第120話 本当の私 ③

 奏音かのんが本心を口にし始めたのは、私の心を折ることができないと悟ったからだったのだろう。

 しかし、それは別にあの子が改心したというわけではなく、自分が望んだはずなのにそっちを選ぶことができなかっただけのことだ。

 あの子は最後の最後で自分が欲したはずの答えを選ばなかった。

 それにはあの子の甘さや弱さ、そしてその人一倍の優しさが大きく関わっていると私は思う。

 佐々木ささき奏音とはやっぱりそんな女の子だったんだ。


「みんなわかっていないけど、私にだって好きな人、、、、もいれば嫌いな人、、、、だっているんだよ。私だって優しくしてくれるは好きだし、優しくしてくれない人は嫌いなんだよ。ちゃんとね、、、、、


 奏音が語り始めた本心はごく当たり前のこと。

 けれど、いったい何人がそれを当たり前と思っているのかと問われると答えに困ってしまう。

 考えなくてもわかるようなことのはずなのに、それを表に出すことが苦手な人もいるんだと果たして考えたことはあるだろうか?


 ……私は知っていたはずなのに深く考えたことはなかった。

 だから言葉にされたわけでもないのに自分は相手の好悪を正しく計れていると勘違いして、直接言葉にされるまで自分は嫌われているものと決めつけてしまっていた。


 好悪があるのが当たり前だとわかっていても、正しく好悪を計れているかはまったく別な話なのに。確かなところなんて言葉にでもしてもらわないとわからないことのはずなのに。自分一人でわかったつもりになっていた。

 そして本心を知ってしまえば見えていたものが180度変わるのだから勝手なものだ。本当に勝手だ。


「私にとってみんなはテレビ画面の向こうにいるような存在なんだ。見えているけど声は届かないし触れもしない。もちろんそんなわけないんだけど、自分から積極的に人に関わることができない私にしたら同じことだった」


 人と関わるのが苦手なのは知っていても、どんなふうに思っていたのかはちっとも知らなかった。

 意思疎通が必要なところでは誰かが間に立つことで表面上は上手くいっていたからだ。

 しかし今回。本音を聞いたことで察せてしまった。

 そんな世界をずっと生きてきた奏音が自分の世界に関わる人たちをどう思っているかを。

 優しくしてくれる人は好きだし、そうじゃない人は嫌い。これは言葉通りの意味なんだとわかった。


 例えば優しくしてくれた人。優しくしてくれる人が、どれだけあの子にとってかけがえのない存在であったか。

 その人たちがあの子にとってどれだけ大切な存在なのか。

 その人たちが傷つけられる様をあの子がどんなふうに思っただろうかとか。


 そして奏音が言う嫌いな人。優しくしてくれない人。

 酷く身勝手な言いように聞こえるかもしれないけど、もしも自分が奏音の立場だったらとしたら勝手だと言い切れるだろうか?

 傷つけられたことを恨みに思うことを間違いだと本当に言えるだろうか?

 それだって当たり前の感情なのに、それは間違いだなんて言う資格が果たしてあるんだろうか?


「いないものとして扱うか、放っておいてくれるならまだいい。でも、私が何をしたわけでもないのに嫌な思いをさせられるのは許せない。そうでしょう? ……自分だけが一方的に傷つけられるのなんて許せるわけない……」


 私たちは何も知らず。知ろうともせず。ただ痛みだけを与えてきたのだとしたらこんなに恐ろしいことはない。

 それなのに「それは間違いだから憎むのをやめろ」なんて言えるわけない。

 どれだけ周りがそれをいじり、、、と思っていても、それがコミュニケーションの一つなんだとしても、それが一方的だったならそれはもういじりとは言わないと私は思う。そこに悪意があろうとなかろうとだ。


 そしてそういうの、、、、、は自分の方が立場が上だと思っているからこそできること。いつからかそういうの、、、、、に振り回される自分がいたからわかる。

 私はいつの間にか存在していたヒエラルキーのようなそれにばかり気を使っていた。

 だから私は奏音や一条いちじょうと距離を取ったんだから……。


「全部壊してしまいたいって思う私が間違ってるのかな……。嫌な奴なんて消えてしまえばいいって思う私がおかしいのかな……。だってそうでしょう。私しかそうしようとしない!」


 たぶん奏音は間違っていない。でも正しくもないと自分で気づいてた。

 嫌な奴を憎む気持ちがどれだけ本物でも、優しくしてくれた人たちを大切に思う気持ちも本物だから。

 もし自分の憎しみが大切な人たちを傷つけてしまうとしたら、あの子には憎しみを選ぶことなんてできなかったんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る