下戸な女店主と不登校の酒屋生活

ひでたか

プロローグ

 鵜飼大輔は自分の耳を疑った。


「酒が飲めない奴が、酒屋なんてやるんじゃねぇ!」


 つい先ほどまで、貰ったばかりのお年玉で買ったゲームをして自堕落を極めていた。

 だが、いきなり母親に車に乗せられ、「酒の大沢」と書かれた看板の店の前に投げ出された。

 右も左も分からない。分かるのは目の前の店に何かがあることだけ。

勇気を振り絞って店の中に入る。

 すると、左手側からいきなり怒鳴り声が聞こえてきたのだ。

そこには、顔を真っ赤にして、肩を震わせている禿げた親父。

何か癇に障ることでもあったのだろうか?

右手には空になった茶色の瓶が握られている。

 禿親父とレジカウンターを挟んだ向こう側には、栗色に染めた長い髪をゴムで縛って、紺色の前掛けを付けた若々しい女性がいる。

格好からして、おそらくこの店の店主なのだろう。

禿親父の怒号に一切ひるまず、平然と笑みを浮かべている。

「すみません。お気に召さないようでしたら、他のおすすめ商品をお持ちしましょうか?」

「いらん!」

「では、何かお探しものがあればお持ちしますが」

「話聞いているか?」

「はい。しっかりと」

「なぁ、あんた酒が飲めないんだよな?」

「そうですね」

 二人の問答を聞いていると、引っかかる点が。

酒屋の店員なのに酒が飲めない……だと。

そんなことがあり得るのか?

酒屋の店員は酒好きがやるもんじゃないのか?

などと、偏見のようなものがあったので、先ほどの禿親父の怒鳴り声よりも驚いた。

「じゃあ、飲んだこともないもの客に勧めたのか?」

「そうなりますね」

 会話からして、本当にそうなのだろう。

そんな風に考えながら様子を伺っていると、親父の怒りはさらに上がっていった。

「知ったかぶりが、酒なんか売るなや! 客に失礼だと思わんのか?

なぁ、何とか言えよ。」

「申し訳ありません。ですが、私もお客様に勧めるために先代から教わっていますし、勉強もしていますから……」

「そんなこと知ったこっちゃないわ! もういいわ こんな胸糞悪い店二度と来るか」

「申し訳ありません」

 女店員は平謝り。普通なら嫌な顔の一つもしたくなりそうなものだが、それでも表情を全く崩していない。嵐の前の静けさのような嫌な感じがしてくるが気のせいだろう。

だって、こんなに丁寧な口調の女性が怒りだす……まさかそんなことありえない。

 思い浮かんだ考えを消し去って、二人のやり取りに集中する。

「前からこの店は気に食わんかったんや!」

 満足いってないのか、親父の文句は続く。

「前の店主は愛想笑いすらせん。そんな奴が店主なんて笑えるわ」

 話は全く違う方向へ。

うん? 何だか一瞬、女性が表情を崩したような気がする。

前の店主の悪口を言われると同時に。

 でも、今は先ほどまでと同じように笑みを浮かべている。

気のせいだったのか?

「すみません。先代はそういうことが苦手だったので……」

「そんなことは知らんよ。だからさ————」

 それからも、クドクドと文句を垂れ流す。

いつまでも続くかに見えた罵倒の嵐。

だが、その話は唐突に止むのだった。

「前の店主もゴミだったからな。次の店主も————」


ダン!!!


 女性が、レジカウンターを勢いよくぶっ叩いた。

 その衝撃は、レジカウンターのそばに置かれた商品にも波及する。

瓶物はガタガタと音をたて、軽いお菓子のようなものはあちらこちらに飛んでいった。それほどに強力な一撃だったのだ。

 僕も、禿親父も女性の一撃を予期しておらず、目を丸くして立ち尽くしていると、先ほどまでの笑みが消え失せ、DQNのような恐ろしい顔になった女性が———


「おい、おっさん」


 ドスの効いた声が女性の口から飛び出した。

さらに、追い打ちをかけるように、


「いい加減黙れ」


 丁寧な口調はどこかへ消え去り、親父のように大きな声ではないが、その声には重みがある。本当にこの女性が出しているのか、疑いたくなるほどの重い声。


「客に対してなんて口だ!」

 

 親父は一瞬気圧されたがすぐに立ち直って言い換えす。だが…


「何も買わねえ奴は、客じゃねぇ!」


 もう一度、バン!! 

と渾身の一撃を叩きこむ。

次に何か言ったら、こうなるぞと言わんばかりに。

禿親父は、一歩、一歩、後ずさりし始めた。


「黙って、お前の文句聞いてやったらいい気になりやがって。私の事なら、いくらでも我慢するが、親父の罵倒は許せねぇな」


 禿親父の後ずさりは、さらに大きくなっていく。


「早く失せろ!」


 その言葉をとどめに、回れ右して禿親父は店から逃げていった。


 そうして、静かになった店に僕は取り残された。

あまりの空気の悪さに自分も逃げたくなっていると、女性は自分の方に視線を送ってきた。

「おい、ここは子供が来る場所じゃねぇぞ」

「あ…あの……」

 声音から重さは消え、優しいものに戻り強い視線は緩んでいる。

だが、先ほどまでの光景を見ているとどうしてもおっかなくて、上手く返事が出来ない。

「言いたいことがあるなら、はっきり言えよ」

「は、はい……」

「だから用件は?」

「今日からお世話になる 鵜飼大輔(うかいだいすけ) です。よろしくお願いします!」

 そういうと、女性は頷きはじめ、

「お前が居候したいって姐さんの息子なのか~」

 禿親父との交戦を終えた女性は僕の方に近づくと、ガシガシと肩を叩き始める。

女性はすごく嬉しそうな顔でガシガシガシガシ繰り返す。

この女性が言うように、僕は今日からこの店に居候することになったらしい。

母が勝手に話を進めていたようだ。

僕の意見などまったく聞かずに……

最後に、

「帰ってきたら、縁を切るから」

とだけ言い残して手荷物すら渡さず、着の身着のまま自分を置いて帰っていった。

 怒涛の展開に頭の中で処理が追い付かなくなっており、そんな状態でとりあえず店の中に入ると、いきなりさっきの禿親父……

頭の中はもうグチャグチャ。

面食らって立ち尽くしていると、肩のガシガシは強くなっていく。

「すみません、そろそろ肩を…」

 そういうと、女性はニカっと笑ってさらに肩を叩いてくる。

先ほどのまでの大人の笑みとは異なり、少し品がなくどこかで見たことがあるような親しみのある笑顔。

ガシガシはガシガシを通り越して、ドカドカって感じになってきた。

先ほどのおっかない姿を見ているから、拒むに拒めない。

そのまま我慢しているとやっと解放してくれた。

「そういえば、私の自己紹介がまだだったな。

私は大沢天音。天使の天に音楽の音であまねだ。一応、この店の店主だ。よろしくな」

 そう言って、右手を出して握手を促してきたので、自分をそれに倣う。

「何点か、質問良いですか?」

「ああ、いいぞ」

「大沢さんは母のことを知ってるんですか?」

「天音でいいぞ。姐さんには昔世話になったんだ。だから、恩返しも兼ねて今回はお前の居候先に私の家を提供することにした」

「はぁ… そもそも、なんで僕は居候することになったんですかね?」

 母からの説明はほとんどなく、いまだに状況を呑み込めていない。

そのため、自分よりも詳しそうな人に聞いてみたのだが……

「知らん。昨日、姐さんから電話で『息子を頼む』って言われただけだからな」

「はへ?」

 天音から発せられた言葉に唖然としていると、さらに追い打ちをかけられる。

「まぁ、うちの店もちょうど男手と店番を探していたからちょうどいい」

「え?」

「お前の衣食住は私が保証してやる。その代わりにお前は今日からこの店で働いてもらう!」

「ほへ!?」



 こうして、僕の居候生活が始まった。

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