第78話 姫川さんと恋人ごっこ ⑥
「大変だったわね……」
「うん。すごく大変だったね……」
精神的に疲れ切ってコーヒー屋のテーブルに突っ伏したまま、しばらく一言も発しなかった
先ほど「用事があるから」と言って店を出ていった
途中で結ちゃんの疑念が疑惑に変わったりしたから大変で、僕たちはその分だけ多く精神的に消耗したのだろう。
いろいろあった今日の中でも一番疲れた時間だった。
「それにすごく長い時間だった気がするよ」
「私も。時間にするとたった四十分ほどなのにね」
「確かに」
話している間はすごく長い時間に感じていたのに、終わってみれば一時間経っていないのには驚いた。
これはあたふたして時間が経過するのを感じなかった途中と、終盤にもたらされた情報量の多さが時間の感覚をより曖昧にしたんだと思われる。
そして隣で姫川さんが黙っていた間、ひたすら考えてみたけど
表と裏と
何がいけなくて何が間違っていたのか。
どこから間違っていてどこからそうだったのか。
自分のことのはずなのにちっとも自分でわからないんだから……。
「……とんでもないお姉さんね」
「それは。結ちゃんだから」
「なるほど。でも、すごく似てると思うわよ」
「僕と結ちゃんが? そんなことないと思うけど」
「いいえ。立場が逆だったら
姫川さんは突っ伏したまま顔だけを結ちゃんがいた前の席に向け、「敵わない」とうす笑いで言うが僕だって同じ気持ちだ。
ぜんぜん、まったく、これっぽっちも敵わない。
ずっと結ちゃんの真似をしてきたはずなのに、その違いは浮き彫りになったら差がいちじるしい。
そりゃあ僕たちが持っている材料は違うし、立場もその位置だって違うわけだけど、結ちゃんが口にした
「軽くムカつくわ」
「そうだね。僕も今そう思った」
「貴方はお姉さんがでしょう。私は
「なんで黒川さん?」
「なんで悪い子の彼女が可愛がられて、良い子の私が可愛がられないのよ。おかしいじゃない」
それは同じ部活の先輩と後輩だからじゃないかとか、良い子悪い子が実際には逆なんじゃないかとか、いくつか理由は思い浮かぶけど本当のところはわからない。
よく世話を焼くのは結ちゃんの性質だけど、黒川さんには特に世話を焼いているみたいだから、何か二人にしかわからないものがあるような気もする。
……これは僕たちに当てはめても同じなんだろうか?
関係性としては似ていると思う。世話を焼かれるのが僕で世話を焼くのが
でもきっと、そこにある理由や意味が結ちゃんと黒川さんとは違っていて、僕は少しも彼女のことを理解していない。いなかった。
それが積み重なった結果こそが今の顛末になるんだ。
「まあ、今日はお姉さんに嫌われなかっただけ良しとしましょう。大事なのは最後の結果なんだし。それじゃあ気を取り直して続きといきましょうか」
「うん。僕はどうしたらいいんだろう?」
仕切り直しとばかりに姫川さんは結ちゃんがいた前の席へと移動していき、こちらに目を向ける。
裏の裏を知る姫川さんが近くにいるというのは、確かな答えを持たない僕にとって非常に心強い。
今になって顛末を理解した僕でもまだ間に合う気さえする。
「そんなの簡単よ。恋人ごっこよ。貴方が私と恋人ごっこしていれば、向こうから寄ってきて勝手に自滅するわ」
「……えっ? いま恋人ごっこって言った?」
僕は真面目に、真面目な意見を求めたのに、返ってきたのはまさかの恋人ごっこ。
確かに僕はわかっていないが、姫川さんが言う恋人ごっこが違うのはわかる。
いくらなんでもそれはないと思う。何も解決しない。
「──鈍いわね。あんなにブレた彼女を見たことある? さっきだってギリギリだったわよ。あの調子なら続ければ続けるだけ勝手にボロを出すわ。あとはそこを突けばいい」
「そう言われるとそうかも……。確かにさっき
「本当はそこからが私の番だったのだけど、今回はやめとくわ。そこまでの過程と恋人ごっこで手を打ちましょう。でも、一条くんがどうしても嫌だと言うならそれでもいいのよ。その時は予定通り二度とあんな真似できないようにするだけだから」
「や、やります! 姫川さんが何かとんでもないことを企んでいたのが理解できたので!」
有紗さんと何がどう繋がるのかわからなかった先ほどまでと違い、どこにどう繋がるのか全て知ってしまった今だからわかる。
人が悪い笑みを浮かべる姫川さんの有紗さんに対するキレ具合は本物で、姫川さんは本気も本気で有紗さんに仕返しするつもりなんだと。
止められるなら絶対に止めないとダメだともだ。
「あらそう。ならしょうがないわね。恋人ごっこで手を打ちましょう。契約成立ね」
「待って、契約はいろいろと確認してからでお願いします。きちんと期限とかルールとかを確認する必要があると思うんだ」
「チッ、意外と冷静ね。ブレるのは貴方もだと思ってたのに。いいわ、後できちんと詰めましょう」
あ、危なかった。姫川さんのペースでいったらどうなっていたことか……ではなく、それも重要なんだけど違くて!
姫川さんが言うブレた有紗さんのことだ。
有紗さんは僕と姫川さんの接近に過剰に反応したのは間違いない。
つまり有紗さんは僕と姫川さんが近づくと困る。または冷静じゃいられなくなる。
それは何故か。どういう意味があるのか?
加えて僕への不満や苛立ちという情報もプラスして考えると、まるで嫉妬のように思えるのは間違いだろうか。
有紗さんの行動の原因が嫉妬なんだとするとあの態度にも理解が簡単に追いつく。
でもそうなるとその嫉妬はどこから出たものだ?
それはつまり、いや、そんなはずは……ないと言い切れるか。何もわかっていない僕が。
嫉妬が好意から出たものじゃないだなんて言い切れるのか?
「姫川さん」
「何? やっぱりなしは認めないわよ」
「そうじゃなくて! その、有紗さんは、」
「
「ぼ、僕に好意があったりするのかな?」
「……」
僕への好意があったからそれが交際している黒川さんにも飛び火した。なくはないだろう。
掲示板に書き込みのあった時期までは聞かなかったけど、もし重なるんだとしたら……。
「全然違う。そんな綺麗な話じゃないわ。よかったわね。そんな勘違いを本人に言ってたら裏サイトで愚痴られるくらいじゃ済まないわよ。おめでたいこと」
「……えっ、違うの?」
「彼女ができて勘違いしてるのか知らないけど、そう結びつけるのはやめた方がいいわよ。恥をかくから。それにもし貴方が言うようだったなら、一条くんの隣にいるのは鯨岡さんでしょうよ。本当おめでたい。好きだからムカつくわけじゃない。嫌いだってムカつくものはムカつくのよ」
「嫉妬じゃない?」
「嫉妬は嫉妬でしょう。でも出どころは好意からじゃない。もっと暗いものからよ。『上手くいっているのが気に入らなかった』ってのがいいところじゃない。あと、考えるべきはそんなことじゃなく貴方にとって彼女はなんなのかよ」
そこまで深い意味があるとは思えなかった、「鯨岡有紗。
だけど姫川さんもそれと同じことを言う。
僕にとって有紗さんは引っ越してきて最初の友達? それともクラスメイト?
有紗さんが僕の何なのかなんて一度も考えたことなかった……。
「鯨岡さんはおそらく意図せず巻き込む形になった黒川さんのことには尽力するでしょう。彼女はそういう人間だものね。だけど、彼女がモンスターと表現した貴方のことは別の問題よ。彼女にとって貴方は変わらず怪物のままだもの」
氷が溶けてすっかりぬるく、薄くなったコーヒーでも美味しく感じることがあるとは思ってもみなかった。
これは単に喉が渇いたからだけではなく、いろいろなものが体内から減っていて、体の中に入ってくるのがよくわかるからだろう。
コーヒーってこんな味してたんだ……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます