同罪の傍観者
似ていますが、傍観者も同罪、ではありません。
私は基本的に「いじめは傍観者も同罪」と言う理屈に一部、懐疑的です。
介入する事で確実に丸く収められる確証があるのなら、やれば良い。
それがなくとも、いじめられているのが大切な友達なら、立ち向かえば良い。
けれど、何の接点も無い被害者の為に、次は自分にターゲットが移るかもしれない危険を冒す。もしくは、救おうとした筈なのに、更にいじめがエスカレートする火種となるかも知れない。
本人が自分の理念のもとでそうするならまだしも、傍観者よりも更に外側に居る“第三者”がそれを強要するのはいかがなものかと。
一説には、そうして助けに入ったらターゲットが移り、しかも助けた相手にすら裏切られると言うケースもあるそうです。
私の息子がそうしていじめの被害者となり、首を吊る羽目になるくらいなら……「成功する可能性は低い。それでも大切な友達なら助ければ良い。だが裏切られても構わないと言う覚悟は持て」と教えるに留めます。
それと「いじめられるのは運も絡むし、自分一人に対して相手が二人以上の時点で勝てなくて当然。逃げるのは恥でも無ければ負けでも無い。それで家に逃げ帰って不登校になったとしても、親としては良い判断だとだけ思う。死ぬのが負けだ」
と言う事も何とかして伝えねばならないと思います。
前置きが長くなりました。
これを裏返せば「傍観者は必ずしも同罪では無いが、同罪の傍観者は存在する」と私は考えていると言う事です。
以前、別のトピックで触れましたが、私を殺しかけた上司・タケさんは、他部署の方々と仲良くするのがとても上手でした。
それは単に「友達作りがうまい」と言う訳では無く、そういう交流などの面倒なイベントは最小限に抑え「そこまで親しくは無いけど、タケさんは出来る人だし気遣いも出来る」と思わせるのが、巧みだったと言いますか。
飲み会があってもまともに参加してなかったですし。
そんな人間にいつも罵倒されている私や同僚達を、偶然通りかかった彼ら彼女らはどう思うか? と言う事です。
それを見てフッ、と笑う人が数人。
前後に何があったのかも知らず、よく笑えるな? とだけ思いました。
きっと「また使えないクズがタケさんの説教貰ってるよ」と嘲笑している事でしょう。
“また使えないクズが”なんて思ってない。言いがかりだ。そう思われますか?
確かに、常識的に考えれば、そこまで考えてるわけはないでしょう。
けれど、受け取った相手は、必ずしもそうは取りません。
言葉や振る舞い一つ一つが、本来は自分に返って来る事を理解して発しなければならないもの。まともな環境の住人であれば、殊更言われるまでも無い事であり、理解できている人間からすれば窮屈なだけだから、一々言われないだけです。
とにかく、この“同罪の傍観者”と言うのは、自分で思考する事をしません。
タケさんがそう言っているからそれが真実なのだ。そう言語化すれば、自分がいかに危険な事をしているのか気付けそうなものですが……それは面倒だからやりません。
そしてこういう人達が多ければ多いほど、ブラック上司と言うのは自分を正当化します。賛同してくれている人が居ると言う事は、それだけ客観的に自分の正しさを証明されている。
恐らくブラック上司とは、心の何処かで間違いに気付いている。
だからこそ「自分が正しいと証明しなければならない」という本末転倒な思考のもと、少しでもその材料を貪欲に集めます。
だから「自分が間違いかも知れない」とブラック上司が気付くかもしれない芽を、こうした同罪の傍観者達は無自覚に摘み取っているのです。
それがひいては、最後には助かるかも知れなかった命を殺す事になる。
A社において、比較的後に入ってきた総合職の人が居ました。この人も最後にはこの同罪の傍観者に成り下がって居ました。
けれど、この人が入社した当初、私が上司として一定の信頼を置いていたスイさんが「あの人は前に会社で厄介な事を起こしてクビになったらしい」と言っていました。
少し話した感じ、何となく性格に難がありそうなのは滲んでいました。
それでも私は、例え信頼するスイさんからの情報であっても、自分の目でもっと深く知るまで、それを信じる事はしないでおこうと断固思っていました。
これが、当たり前の事だと思います。
これが出来なければ、不当な扱いはおろか、冤罪すらも簡単に生み出してしまう。
そういう意味でも、私がいかに原始的で恐ろしい場所に居たかがわかります。
ろくに接点の無かった事務所の人間が、最初から喧嘩腰の態度で話しかけてきました。
社員旅行で、旅行会社の人に質問があったので訊こうとしたら「そんなもん知らんわ!」と幹事の人に“横から”怒鳴られました。
LINEの着信音を猫の鳴き声にしていたら、別部署の人に険悪な顔で「びっくりするから猫の声とか止めてくれない?」と言われました。デフォルトの音だと咄嗟に区別が付きにくいからそうしていたのですが。他人の着信音にまで干渉する権利があると思っているなんて、怖い人だと思いました。
なお、これについて補足しますがタケさんが上司になるより以前は、同じテリトリーの人達が私の着信音で皆和やかに笑っていました。何故、この時になって今更? とも思います。
退職の挨拶に“回らされた”事務所でも、仲が良かった一部の人がしっかりねぎらってくれた側で、約数名は「はぁ……おつかれさん?」という態度でした。
これは私ではなく1社目の先輩の事ですが、皆に合わせて笑った顔を「気持ち悪い」と陰口を叩かれていました。
お前らが合わせないと「愛想が悪い」とかいうから先輩は懸命に合わせたんだろう。気持ち悪いのはお前らのほうだ。横で聞いている人は、貴方が知らないだけでこう考えているかも知れませんよ。
けれど私も何も言えませんでした。それが先輩を余計に窮地に追い込むかも知れないし、野蛮なムラ社会で長老たちの多数決に逆らえば、リンチを受けて殺されかねない。
正論とは、最低限度文化的で道理の通った場所でしか通じません。
通じないどころか、異端として迫害されます。どこの中世時代でしょうか。
1社目で、私と主任の仲が険悪だと知りながら、わざわざ「(私)を飲みに連れていってあげたら?」と楽しそうに振る人が居ました。「こんな奴とは嫌だね」そう返ってくるのがわかりきっているでしょうに。
興味が無いなら触らなければ良い。
なのに、声の大きい存在に乗っかって、別段恨みも無い相手を追い込む。
いじめや憂さ晴らしに生産性なんて無い、とは思いますが、これはそれ以下の話です。
こう考えるとタケさんはまだ、自分の頭で考えて、私にハラスメントの限りを尽くして居ました。
その思考すら放棄したものを、もはや人間とは思いたくありません。
それといじめと言うのは、殴る・蹴る・悪口……などと言う見た目にわかりやすいものに限りません。
集団でさも正しい事のように「世の中の為」「社会の常識」「思いやり」という正論で詰めるのも、ガワを飾っただけの単なるいじめです。
はっきり言って、わかりにくいだけで実害が出ています。
心当たりがある方は、いい加減、ちゃんと自分で考えて下さい。
良い大人なのですから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます