 逆に朝食を食べ損ね、空腹から鳴り響きはじめた腹をさすりながら俺は教室へと向かう。


 教室に入った後は特に誰とも話をする事もなく、授業を受けるだけだ。

 友達の少ない俺は一人でいる事が多い。

 二時間目が終わり、休み時間に離れた机に集まっていた数名の会話の中から秋田先輩の名前が聴こえてきた。


「今朝、あの秋田先輩に公開告白した奴がいたみたいだぜ」

「マジかよ。どうせ振られたんだろ? 秋田先輩って誰とも付き合った事がないっていう話だからな」

「それがよ。どうやらプレゼントは受け取って貰えたみたいで、今まで誰に対しても完全拒絶だった鉄壁が崩れたって話でもちきりよ。これはもう事件だって大事(おおごと)になってるみたいだぞ」


 どうやら俺の事を話しているみたいだが、誰もその男が俺だと結びついていない感じだ。

 俺も二度と秋田先輩と関わるつもりはないので、この噂がこれ以上広まる事もないだろう。

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