第62話 姉の心、弟は知らず

「えー、安斎あんざい先輩に対してはヘタレな一条いちじょうくんに代わりまして、あーしこと黒川くろかわ 美雪みゆきが仕切らせていただきます。異議はありませんね?」


「「……異議なし」」


「では始めます。と言っても、主に一条が直接聞けないことをあーしが代わりに聞くだけですけど。言っても仕方ないので始めます」


 デーブルを挟み向かい合う形の僕とゆいちゃん。

 そんな僕たちの間を取り持つように座る黒川さんが、この場の進行だけでなく緩衝材の役割もしてくれるらしい。


 まったく今日の予定になく、しかし突然起きてしまった、こうなっては逃げられない、対決と言うのか話し合いと言うのかのこの局面。

 ……やっぱり今からでもどうにかならないだろうか。明日とかにならないかな……。


(一条。こう言うのが正しいのかはわからないけど、頑張れ!)


 この瞬間も「どうしてこんなことに……」と繰り返し思うわけだけど、こんなふうに逃げられない場面でなければあり得なかったとも思う。

 何より、黒川さんが大変だろう仲立ちを申し出て、お膳立てまでしてくれたんだ。僕も腹を括ろう。


「──まずは二人の仲がよかったところから何があったのか。始まりにしてほぼ大部分を占めるであろうここを精査していきます。一条くん」


「……結ちゃんが急に厳しくなって、引っ越しで距離が近くなったはずなのになんだか遠くなって。そのうち結ちゃんと接することが苦手になっていって、どんどんそれが積み重なっていって。今はどうしようもなくなった……」


「だそうです。お姉ちゃんが自分に対して急に厳しくなり、それが何故なのかわからない弟は少しずつ接すること自体が嫌になって。最後には気づかれないようにお姉ちゃんを避けることで、何も変わっていないように振る舞うことにしたというわけです。安斎先輩いかがでしょう?」


 普段からテンションなどとは無縁なはずの結ちゃんは、先ほどから明らかにテンションが低かった。

 だ、だが、黒川さんに問われ下げていた顔を上げ、こちらを見た瞳には感情がある。

 思わず「「──ひっ」」っと僕たちが声を出してしまうくらいに圧もある。


 直前までの異様にテンションが低かった状態を青と表現するなら、今感じるこれは赤と表現するしかない。

 わかりやすく言えば「怒っている」のではないだろうか? ……な、何に? どうして?


「……つかさの行為そのものにも、お姉ちゃんなんて一度も呼ばれていないことにも、言いたいことはありますがあとにしましょう。司、本当にわからないの?」


「ちょ、ちょっと冷静に!? 先輩らしくないですよ」


「私は冷静です。私が司に厳しく接するようになった理由でしょう。そんなこともわからないままで今日までいたのかと聞いています」


「だから、一条はわからないからわかったフリをしてきたんでしょう。安斎先輩はそれを言葉にしてください。ちなみにあーしにもわからないです!」


「黒川さんは一人っ子でしたね。なら理解できないことなのかもしれない。ですが、あなたたちの言葉の中に答えはもうありましたよ」


 答えはもうあるなんて言われても、僕はそれがわからないまま三年以上を過ごしているのだ。

 結ちゃんももったいつけないで答えを教えてくれれば、こうだからこうだと以前のように言ってくれればいいのに。

 そうすれば僕だってその通りにして、


「……結ちゃんの言うことを聞くだけではダメだった? だから結ちゃんは僕を突き放した、のか。でも、なんで?」

「どういうこと? お姉ちゃんとしては素直に言うことを聞く弟の方がいいんじゃないの?」


 もしかして答え、、というのはそういう意味か?

 僕に対する言葉は僕だけに言った言葉じゃない?

 結ちゃんも黒川さんも一人っ子だ。僕もかつては一人っ子だった、、、

 ……そうだ、一人っ子だった。でも今は違う。


「司、あなたは弟でいるばかりではダメでしょう。あなたはお兄ちゃんなんですから。かえでは私をではなくあなたを間近で見て大きくなるんです。司がいつまでも私についてくるばかりじゃ、楓は兄のそれに倣ってしまう」


「あっ、あー、なるほど。厳しさの原因は一条じゃなくて楓くんってことか!」


「私は甘やかしてばかりだと言われていたので、司が中学生になったところから心を鬼にして接することにしました。司のため、楓のためと思ってです。ですが、私の心は少しも理解されてなかった」


「あー、それは本人に直接どうぞ。精査するまでもなく悪いのは一条だったので。煮るなり焼くなり好きにしてください」


 僕は今まで自分のことしか見えてなかった。自分のことしか考えてなかった。

 これじゃ結ちゃんの気持ちなんてわかるわけがない。僕は弟としても兄としても失格だ。


 楓のことはもちろん弟だと思っているし、先に生まれたのだから見本となるようにとも思っている。

 でも、本当に結ちゃんの言う通りだ。


 楓は間違いなく僕を見て成長するし、僕はそんな楓に見られて恥ずかしくない存在でなければならないんだ。

 そんな僕がいつまでも結ちゃん頼りでは、楓に対して格好なんてつかない。

 そして結ちゃんにも楓にも申し訳ない……。


「……帰ります」

「ほら、いぢけちゃったぞ。帰していいのか?」

「いぢけてません。黒川さん、あなたはそうやって、」

「あー、あー、ほら、早く何とかして」


 変わってしまったと思っていた結ちゃんはたぶん何も変わってない。変わったのは僕自身だった。

 それも間違えて、変な勘違いをしてだ。


 とてもではないがこの体たらくでは、姉離れなんて恥ずかしくて言えたものではない。

 楓には本当に申し訳ないが、僕が結ちゃんのようになるのにはもう少しかかるだろう。

 せめて一つでも結ちゃんに負けないと誇れるものを得ないと。


「──結ちゃん。その、ごめんなさい」


 だけど、ちゃんとそうなるから。

 今はまだ見えないけど見つけるから、もう少し待ってほしい。

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