インドの青鬼 完

 今日も今日とて「酒の大沢」に来ていた。

昨日あれだけのことがあったから入り口の前で足が止まる。

どんな顔してお兄さんに会えばいいのか分からない。

追いかけてきてくれなかったお兄さんは、昨日の事、私の事をどんな風に思っているのか。

それを考えると足が竦んでしまう。

このまま家に帰ろうか…と思っていると目の前の扉が開く。

そして、お客さんと思わしきおばあさんが出てきた。さらに、見送るためにかお兄さんも出てきた。

「「あっ…」」

 お兄さんと視線がぶつかる。

気まずい…………どうしたら…………

頭をフル回転させる。そして導き出した答えは、何もなかったかのように振舞うこと。

「お兄さん、こんにちは」

 無理に笑顔を作る。すると、お兄さんは「お疲れ様」と返してくれた。

いつもなら嬉しいその言葉は何故だか、今日は全く嬉しくない。

それを気にしないようにして、店に入ると目の前に沢山のコンテナが積まれている。

昨日何もなにもなかったお兄さんの棚のそばに置かれているし、新しい陳列をしているんだろう。

「何並べるんです?」

 いつものように問いかける。

「クラフトビールを並べるつもりなんだよ」

「へぇ~」

「いっぱい仕入れたんですね」

「うん。沢山沢山売らないといけないからね」

 荷物をレジの裏においてお兄さんのもとに戻ると、作業を再開していた。

その横顔は天音さんの言う通りのめり込んでいるような表情だ。

「どうしたの?」って問いかけたいが…唇をぐっと噛んで堪える。

 

 私を置き去りにして、お兄さんは陳列を終えた。

「どうかな?」

 感想を求めてきた。

遠くから見ていたから完成度が高いことは分かっている。

「いいと思いますよ。いろんな色を並べてあって綺麗で目を引きそうです」

素直に褒めると

「売れるかな?」

とお兄さんが問いかけてきた。

売れるかなんて分からない。でも、お兄さんが喜ぶなら…………

「きっと売れますよ!」

 そう返すとお兄さんは笑みを作る。でも、その笑顔はいつもの不器用で親しみのある笑顔ではない。私が好きな笑顔なんかじゃない。見たことのないような笑顔。

その笑顔はどこか無理をしていて、欲望が透けて見えるような笑顔。

まさに、隣に並べてある『インドの青鬼』と言うクラフトビールのパッケージに書かれたような禍々しい鬼の顔のような笑顔を…………


 大丈夫なのかな?

天音さんは変わろうとしているんじゃないかって言っていた。

でも、今のお兄さんは間違った方向に変わろうとしている気がする。

お兄さんの良さを全部捨てて、何かを得ようとしているように見える。

この心に浮かんでくるモヤモヤした気持ちが杞憂に終わって欲しい。

私に出来るのはただ願うことくらいだ。


どうか、どうかお兄さんにがいつものお兄さんに戻りますように…………

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