有給消化の拒否

 セキさんへの第一報から、退職の手続き自体はつつが無く進みました。

 一般的なマナーと社内規定から鑑みて、実質的な退職は一ヶ月後としました。

 当初私は、一ヶ月の勤務後に、残る30日余りの有給休暇を消化するつもりでいました。

 しかし、これを総務部長に止められました。

「今まで辞めた人に、有給を消化した人は一人もいない。コロナ禍の情勢もあるし、有給消化は認められない」

「社長がそうおっしゃったのですか?」

「社長にそれを主張する事が間違いだから言ってます」

 との事。

 正直なところ、会社(=社長)がどうしても無理だと言うのなら有給消化は元より諦める所でした。

 けれど、社長が直接知らないまま、有給消化の権利を放棄させられるのは不完全燃焼も良い所だ。私とて、急に次の職場を行くより、権利があるならインターバルは欲しい。

「もし社長に有給消化の意思を伝えれば、彼は貴方を今月中にでも解雇してしまうかもしれない。

 円満退社にしておかないと、次の転職先にも印象を悪くする。これは、貴方の為に言っている」

 社長がそういう人間なのか、残念ながら短い付き合いの中では推し量れませんでした。

 けれどかつての面談から、私は社長の事を「全ての法を守れないと自覚した上で、お互いに歩み寄る事を知っている」人だと思っていました。

 力に任せ、一方的に解雇を言い渡す人には思えなかった。

 そういう綺麗な人、と言う意味ではなく、それをする事でのリスクをしっかり管理出来る人だと、私は評価していたわけです。

 しかし、次の職場への影響を持ち出されては、実質私に反抗する手立てはありませんでした。そのリスクを支払うには、有給消化の価値はそこまで無かったからです。

「本当はこんな事を言いたくはありませんでしたが……労働基準法第39条において、有給休暇の拒否は違法です」

「確かに、最近の若い人は自分の権利を大事にする傾向にあるようだけど……法律が全てではない。なぜそうまでして、有給の消化にこだわるのか」

 法律が全てではない。

 この言葉の恐ろしさを、総務部長は本当にわかっておられるのか。

 態度こそ穏やかなものの、以前書いた「興奮した熊」をここでも感じました。

 労基に行け、と、かねてより知人からは言われ続けていました。

 けれど、それで状況が良くならないから、ブラック企業と言う物は抜け出しがたいのです。

 労基で事態が改善されるような会社は、そもそも労基を必要とするような環境ではない。

 円満退社。

 この言葉が持つ、真の意味を、私はこの時知る事となったのです。

 世の中、どこで誰が繋がっているかわからない。

 以前、タケさんに言われました。

「この前、〇〇市の人と話をした。あんたと知り合いだって。あんたは△△と言う活動もしていたんだってな。俺は顔が広いからすぐにわかる」

 だから、ここまで書いたような理不尽を全て無条件で飲み込み、この日までやってきたのです。何故こうもやられっぱなしで居るのか、と私に対して疑問を感じた方も居られるでしょうけれど、こうした事情がありました。

 子供が生まれる前であれば、これらの脅しを跳ねのける気概も湧いたかも知れませんが。 

 ドクターストップの際、当たり前ですがC主治医は診断書を書いてくれています。

 過去の判例から、これを証拠にタケさんの事を刑事告発する事も考えました。

 いくらか道理の通っていた休職前ならいざ知らず、復職後のタケさんの行為は明らかに「一度負傷した人間を、同じように殴る」ような行為であり、犯意が充分に立証できました。

 けれど、それをした所で、私とタケさん、お互い手に届く位置に居る事に変わりがありません。

 どう正しい手続きを踏んで訴えた所で、法的な正しさが必ずしも通用するとは限らない。これが現実です。

 家を突き止められて子供を殺されれば、訴えて勝つ意味などありません。

「退職とボーナスの時期と重なりはしたけど、充分な額が出るようには配慮する。これが落としどころでは無いか」

 ボーナスの事こそはどうでも良かったのですが、とにかくこれで手打ちとなりました。

 これまで散々、圧をかけられ続けて溜まった有給日数。

 どうやら、無理やり職場に穴をあけて30日分の迷惑をかけてでも、在職中に消化すべきだった。総務部長の言い分を支持するなら、そういう事になります。

 

 ちなみにボーナス支給の前に退職の意思を伝えた場合の話ですが。

 基本的に、減額は覚悟しておいた方が良いです。

 私の知る限りでは、ボーナスと言うものは、その人の「過去の功績・将来性・利益分配」と言う尺度で査定されるからです。

 将来性……と言う事は、辞める事が分かった時点でゼロとなるのが当然です。

 軽く調べた感じ“標準的な”会社でも2割減は見ておくとよいでしょう。

 実際私のケースにおいても(コロナ禍の影響でもとより倍率が落ちていた事を考慮しても)2割減くらいで済んでいました。

 

 

 

 タケさんとは、最終日の仕事の粗を指摘された上で、まあよくある説教を貰って終わりました。

「アンタは素で嘘をつくので、次の職場では気を付けなよ」

 これが、彼との6年の集大成の言葉だと思うと情けないやら安っぽいやら。

 ダイさんに関しては、一応、最終的な直属上司だった事もあり、一言くらいは挨拶して置こうと思いました。

 その前に最後の仕事に関して確認事項があったので、それを訊いてからでしたが、

「あぁ!? よく見りゃわかるだろうが!」

 そのまま、何も言わずに去る事にしました。

 

 

 

 後になって知った事ですが。

 ダイさんと新部長が私の退職に関して話し合っている場面に、シン先輩が鉢合わせてしまったようで。

「(私)が辞めるのは何故だ? 人員削減の為のクビだとしたら、会社を許せん」

 と思って、セキ係長に訊いたそうです。

 結果、自分の意思で転職する事を知って誤解が解け「それなら、まあ」と矛を収めたそうですが。

 総務部長との話で「やっぱり辞めて良かった」と思いました。

 けれどシン先輩の話を聞いて「やっぱりこの会社に入って良かった」とも思いました。

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