第93話 無理を言う ⑤
「──いいかげんにして。追いかけてこないで!」
「なら逃げるのをやめてよ!」
「そっちが止まったらやめるから先に止まって」
「それ絶対にそのまま逃げるじゃん!」
「ちっ」
体育館裏から逃走した
まさか学校の敷地内を全力疾走で一周することがあるとは思ってなかった。これはきつい……。
だが、全力疾走がきついのは向こうも同じはず。ここにきて話しかけてきたのはそのためだろう。
「お願いだから止まって話を聞いて!」
「イヤ! 私を蔑めるつもりでしょう。そんなヤツの話なんて聞かない。へ、変態。助けてーーっ!」
「何言ってるの!? 何を思ってそんな、あっ、」
有紗さんは喋るためにスピードを緩めたのではなく、
「やめてって言ってるのに追いかけるのを全然やめてくれなくて。ひどいの。たすけて」
僕が有紗さんを追いかけている構図(二人とも息がだいぶ上がっている)だけを見た人たちからどう見えるのかは非常にわかりやすい。
有紗さんがたとえわざとらしい態度でバレー部の背後に隠れようと。そこからベーっと舌を出してこちらを見ていようと。他の人からしたら悪者は僕に違いない。これはやられた。
そしておそらく体育館事情的にもやられた。
今日の体育館の使用は女子部の日だったらしい。
これでは有紗さんが体育館の中に逃げたからといって、僕がそれを追いかけて中に入るのは難しい。
女の子しかいないところに踏み込んでは世間体はよろしくない気がするし、仮に有紗さんを捕まえたとして中で僕の言い分が通るのかも怪しい気がする。
何より。それ以前の問題としてまずこの状況をどう切り抜ければいいものか……。
僕がなんて言っても悪者にされそうなんだが?
「
「えっ、
「遅いからどうしたのかと思ったよ。
体育館の中から現れた佐々木さんは僕の手を取ると、バレー部の人たちを無視して僕を中へと引っ張っていく。
バレー部の人たちは佐々木さんから出た名前にわかりやすく戸惑って、どうするのかと振り返ったら有紗さんがいつの間にかいないことにも戸惑って、最後はいったい何だったんだろうという様子で僕たちを見送った。
「──ありがとう。助かったよ」
「それで体育館に何の用事? ……覗き?」
佐々木さんはもう聞こえないと判断したのだろう。曲がり角のところで手首を掴んでいたのを離し、アドリブで助けた僕の目的を問う。
うん。この問いは当然で、助けられた僕が答えるのも当然なんだけど、ちょっと待ってもらいたい。
確かに用事があるわけではないのだが、覗きなんて思われるのは心外以外の何でもなく、そこに関してはきっぱり否定させてもらわなければならない。
「違うよ。覗きなんてしないから! 僕は有紗さんを追いかけてきたんだよ!」
「冗談だよ。あ……
佐々木さんに限ってそんなことはないと信じていたのに。まさか彼女までが僕をからかうだなんて……。
実は女の子ってみんなそうなんだろうか?
いや、結ちゃんにそういう要素は一ミリもなかったな。他に僕をからかわない人は、
「ところで追いかけなくていいの?」
「えっ、あっ、ああ! 有紗さんどっちいった!?」
「うーん、ホールに入っていってはないと思うけど。真っ直ぐ裏から出ていったとしたらもうわからないかな」
確かに。佐々木さんの言うように有紗さんが真っ直ぐ裏口から出ていったのだとすれば、それはもうどっちにいったのかすらわからない。
それでは追いかけようにも追いかけられない。
……ど、どうしよう。いろいろ準備したというのにしっかり逃げられてしまった。
また明日とか悠長なことを言ってられないのだが!?
「……なんで鯨岡さんを追いかけてたの?」
「それは……」
「ご、ごめん。私なんかに言えないよね」
追いかけていた理由を言えないわけじゃない。
だけど全部を言えない以上は下手に巻き込めない。中途半端に巻き込んでいいこともない。
だけど彼女は興味本位で聞いてるわけでもない。
きっと佐々木さんは有紗さんのことが気になるのだろう。二人は
「そうじゃない。有紗さんに
「大事なことなんだね。一条くんの言葉を聞かないなら他の人。ううん、私が話してみるよ。有紗ちゃんに何をしてほしいのか教えてくれる?」
「佐々木さんが? どうやって?」
「えっ、普通に電話して? というか、一条くんも連絡先知ってるよね。たとえ電話が無理でもメールって手段もあるし。これなら私でも」
「……」
なんだろう。僕がその簡単なことを思いつかないのは、黒川さんのスマホが壊れてて連絡ができないからだろうか? それとも校内での携帯の使用が認められてないからか?
どちらにせよバカすぎることに変わりがない。
有紗さんに着信拒否されている僕と、協力できないと言った
というか、高木くんは気づいてたな。だから最後適当だったに違いない。
そうならそうだと言ってくれればいいものを!
「ごめん。一条くんにもいろいろ事情があるのに。私勝手に……。一条くんなら私なんかに頼らなくても大丈夫なのにね。ごめん」
「あ、謝らないで。そうしてもらえると助かるよ! 実は頼れる人がいなくて。だから自分で追いかけたわけで……。あと決して連絡手段を思いつかなかったとかじゃなくてね」
「う、うん。じゃあとりあえずメールしてから電話してみるね。文面を、一条くんが打った方がいいかな? だったら一条くんが打ったのを送ってもらった方がいい気も……。でもそれだと手間がかかるだけかも……。ど、どうしよう!?」
佐々木さんがあたふたし出したのを見て、そこでようやく彼女が
普段の彼女は大人しすぎるくらいで、話しかけられたのに答えるくらいしか口数もないのに、そして今日も教室ではその通りだったのに。
「佐々木さん無理してない?」
「……
「だったら、」
「でも私はそうしなくちゃ何もできないから大丈夫。一条くんのことも有紗ちゃんのことも放っておけないから。それに黒川さんとももっと仲良くなりたいから。勇気出さなくちゃ」
何が彼女を奮い立たせるのだろうと思った瞬間、佐々木さんの手にあるスマホから着信音が鳴る。
その着信音はとある映画の悪のボスのテーマ。
佐々木さんの好みにとやかく言うつもりはないが、その着信音はどうかと思ったり思わなかったり……。
「あっ、ち、違うの。そんな顔しないで! これは部長がこれにしてくれって! って、電話出なくちゃ。もしもし、ひゃあ!?」
佐々木さんが電話に出るのと同時に、聞いたことがある声がホールの中からも聞こえてくる。
その声量に佐々木さんも驚いたが僕も驚いた。
加えてさっきのはアドリブであってアドリブではなかったことにも驚いた。
「ごめんなさい。すぐそこにいます。ちょっと一条くんと話してて」
「名前出さないで。お願いだから!」
「えっ、なに? は、はい。えっ、一条くんも連れてこい?」
「僕、外で待ってるから!」
上手くいかない日というのはどこまでも上手くいかないらしい。会いたい人には会えず、準備をして臨んだはずが失敗し、終いには藪をつついて蛇を出すとは。
いや、藪はつついてないんだけど蛇が出たのだ。それも毒蛇。噛まれたら死に至る類のやつが。
そんなわけだから彼女にエンカウントしてしまう前に、させられてしまう前に逃げるしかない!
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