第87話 僕にとっての彼女とは ⑨
「──本当に信じらんない。なんでわざわざ駅まで歩いてるの。こんなの帰るまで一時間以上かかるじゃん。意味わかんない。意味わかんない。いみわかんない!」
病院の前から移動し始めて約四十分が経過。
三十分あればつくだろと思っていた駅にはまだ到着しておらず、しかも自分一人で帰れてもいない。
あの場を走って離れれば追ってはこないと思ったのに。
「さっきから話聞いてんの! 少し前から空返事すら聞こえなくなったんですけど!」
そんな彼女にここまでの道中は言い返すのをぐっと我慢してきた。だけど、それもそろそろ限界だ。
黙っていては最後までこのままいくばかりか、この彼女へのイライラを持って帰る結果にもなる。
有紗さんが途中で諦めるだろうと思ったのは失敗だった。甘かった。彼女にそういうのはないのだ。
だいぶ今更感も強いがここからは言い返そう。
「だったら自分はバスで帰ればよかったじゃないか。僕は一人で歩いて帰りたかったんだよ」
「はぁ? 私だって
「今からでも遅くないから向こうに渡ってバスに乗ったら? ちょうどそこにバス停あるからそれで帰りなよ」
「乗れたはずのバスはとっくに私たちを追い越していったけど!? それにもう半分以上歩いてきてるし、半端にして凛子ちゃんにあーだこーだ言われるのも嫌だよ。何よりね、そこからバスに乗ったら駅に着くよね!?」
「そうだね。でも、それを言ったらあそこから高台の上にいくバスには乗れなかったんじゃない? 駅までいって高台の下のバス停まで歩くか、一度降りて市役所の前を通ってくるのに乗り換えないとダメでしょ」
国道沿いにある医療センター前から乗れたはずのバスも、いま道路の反対側に見えるバス停からも、有紗さんの家の方向に直接向かうことはできない。
国道を走るバスは駅前の大通りを通って、駅のバスターミナルに到着するからだ。
駅の真ん前の通りはそのルート上にない。
彼女がバスで家に帰るには国道沿いを走るバスではなく、町の中を走るバスに乗る必要がある。
それも高台の上に向かうやつとなると乗れる場所は限られていて、
「そうか!」
「何が?」
「な、なんでもないよ?」
そうか。イライラするばかりで思いつかなかったが、この方が彼女に諦めさせるよりも、勝ち目が薄い言い合いをするよりも現実的だ。
有紗さんだけバスに乗せて帰らせればいいんだ。
仮にそれが叶わなくても今よりはマシになる。
何より成功することはあっても失敗することはない。
僕にとっては彼女だけをバスに乗せられれば大成功だし、それがダメで同じバスに乗ることになっても失敗ではない。
少なくとも逃げ場のないこの二人きりの状態よりはマシになる時点で成功と言える。
それにだ。この過程での成功もあり得る……。
ここから高台の上に向かうバスに乗るには、道を一つ脇に入って市役所がある通りに出て、そこからバスに乗れば高台の上にいける。
確実なのは以前に乗ったことがある市役所の前からのバス。ここから市役所まで十分あればいける。
よし、そこまでいって彼女だけバスに乗せよう。
「──ちょっとどこいくの? なんで真っ直ぐ歩けば済むのにそっちにいくの? 奢ってくれるんだとしてもスタバなんていかないけど。美味しいけどアイスもいらないよ?」
「なんで僕が奢るんだよ! スタバにもコンビニにもいかないよ。こっちを通って帰ろうと思っただけだから。僕の勝手だろ!」
「はぁ!? こっちは駅まで連れてかないといけないんだから真っ直ぐ駅まで歩いてよ。なんでそう余計なことするの!?」
「僕は余計なことなんてしてない。そっちが勝手なことしてるんだろ!」
さっきの
流石にこれでは彼女を気遣うことなどできない。
普段の僕がどれだけ彼女に甘くても(
正直に言えば彼女の顔も見たくないくらいなんだ。彼女の都合なんて知ったことか!
「戻ってきて。ふざけたことしないでよ! なんで──」
市役所のある通りに向けて歩く速度を一気に上げ、ひとまず姿が見えなくなる曲がり角までと、振り返らず小走りに進む背後から聞こえる声は遠ざかっている。
……彼女が追ってこないなら僕は回り道して帰るだけだからこれでもいい。
有紗さんはこのまま歩いてレンガ通りまでいけば、後はバスの通るルートと同じ真っ直ぐの道だけで高台の下までいける。
駅に向かう必要がなければそのまま帰るだろう。
仮に高台の下までいってちょうどのバスがなくても、まだ十分に明るいし人通りも車通りも多くある。最悪下から徒歩でも彼女一人で上まで帰れる。大丈夫だ。
というか、帰りが一緒なのがずいぶん久しぶりなんだから僕が心配する必要はないよな。
今日までどうしていたんだという話だし。
なのにどうして僕は彼女を心配しているのだろう? どうして顔も見たくないはずなのに彼女のことを気にしてしまうのだろう?
自分のことのはずなのにどうしてなのかわからない……。
「──ま、待ってって!」
そしてどうして彼女は追いかけてくるのだろう。
互いにかなり態度に出てたはずだし、走って逃げるのを無理に追いかける必要はないはずだ。
嫌々なんだからそれで終わりにすればいいのに。
僕が綾瀬さんに告げ口すると思っているのか?
「綾瀬さんには駅まで一緒だったって言うから。もう僕に構わないで一人にしてよ」
「なんで私がそんなの聞かなくちゃいけないの。 ……なんで私が一人にされなきゃならないの……」
「ひとり?」
「なんでそうやって私を置いていくの……。私には必要ないから? 勝手に自分だけで納得して……。自分勝手なのはどっち。本当にそういうところが大嫌い!」
もう見慣れた有紗さんのキャラクター。みんなに好かれる彼女にはどうしても必要だったもの。
今では何の違和感もないくらいに自然に見える、副会長の前を除けば決して剥がれることがなかったそのキャラクターが剥がれた。
僕に向けられる目にも言葉にも偽りが感じられない。つまり今の言葉は本気ということ。
えっ、じゃあ僕いま「大嫌い」って言われた? ……えっ?
「そ、そういう直接的な表現は避けた方がいいと思う。言われた方の気持ちも考えよう」
「私は嘘でも嫌いなものを好きだなんて言えない。
「ぐっ……。思っていても言っていいことと悪いことがあるだろ。どうしてそう加減ができないの!?」
「うるさい。さっきだって言われっぱなしで自分一人じゃ何もできなかったくせに偉そうにすんな。あれがカッコいいなんて思ってるなら大間違いだから。自分が責任を被るのが一番いいだなんて思い上がりも甚だしい」
「なっ、そもそも全部君のせいだろ! 君が裏サイトに書き込みなんてしなければこんなことになってない。挨拶にだってもっとちゃんしたタイミングでいけたはずなんだ!」
あれっ……。
今なんか変なこと言ったか?
カッとなって思わず口から出てしまった。
あっ、あぁ、姫川さんもいないのにマズい。
「……えっ。どうして。なんでそのこと。知ってて黙ってたの? なんで……。もしかして姫川さんも?」
「いや、今のは……」
「──ッ」
「ま、待って!」
とっさに彼女に向けて伸ばした手は届かず、追いかけなければいけないのに足は動かない。
きっと駆け出した彼女は全てを察した顔をしていたからだろう。
そして自分が彼女の責任を被るつもりだったのを知られてしまったからだ……。
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