福岡県5歳児餓死事件の赤堀容疑者


 連日ニュースで大きく取り沙汰されている為、概要は省略します。

 あってはならない事がまた起きました。

 これもまた、赤堀が「何者か」を明確に定義されなかった為に起こった見過ごしでしょう。

 被害者の(唆されて我が子を死なせた加害者でもある)母親が、逮捕されて即座に「洗脳されていた」と述べているのが良い証左だと思います。

 恐らくこれは、罪を軽くする保身では無い。

 元々赤堀の事を「おかしい」と思いながらも、抜け出せない関係性から、スルーせざるを得なかった。

 両者の逮捕と言う事態で支配関係が壊れた時に「やっぱり!」と思った事でしょう。

 私がA社を辞める前後がそうでした。

 母親にとっては、どこかで「赤堀が正しくないと困っていた」のです。

 

 無責任な勘繰りになりますが、この母親は、元々、夫との折り合いがいくらか悪かったのでは? と推測します。

 さもないと、ぽっと出の他人が浮気や離婚裁判をでっち上げて信じ込ませるなんて、出来るとは思えない。

 これまで何度も述べてきましたが、赤堀のような人間は、虚実を織り混ぜて相手を操作する能力が非常に巧みです。

 他人と自分との境目も無いので、こうした弱みを持つターゲットへの嗅覚が鋭く、入り込むにも(拒絶される可能性を検討するなどの)躊躇がない。

 その自信に満ちた態度が、逃避先を求める犠牲者とマッチする事もままあるでしょう。

 

 痩せ細って起き上がれなくなった5歳児を目の当たりにして「大丈夫」と捨て置くなど、どんな犯罪者でも普通は出来ない事です。

 情やモラルもさる事ながら、そんな状況になって誰も良い事はないと、普通なら理解できるからです。

 それが赤堀のような人間は「子供には引き続き程よく餓えてもらい、自分が金を手にする」と言う筋書き以外に想像が及ばず「子供が餓死し、自分が逮捕されると言う筋書きは摂理に反している」と本気で考えている事でしょう。

 容疑を否認していると言うのが、また良い証拠です。

 もっと言えば、金目当てでは無かったのかも知れません。一千万円と言う金額は赤堀にとって、被害児童の母親が「間違いなく自分の筋書き通りに動いた得点」に過ぎないのでは、と。

 

 この件に関して軽く調べていたおり、こんなやり取りを見付けました。

 

「赤堀のような人間は、空っぽ。どうしようもない」

「君のようにサイコパスだかソシオパスだかの被害にあった人間は決まってそう言うよね。空虚、どうしようもない、寄生虫、救いようがない、この世に居てはならない、殺すしかない。上司にいじめられてたと言う知人もそう言ってたよ」

 

 後者が何を主張したいのか、この一文だけで断言は出来ません。

 けれどやはり、直接被害に遭っていないがゆえに他人事なのではないかと思います。

 複数の人間が同じ言葉で危険を訴えているのに、何故素直に疑問を持たないのか?

 一度、命まで取られかけた私には、その知人の言い分はよくわかります。

 寄生虫と言うのは些か口汚いが、その性質を考えれば言われても仕方がない。そこまで言われる覚悟をするのが、本来“責任”と言うものです。

 空っぽ、と言うのも的を射ています。この人種は他人を思いやる機能が欠損しており、我々が他者と共に在って得られる喜びを持ち合わせていない。

 本当の望みでもない我欲を淡々と求めるだけ。

 溝を埋めるためにあれこれ手を打つけれど、即物的で場当たり的な対処しか思い付かないので、周りからすれば、やる事なす事すべてが「違う」

 近くで見ていないと、この虚しさは中々察してあげられないかも知れません。

 こんな危険な言葉を並び立ててでも、赤堀のような人間は危険だと叫んでいるのに、

「何をそこまで。共存出来ないは言い過ぎ」

 と決まって返ってくるのです。https://kakuyomu.jp/works/16816452218321983797/episodes/16816452218749254578

 コレに対して私が共存不可能と断じた事に対する妻の反応すらそうでした。

 コレから被った被害はむしろ、妻の方が大きかったにも関わらず。

 私がタケさんにあわや殺されかけた事も側で見ていながら、なお。

「そんな、感情のない殺人マシーンなんてフィクションじゃあるまいし(笑)」とどこかで思っているのでしょう。

 直接やられたか否か、にはここまでの断絶があるのです。

 

 確かに「殺すしかない」は言い過ぎです。

 こうした精神病質を理由に殺人が肯定されるべきではない。

 けれど、何故、我々がババを引かされなければならなかったのでしょう?

 このような人間が行き場を無くして、野垂れ死んでいく分には、誰も責任を負う必要もない。

 思うに、我々と彼等の理想的な関係とは、

 我々側が一人一人彼等側の人間に対する正しい知識を持ち、決して寄る辺とならない事だと思います。

 そうすれば孤独で死んでしまう彼等側の人間は自然と淘汰され、けれどそれは誰のせいでもありません。

 我々側の人間は「自分の為にならない相手とは付き合わない」と言う当然の権利を守るだけなのですから。


 こんな状況でも欲しいものを訊かれて「ママの好きなお菓子を買おう」と言った男の子と、赤堀。

 この二者は、確かに排他的な関係にありました。

 普段我々は、この選択から目を背けている。

 赤堀を排除した冷血、と言う謗りを、自分が受けたくないから。

 あの人は少しおかしいだけ。

 そう自分を納得させて、見て見ぬふり。

 男の子と赤堀。

 どちらの命がより尊いか。

 どちらの人権が本当に価値あるものだったか。

 平等に見れる目は、私にはありません。

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