自己愛性パーソナリティ障害 補足

 連日、この自己愛性パーソナリティ障害(以下、NPD)とパワハラの相関関係について考察してまいりましたが、一つだけ注意すべき点に気付きました。

 タケさんNPD説の概要について軽く妻に説明した所「私も当て嵌まるかもしれない」と言い出した事です。

 確かに彼女は、自分が正しいと思ったことを修正するのが下手な面もあります。

 しかし「ただの意地っ張り」と「脳の器質的な欠損」は、決して同じではありません。

 何かの特性を箇条書きにした時にありがちなのが、この「自分に当て嵌めようと思考が引っ張られる」バーナム効果と言うものです。

 しかも、彼女がそう言いだしたのは、まだ例のNPD定義を引用して居なかった時……何となく「自分の間違いを修正しない、強い執着がある感じだよ」程度の説明でした。

 この事からも、こういう判断は体系だった理論のもと行わねばならないとも思いました。

 実際、私が妻を例のNPD定義に当て嵌めてみた所、

(2) 限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている.

 が一部該当しそう? 家事が終始自分の筋書き通りで無いと熱くなる辺り。自信が無いので△

(7) 共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない.

 も、自分の言葉で相手が腹を立てた時に「事実だから言った」と言う主張を先にする辺りが該当するか……と思いましたが、最後には納得して修正する事が多いので、これも迂闊に当て嵌められない。△

 で、良い所1、2個でした。

 これなら、個性による誤差の範囲でしょう。

 

 ちなみに私自身を当てはめてみた所、〇or△が4個になりました。現職のホクさんの事をあまり言えませんね!

(1) 自分が重要であるという誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)

 →△ やった事を評価されない(成果物を無視される等)に腹が立つ事も含めるなら、該当するのでしょうか。逆に、やらなかった事ははっきりやっていないと、弁えてはいます

(4) 過剰な賛美を求める.

 →△ 正直、褒められると調子に乗ります。前項目と同様、自分の中で「やった」と言うのを評価されないと腹が立ちます。ただしこれは若い頃の話で、最近は鳴りを潜めていると思います。

(7) 共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない.

 →〇 近しい人間が苦しんでいたりしても、正直自分の事のように捉えた事があまりありません。ただ「可能な限り助けられるなら助ける」主義ではあるので、何も感じないながらも、出来るだけの協力はしてきたつもりです。

 これが自分に不利益な(タケさんらのような)人間に対しては更に冷淡で、端から理解する事を放棄しています。

 最近だと、妻に対してですら「八つ当たりだ」と判断したら、共感する気はさらさらないと、切って捨てる事があります。

(9) 尊大で傲慢な行動、または態度

 →〇 これも相手によって使い分けている辺りが本物っぽいかもしれません。

 敵とみなした相手に対しては、一切の謙虚さを捨てて、どうやっても埋めようの無い断絶を作ります。

 

 この論理に関しては、あくまでも疑惑を確信に変える助けだと思い、

 自分で自分を当てはめようとしない方が精神衛生上よろしい事でしょう。

 本来はNPDでなかったのに、論理に引っ張られて本物のNPDになってしまっては目も当てられません。(専門外なので、良い大人が後天的にそうなるのかはわかりませんが)

 まあ、個人的にタケさんやNPD満点者のような人達にこそ、自分で採点して気付いて欲しいものなのですが……。

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