被害者が孤立無援になる理由

 前回でほぼ答えは出ている気がしますが、以下の点に集約されると思います。

 

・彼らを認知することに高い知識・意欲・専門性を要求される

・彼らの存在自体がドラマチック、もしくはコミカルである

・彼らのような人種は彼らの有利な場所でしか発生しない

 

 理解が困難であるのは、これまでも何度か触れてきました。

「こういう病質の人間がこの世に存在する」と言う最低限の気付きすら、一般人には困難です。

 ならばタケさんや義姉のような、明らかに他とは異質な人間とは何か? と言う疑問が掠めたとしても「人よりかなり変わってはいる」と言うファジーな解釈に逃げてしまう。

 そしてこうした手合いが起こす暴挙は自信満々で「ドラマチック・コミカル」な、現実離れなものばかりなので、指摘した方が「テレビやマンガの見すぎだ」と言われる始末です。

 これが、無関心な傍観者の素地を作るのだと考えます。

 実のところ、義姉に対する不信感は、この事があるまで私よりも妻の方に大きかったくらいです。

 妻が何度か「あの人は本当にめんどくさい」と言っていても、私は呑気に構えていました。

 義姉が拠点を移そうか検討していた頃には、私達の地元に来ても良いのでは? と言ってしまったくらいです。

 あの人が無害なのは距離が遠いお陰で、近所にでもなれば過干渉にもさらされる。絶対に嫌だ。

 そう半ば訴えかけていた妻の言葉を、当時の私は軽く受け取っており、それこそA社係長のような無知と当事者意識の薄さから来る無理解だったのだと思います。

 妻には、長年アレに振り回されてきた経験則がありました。

 けれどいくら訴えても、他者には理解が出来ない。

 この時の妻は孤立無援だったのだと、今にして思わされます。

 

 そして今回、考えた末に気付いた仮説。

 ブラックの被害者が何故、孤立無援となるのか。

 ブラックな人達に孤立無援とされるのではなく、そもそも「この手合いは味方を多く確保できる環境でしか発生しないのでは」と言う事です。

 カビが生えるのはその場所がジメジメしているからですが、だからと言ってカビが湿気を生じさせるわけではありません。

 例えば義姉の場合、向こうの実家と言うのはそもそも生まれてから「味方ばかりのフィールド」です。よほどおかしい虐待親でもない限り、子供と親が敵対する事はまずないでしょう。

 前回も考察しましたが、この手合いにとっては「無関心な人」も「味方」にカウントされます。

 元々A社のような給料の安い所に勤めていた事もあって、先方の父親は私達の結婚に消極的でした。

 そこで義姉が便乗し、妻に「あんたらの結婚は誰も祝福してない」「一度同棲でもすれば現実が見えるんじゃない」などと相当言っていたそうです。

 この義姉のような手合いは、とにかく「多数派や有力者と連帯感を取ろうとする」性質があります。

 なので、私が義姉に対して不利なフィールドに立たされているのは必然であるわけです。

 そして長期スパンでものが考えられないために「後々、立場が入れ替わったり変化する可能性」を考えず、場当たり的にマウントを取ります。

 結果、私達の結婚後は何事も無かったかのように掌を返し、取り入ろうとしてくる。

 あまつさえ「A社を辞めて妻の実家に引っ越してはどうか」などと滅茶苦茶な事まで言う始末です。

(A社でのトラブルは、妻の家族には一切教えていません。最近、転職するまでA社で順調に働いていたと言う認識の筈でした)

 実際、義姉のような手合いは「味方の望めない場」では全く無口か、総すかんを喰らってしょぼくれているパターンが多いのでは無いでしょうか。

 

 幼少時からの知人に、自己愛性パーソナリティ障害の定義が全て該当する人が居ますが、この人はもっと露骨でした。

 以前別項で触れた「不機嫌に気付いてあげないと路地裏を爆走したり、お店で暴れたりする人」です。

 中学の頃、部活で私が仲間と喧嘩をした時、私が少数派になったと見るや「どけや」と言って突然尻を蹴られた事もあります。

 何故か、彼には何ら関係の無い事であるのに。

 その前日まで仲良く一緒に帰って、買い食いをしていたくらいなのにです。

 また割りと近年、お酒の席での議論で、やはり私が劣勢になった時も同様でした。

 何人かが私に対して感情的になったのに便乗し、皆に聞かせるように、

「俺はお前のように女々しくない」

 少し前に失恋の愚痴を夜通し聞かされた相手に、まさかこんな事を言われるとは思いませんでした。

 恩に着せたくはないのですが「攻撃対象にならない権利」くらいは主張しても良いのでは無いでしょうか

 とにかくこの知人や義姉のような人間は、全ての行動原理が目先の我欲です。

 はっきり言って悪気は全く無いでしょう。

 悪気が無いと言うことは罪悪感もなく、成長して変わる余地もありません。正常な人間のセオリーは通じないと言う事です。

 助けたり支えようとすれば「こいつは格下だ」と見なされ、むしろ攻撃の対象になってしまうのです。

 

 時たま見せる優しさや、子供に対する親の顔すらも、この人らにとっては「少しでも得をするためのカード」であり、また、同時に自分が正常に思いやりのある人間だと思って憚りません。

 彼らの人間らしい顔は、全てが虚像です。

 先日の衝突の際、妻に、

「姉の何を知っていると言うのか」

 と言われた事に対し、私は、

「知る必要もない。直接見なくても、滲み出ている性根だけで底の浅さは充分わかる」

 と返しました。

 まあ、ここだけ抜き出すと、どうみても悪者は私の方なのですが。

「実は心の底に優しさや信念を秘めているから、決めつけるな」

 と言う論法自体が、残念ながらこうした手合いの甘えなのです。

 

 相手の本性を皆の前に暴こうとは考えない方が良いでしょう。

 ここまで述べたような理由から、余計に味方が居なくなるだけです。

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