第115話 ホントウノワタシ ②

「──こんなところで何してるの? 鯨岡くじらおかさん」


 こぼれた涙を拭っていたら後ろから声が聞こえて驚いた。

 思わずそのまま振り返りそうになったけど、誰かわからない相手に今の顔を見せるわけにはいかないと直前に気がついて、表面だけをいつもと同じように取り繕ってから振り返る。


「……佐々木ささき? なんで、こんなところにいるの?」


 泣き顔さえ見られなければあとはどうとでも理由をつけられると思ったのに、後ろに立っていた人物が意外すぎて、普段通りに振る舞うつもりが一瞬で失敗してしまった。

 声が同じステージ裏にいる安斎あんざい先輩でも、黒川くろかわさんでもないのはわかっていたけど、それにしたって意外性がありすぎるでしょう。

 なんだって佐々木がこんなところに?


「先生に気分が悪いって言って抜けてきちゃった。面白いよね。私はを言ったのに誰もそれを疑わない、、、、んだから。まあ、誰も私になんて興味がないとも言えるわけだけど」


 佐々木はクラスではもちろん学年の中でもまったく目立たない、人一倍内気で普段からコミュニケーションをとるのさえ苦労する女の子だ。

 そしてというか普通に真面目で、半分以上は退屈な生徒総会の話だって、最後まで真面目に聞いているのが佐々木という女の子のはずだ。

 それが先生に嘘を言って途中で抜けてくるなんて絶対変。おかしいと思わない方がおかしい。

 いったいなんのためにそんなことを?


「佐々木。私はなんでここにいるのかって聞いたよ」

「前みたいに奏音かのんって呼んでくれないの? 有紗ありさちゃん」

「……あんた、そう呼ばれるの嫌なんでしょう?」

「うん、嫌だよ。私はあまりにもその名前に相応しくない、、、、、、から」


 語る内容は佐々木のもののはずなのに感じる違和感、、、

 思えば最初に声をかけてきたのもそうだ。

 たとえ数メートルの距離だろうと、距離のあるところから声をかけられるなんてことは今まで一度だってなかった。

 おかしいと言うなら全部がおかしく見えてくる。


「でも今は、、奏音って呼んでもらいたいかな」

「……考えとく」

「ふふっ、やっぱり素直じゃないね。そういうところが有紗ちゃんらしいけど」


 だけど不思議と無理をしているようには見えない。それもそれで不思議。でも佐々木は佐々木だ。

 私の知る佐々木奏音という女の子は、こんなふうに他人をからかうような笑い方をする女の子だっただろうか……?


「私の名前はね。音楽に関わる仕事をする両親が、そうなってもらいたいと願いを込めて名付けてくれたもの。だけど私は人前でピアノを弾くなんてとてもできないくらい弱くって、本当は合唱の伴奏だってできるのに私はそれを言い出すこともできない」


「佐々木……」


 佐々木は自分のことをあまり話さないから初めて聞いた。

 いや、機会はいくらでもあったはずなのに知ろうとしなかったんだ。

 私は友達であること以上を佐々木に求めなかったから。

 それに友達が増えるにつれて付き合いはどんどん変わっていって、その輪に入ることができない佐々木から私は距離を取ったから。


 ……違う。私は自分をよく見せるために切り捨てたんだ。

 最終的には友達だと言ったことさえなかったように接してきた。

 単なるクラスメイトとしてしか接してこなかった。

 だから本当は違和感なんて言う資格すらない。何も決めつけられない。最早、空白の時間の方が長いのだから。


「──って、そうだ! 私の話なんてどうでもいいんだ。時間がないから手短に言うけど、有紗ちゃんには向いてないからやめた方がいいよ」


「何を?」


「えーと、強い人の真似事? 大方。黒川さんの代わりをするって言って舞台に上がって、そこで掲示板に黒川さんのことを最初に書き込んだのは自分だとでも言うつもりなんでしょう?」


「なんで……」


「なんでって、まあいいや。とにかく。そんなことをしたら黒川さんをよく思わない人たちから反発がでるし。有紗ちゃんが黒川さんを表立って庇ったりしたら、いろんなところでいろんな関係がぐっちゃぐっちゃになっちゃうよ?」


 だから。なんで。そんな。私しか知らないようなことを佐々木が口にするんだ?

 学校の中のコミュニティに最も遠いような存在の佐々木が、どうして表に出ない軋轢のことまで知っている?

 私の考えだってそう。私には佐々木の考えなんてまったくわからないのに。


「さ、佐々木。あんた。なんでそんなこと?」


「なんでもなにも裏サイトを有紗ちゃんに教えたのは私で、あの場所での発言力はリアルとはまるで違うからでしょう。かくいう私は口には出さないだけで、意外と学校の中のことで知らないっていうのはなかったりするかも」


「……」


 SNSがある中でも裏サイトが必要なのは、横のつながりだけでは補えない情報が山ほどあるからだと私は思う。

 加えて匿名で話せるから普段の繋がりを全て無視できるというのも大きくて。例えば自分のいるコミュニティの口には出せない愚痴を言おうと、それが誰のものなのかを判別するなんていうのは困難というか不可能に近いはずなんだ。

 たとえそれが学校という限られた場所の中のことだとしても。


「例えば。今の有紗ちゃんは黒川さんを突き落と、、、、したヤツ、、、、に泣きつかれてこんなことをしてるとかね。それを断らないのは仕方ないにしても、全部を自分一人で背負えるほど有紗ちゃんは強くないよね。裏サイトあそこにいる人はみんなそう。だからやめた方がいいよ」


 それなのに佐々木は当人たちしか知らないようなことまで知っている。

 あの事故、、の目撃者がふたクラス分いたとして、ここまで正確な内容が裏サイトに出るわけがない。

 あそこに出るのは憶測の域を出ない不確かな情報と噂話。それも真実なんてどうでもよくて、すぐに消費されて消えてなくなる程度のものだ。


 つまり今のは佐々木個人が収集した情報で、佐々木はあれが事故ではないと思っている。

 そしてにわかには信じがたいけど、裏サイトにおいて噂を真実にできるほどの力を佐々木は持っているのかもしれない。

 これなら佐々木の言動の辻褄が合ってしまう。

 最も辻褄が合ってもその意味はわからないままだけど。


「あんたは結局どうしろって言いたわけ?」


「私の望む正解は一つだけなんだけど、有紗ちゃんが余計なことを喋らず黒川さんの代わりをするだけならそれでもいい。当初の通りに生徒会長に任せて舞台に上がらないってのがもっといい。どうかな?」


「何それ。私には向いてないとか、やめた方がいいとか、私の事情もよく知らないで勝手なこと言わないで! あんたはいろいろ知っているみたいだけど、私の心の中まではわからないでしょ!」


「……まあ、私なんかの言うことを聞くわけがないか。じゃあ私の望む答えを言うから、もう一度だけ考えてみてよ」


 佐々木の言う正解が私の思う最悪でないことを祈るしかない。間違っていてくれと願うしかない。

 どうか佐々木奏音という女の子が私の知るままの女の子でありますようにと……。


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