第69話 嵐の中で ⑥

「──それじゃあ、情報交換といきましょう」


 まだ一時間目が終わるまで時間があるのに保健室を出てどこにいくのかと思ったら、上履きのままで校舎の外に連れていかれ、人目がない校舎横の壁に背中を押し付けられた。

 そして僕をここに引っ張ってきた姫川ひめかわさんは見るからに機嫌が悪く、この壁ドン(最近覚えた)なシチュエーションにはいろいろ逆だというしかない。


 僕が見たやつはまず男女が逆だったし、こんなに威圧感があるようにも思えなかった。

 これで感じるものは恐怖以外の何者でもない。

 しかし下手につついて大爆発したら洒落にならないから、恐怖の中でも慎重に行動しなくてはいけないぞ……。


「じょ、情報交換とは?」

「情報交換は情報交換でしょう。そんなこともわからないの」

「僕が聞いたのはそういうことではなく、何の、どういう意味合いなのかと……いうことで」


 僕の理解が薄いからかキッと睨まれた。

 こんなことになるなら生活指導にキレて、一度爆発しておいてもらいたかったとか思ってしまう。

 だって、我慢してキレなかった今がどう考えても一番危険だもの。

 ほんとどうして僕がこんな危険な目に……。


「私が知ってる事を教えてあげるから、貴方の知ってる事を余すところなく私に教えなさいってことよ」

「……何について? 情報交換っていうのもよく意味がわからないんだけど」


 姫川さんの言い方だと僕が差し出すものが圧倒的に多い気がすることより、そもそも情報交換するほど姫川さんは今回の件に関わりがないはずだ。

 今日の黒川くろかわさんからのメッセンジャーが最近の唯一の関わりで、あとはずっとニコニコしていてとても接しやすかったとしか……いや、それもおかしいんだけど。


一条いちじょうくん。私からの情報は鯨岡くじらおかさんについてよ」

有紗ありささん? なんで有紗さん?」

「……一条くんって女の子を名前で呼ばないわよね。なのに鯨岡さんだけどうして名前で呼ぶの?」

「それは……」


 鯨岡有紗さんとは中等部からずっと同じクラスで、僕はずっと「鯨岡さん」と呼んでいた。

 それが変化したのは、いや、僕が彼女に根負けしたのは去年のことだ。


 その際何があったかは積極的に思い出したくもないし、説明しようものなら何を言われるかわかったものではないから言わない。

 だから姫川さんの圧力があろうと言わない。

 信用を損なう恐れがあるから黒川さんにも言わない。


 僕は彼女が副会長の妹だと知っているし、兄妹仲が良くないんだとも知っている。

 兄妹なんだから似ているけど、二人はまったく違う人間なんだと理解している。

 これが鯨岡有紗さんに関する僕の印象の全てだ。


「──それは?」

「い、言えない。というか言いたくない。黙秘で」

「大方、彼女の色仕掛けに負けたんでしょう」

「!?」

「一条くんが曲がるんだもの彼女も相当ね。しかし貴方も意外と男の子よね。私もこの機会に名前で呼んでもらおうかしら。あっ、こら、」


 不穏なことを言う姫川さんから距離を取るのは当然で、決してやましいことが発覚したからではない。

 あれはもう名前で呼ぶからと言うしかなかったんだ。仕方のないことだったんだ……。

 そしてあんなことを二度とはごめんだ。ここは、


「──逃げたら黒川さんに報告するわよ」

「ず、ずる……」

「これ以上は詮索しないから戻ってきて。黒川さんにも絶対に、、、言わないから」


 絶対と言う姫川さんは絶対に言わないのだろう。

 それは僕のためではなく、黒川さんのためでもなく、有紗さんのためでもない。

 自分に有益だから言わないのだ。

 姫川さんはそんなことを考えている意地が悪い顔をしている。

 そんな姫川さんに弱みを握られてしまった……。


「姫川さん。今日は悪い部分が出すぎているよ」

「自覚しているから大丈夫よ」

「なお悪い……。それで有紗さんが何なの?」

「わかりやすく言うと彼女が犯人よ。貴方たちの噂も、直接ではないでしょうけど嫌がらせもね」


 ……姫川さんは何を言っているんだろう。

 同じ鯨岡でも悪いのは副会長である兄の方であって、妹だというだけで有紗さんは関係ない。

 まず彼女ほど人がいい人を僕は知らない。

 今朝だって僕を助けてくれたし、間に入って事を穏便に済ませてくれた。


 いつだって彼女は争いを好まない平和主義で、おそらくクラス全員を気を配っていて、男女共に人気があるというのも納得の人格者だ。

 もう半年以上同じグループにいるんだから、姫川さんだってそのくらいわかるだろうに。


「納得できないって顔ね。ならこんな話はどう。金曜日の昼休みに一条くんが教室を飛び出していった後の話よ。何があったのか聞いて帰ってきた鯨岡さんは真っ青な顔をしていたわ。そして明らかに動揺してた」


「それは事情を知ったからじゃないの? 黒川さんはよく僕たちのクラスにきてたし、有紗さんとも普通に仲良く見えた。勝手に友達とまでは言えないけど、知らない仲じゃないんだから動揺してもおかしくないと思う」


「ずいぶん庇うわね。彼女が犯人じゃ困るのかしら。まあいいわ、どのみち一条くんに拒否権はないんだもの」


「ねぇ、姫川さんは何にそんなに怒っているの? 黒川さんと話してきたからだと思ってたけど、それだけじゃないよね。有紗さんにも何か怒ってる?」


 姫川さんは有紗さんに対して何か誤解や勘違いがあるのではないだろうか。

 それが怒りの原因でそう思い込んでいるなら、まずはそこから話を聞かないといけない。

 今日の姫川さんなら直接有紗さんを問い詰めるところまでいってしまう気がするし……。


「……お、怒っているに決まっているでしょう。どうして私がしたくもないのに、ニコニコニコニコしていたと思う?」


「わ、わからないです」


「そうよね。一条くんなんて気づいてもいないわよね。無関係じゃないのに……。私にもね、が流れていたのよ。そして、それを流した奴を見つけるためにニコニコして尻尾を出すのを待ってたのよ!」


 とうとうキレた姫川さんを「マズいって!」と静めようとするが効果がない!

 流石に授業中だろうとこんな大声出していたら誰かに見つかるし、そうなったらマズいのはわかるだろうに姫川さんは冷静さを欠いていて、一切止まる気配がない。


「私がいつ貴方に振られたの、どうして振られてもいない私が新しい恋を探すの。慰められるいわれもなければ、変な気を使われるいわれも、応援されるいわれもない。好き勝手に言うにもほどがあるでしょう! それをあの女がやったのよ。おかげで前の三倍は鬱陶しい! 私にできるのは大丈夫だと振る舞って噂を鎮火させることだけ。いくら自分の意中の相手が私に振られていたってやっていい事と悪い事があるでしょう! タダじゃおかないわ、あの女ぁ……。この機会に二度とふざけた真似ができないようにしてやるから。もちろん責任を取って協力してくれるわよね!?」


 このあと普通に先生に見つかり職員室に連行され、優しい方の生活指導を呼び事情を説明するも怖い方の生活指導にこっ酷く怒られ、教室にいけばみんなから「どうしたの?」と心配された。

 そして姫川さんが教室にいく直前に言った、「見てなさい。あの女はもう火消しに必死だから」という言葉の通りになっていた……。

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