自己愛性パーソナリティ障害(NPD)等
自己愛性パーソナリティ障害とパワハラその1
自己愛性パーソナリティ障害(以下、NPD)と言うものを勉強する機会がありました。(次回、気付くきっかけになったエッセイのリンクを貼らせていただきます)
NPDそのものについての概要に関しては、各々、調べて下さい。
冒頭で申し上げた通り、当エッセイでは学術的な事に関する言及は行いません。
あくまでも私自身の経験則から、なるべく直観的に脱出の方策となる材料をお渡しするのみです。
知識に裏打ちされた論理的な部分に関しては、詳しい方やグーグル先生の記述にお任せします。
適材適所というものです。
とりあえず、タケさんがこれの項目に大半、当てはまる、とだけ言っておきます。
さて、このNPDという観点から当て嵌めてみると、色々と違和感が解決されそうな予感がしています。
まず、人口比率から言うと、ざっと調べた感じ一般人口の0.5%の方がNPDを有しているそうです。200人に1人、と言い換えるとかなりの数になる事がわかります。
そこで更に個人差、強弱があるのかどうかについてはわかりかねますが……私の経験上、恐らく強弱はあるのだろうと思います。
何故そう思うのかは、後述。
まず、私が成人してから今までの十数年間に限定しても、このNPDに該当しそうな知人が実に9人にも及ぶからです。
(ちなみにE社にも一人疑いのある人が居ますが……まだ不確定なのでカウントしていません)
学生時代まで含めば更に数が増えそうではありますが、精神的に未成熟な時期のケースまでは判断しかねるので除外しました。
うち、ことによると犯罪行為にまで走りかねない・実際に走りかけていた人間は4人。
タケさんのように告発されなかっただけの犯罪者は言わずもがな「単に力が弱くて何もできなかっただけ(例:2社目の嘱託社員)」「私との関係が知人・友人でしかなかったので実被害が少なかった」と言うケースを含めての4名です。
つまり「NPDと思しき人と同じ職場になる」可能性は、決して低いものでは無いのです。
とりわけ私のように、4社も渡り歩いていては、その確率は格段に上がる事でしょう。
さて、ここからは本当に、何の学術的裏打ちも無い持論であり、あるがままの経験則を書いているだけである事を先に断っておきます。
まず、私がざっと思い付いた限りの9名にはある共通点がありました。
それは、
「いずれも持論を絶対に曲げない」と言う事です。
これだけを言えば、ただの頑固者ではないのか? とお思いでしょう。
最終的な結論を絶対に曲げない、と言うのは確かにままある事かも知れません。
誰しも譲れない持論はあります。
しかし、世の中の大抵の事は、白か黒か・1か0かの二元論ではありません。
一つの事柄をとっても、人によって支持出来る部分・出来ない部分はあり、それらを総合的に判断して答えが出されるはずです。
(例えば、ニートに反発した人が居たとしても「人生は労働ばかりではない」と言う点までは否定しないでしょう)
この点、私が考えた9名は、最初に彼ら自身の描いた筋書きがあり、そこから外れるあらゆる要素を排除しにかかって来ていました。
彼らがAだと言ったら、結論は絶対にAなのです。たとえ、それがBである根拠が山ほどあろうが、Aの別の側面がBであろうが。
ドラクエ等の村人を想像してください。彼らは、こちらが村や住人にどんな心象を持っていようが、必ず定型文を発しますよね。
「ようこそ! ここは〇〇村です」
何度話しかけても、返って来るのは同じ。
村人にとってのルーチンが、それしかないからです。
乱暴な言い方をすれば、彼らはそれと同じです。脳の器質的にIF文が備わっていない。
そりゃ、こちらがいくら求められるままに説明した所で、通じる筈がありません。
タケさんが私に対して行った、常軌を逸した行為、
「係長のミスを見落としたから眼鏡を買わせる」
「後輩の為に定時を超えた段取りを組んだら、腕時計を買わせる」
などは、恐らく嫌がらせや
私が自分の筋書き通りに動かないので、本当に万策尽くしているつもりの、真心からの行動なのでは無いかと思いつつあります。
A社が新型コロナ対策で有給消化を推奨した時に私がその通りに休み、それに対してタケさんが私に「なぜ休んだか説明しろ」とのたまった時の、
「コロナのせいにするな!」
と言うのもそうです。
このコロナ禍の危険性を理屈で理解しながら、それが持論を支持しないので排除「しなければならなかった」と考えると、合点も行きます。
これは比喩でも冗談でも無く、本当に我々とは根本の精神構造が違うのでは無いか、と。
これだと、私をいじめて楽しんでいた、という方がまだマシです。
もしタケさんが重度のNPDだとしたら、本当に、Aと言う答えの為に私を刺すくらいしかねなかった事になります。
他の9人についても一部、事例を挙げていきます。
・私を(小説書きと言う事を理由に)メンタルを病んだ奇人だと揶揄→私が若干不快な素振りを見せる→いきなり逆上し「認めろよ! お前は奇人なんだ!」と断固交戦の構えを見せる「お前はこれこれ、こうだから、こうで、奇人なんだ! (他の知人)だって○○と言っていた、これはお前が奇人であると言う意味に違いない!」
=彼にとっての終着点は「私が自分を奇人と認める事」
・私がある本について感想を言うと、自分では読んでもないのに「それは違うよ」→後日、わざわざ同じものを買って読み「やっぱり君の解釈は違うね」(当然、本の内容には全く言及が無い)
=彼にとっての終着点は「私の本に対する解釈が間違っている、それを認めさせる事」
・私がある友人の不機嫌に気付けなかった時。その友人が運転する車に乗っていた。彼は狭い路地を時速60キロ超で爆走した挙句、目的地の駐車場で他人の車を塞ぐように横付け→私の苦言に対し逆切れ
=彼にとっての終着点は「私が彼の不機嫌に気付き、100%的確な言葉をかけてあげる事」
・私が財布を紛失して警察に届けた所「絶対に見つからない」と言い張る→私が「それなりに見つかった実績はあるらしいが」と抗弁→「きっと持ち主が死んでいるから名乗り出ないんだ」(???と思われるかも知れませんが原文ままです。自分の言葉に対する文章的な整合性すら取れてません)
=彼にとっての終着点は「私の財布が絶対に見つからない事or私が財布を見付けられない事で慌てふためる事」
彼らの欲求は、永遠に満たされる事はありません。
人は誰しも譲れない事(譲る理由も無い事)がありますし、そうでなくても、相手の心を正確に読み取って対処できるエスパーでもありません。
普通の人間ならそれを弁えて、他人と折り合いを付けますが、どうやら彼らの場合はそこが欠損しているようなのです。
だから、持論が支持されるまで、詭弁も含めたあらゆる論法を弄して「戦い続ける」のです。勝ち負けの問題でなくとも。
しかしながら、関係性の違いもあったでしょうけど、タケさんのそれと「私を奇人だと認めさせたがっていた男」のそれとでは、被害の次元が違いすぎます。
後者は、とにかく私を揶揄出来れば良かっただけで、口先以上の攻撃はありませんでした。家まで乗り込んで捲し立てるような限度を超えた行為はさすがにありませんでした。それが“普通”なのですが。
対する前者は、ここまで何度も述べて来たように「事故死の可能性がある設備を無免許で使わせ、その対策すらも妨害し、日常的に圧をかける事で思考力を奪おうとしていた」はっきり言って、殺す気満々でした。(これは半ば
ゆえに私は、NPDにも程度の強弱があるのだろうと推測しています。
そうでなければ200人に1人がタケさんと言う事になり、無法の世も良い所です。
実の所、タケさんが上司になる以前から、私はこの答えを得ていたはずなのです。
何故なら、このサイトでも投稿している自著「無血のヒーロー サイコブラック」の主人公は、この自己愛性パーソナリティ障害をベースとした架空の精神病質を有した人物であり、それを描くために当該病質について相応に調べていたからです。
自分のした事に対する「結果」そのものは社会通念上の悪だとしっかり理解している(=パワハラ被害者は気の毒)
にも関わらず、自分のした事(パワハラ)と結果(被害者が気の毒)が線で結びつかない。
ヒーロー同士が敵対した場合の描写で、それが顕著になっています。
お互いに、自分の事を棚上げして相手の罪を糾弾すると言ういびつな状況が描かれていますが、これは投影性同一視と言う「自分の悪い部分を分離して相手に押し付ける性質」をモデルとしています。
たまたま小説の為に、ここまで調べていた私が、それでもタケさんが異質だと辞めた後しばらくしても気付けていなかった。
いかに私が、こうした精神病質に対して「他人事」だと捉えていたかの証左でもあると思います。
そして、私のような知るきっかけも無ければ、専門家のような知識も無い周囲の人は、タケさんを異常者だと知る由がありません。
だから、見た目エネルギッシュな彼を軽率にリスペクトし、無自覚のうちに加担してしまう。
私の元上司・ダイさんなどは、精神的に全く健常な、はっきり言ってしまうと凡人そのものでしょう。
やはり、以前エッセイにも取り上げた「同罪の傍観者」と言う物がいかに罪深いかと言う事も、ここに至ってよくわかりました。
確固たる“自分”の無い同罪の傍観者は、その言動もNPD者に染まって模倣します。そうすることで本物が周囲に紛れ、場所そのものがNPD的な異空間に作り上げられてしまう。
貴方の上司はどうでしょう?
・貴方の返答にほとんど耳を貸さない
・不自然に合理性を欠いた言動がある
・たまに、貴方との共通点を見出だそうと近づいてくる
・自分の悪い部分をそのまま貴方に転嫁してくる
・自分を飾り立てる事に余念がない
・有力者には積極的に取り入る
・正論の中に支配欲求が見え透いている、絶対に自分の間違いを認めない
こうした上司であるなら、もしかすると精神病質的な原因であるかもしれません。
話が通じないのも道理ですが、そのために真面目に生きている貴方が危険にさらされる理由もありません。
見切る基準の一つとしても良いかも知れません。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます