人間扱いされない

 人間扱いされていない。

 最後の半年くらいの時期、度々頭に浮かんでいた言葉です。

 

 ある日、うっかり事務所に“宿題”を忘れてしまいました。

 翌日、その宿題がゴミ箱に突っ込まれているのを発見。パソコンを禁止され手書きで書いた物なので、失くしてしまうとかなりの痛手です。

 やれやれ、と溜息をつきながら、これを救出しました。

 この頃には、挨拶をしてもリーダー二人は無反応。当たり前のように、聴こえない振りです。

 二人一組でやった方が楽に済む(一人でも充分な)ちょっとした作業があり、基本的に通りすがりの人が、可能な限り補助する暗黙のルールがあるのですが、

 タケさんに至っては、私のそれだけ断固スルー。

 こうした人達が、仕事への熱意・意識・モラル・人情etcを、私や後輩達に説いているのですから、なかなか条理の歪んだ空間です。

 

 挨拶なんかは言うまでも無く、社会人として常識以前の常識。余程ひねくれた反抗期の子でもなければ皆が守る、礼節と言う物です。

 正直に生きる、と言う事と同様、礼節もまた実利に必要な物と考えます。

 こうした当たり前の礼節を守らない、当たり前の扱いから誰かを除外すると言う事は「お前には当たり前の行動を取らない」という宣戦布告と取られても文句は言えないと思います。

 相手を殴らない。相手を殺さない。相手の子供をつけ狙って殺さない。

 これらもまた“当たり前の事”です。

 そのタガが外れ、しかも自覚の無い人間を、誰が信用出来るものでしょうか。

 当然、リーダー達が、私や私の子供を殺そうなどとは微塵も思っていないでしょう。それを本気で疑っていたら、それこそパラノイアです。

 しかし、その可能性が0.000000001%でも疑われるような事をしている自覚が無い彼らは、やはり危険な人間だと警戒せざるを得ない所でした。

 いや、正確には、私のこの扱いが当たり前、となっているA社と言う空間そのものが、もはや異常でした。

「はっきり言って(タケのお前への言動は)」異常だぞ」

 セキ係長に、こう言われた事があります。

 心配してくださったのはありがたいのですが、それをわかりながら、私も含めて誰一人、何も変えようとしない。

 パワハラと言うのは少しずつ浸透していき、年月が経つと慢性化してもう治らなくなる、皆で共有する病なのです。

 これは持論なのですが……一度こうなったら、もう挽回は不可能です。

「自分がもっとちゃんとやれば、相手も変わるはず」

 そんな考えは、捨て去った方が良いと思います。


 

 

 復職後、ダイさんのチームに配属されてタケさんと会う時間が減った時期から、業務が終わってもすぐに帰れなくなりました。

 ほぼ確実にタケさんの引き留めがあり、酷い時には二時間も足止めを食うからです。

 その最たるものが、新型コロナウィルスの流行が始まり、最初の緊急事態宣言が発令された時期。感染対策と、これによる業績低下を受けた会社が、全社員に対し「土曜出勤日も有給取得を要請」しました。

 自然、これと言って理由の無い人は会社の意向に従い、有給申請を行いました。

 その中で。

「あんた、前に休日を使って出社して、勉強しに来たいと言ってたよな? どうして今回のチャンスを使ってそれをしない?」

 確かに以前、会社に来て自主的に勉強したいと部長に申し出た事はあります。もっともそれは入社間もない頃の事でしたが。

 それについては部長に(コンプライアンスの事や付き添いが必要となるため)断られていたのですが……その事を以前タケさんに話していた事があって、それを今更持ち出された格好です。

 当然、

「新型コロナウィルスの感染対策で要請された休暇なので」

「今回の有給は会社からの、あくまでも“要請だ”。必ず断る必要は無く、理由にならん。コロナのせいにするな!」

「不要不急の外出を極力避けなければならないのが、今の時勢でしょう」

「何人か、仕事の為に今回の有給を取らない人もいる。その人達は“不要不急”の事をしていると言うのか?」

「私の業務は……“不要”では無いかもしれませんが会社の認識で言えば“不急”でしょう」

 (以下ループ)

「何故、土曜日の有給を取ったのか。納得のいく説明を俺に出来るまで帰るな」

 結果、タケさんは自分の仕事に戻り、私は棒立ちで釘付けとされる格好に。

 当然、この時の私は「彼が納得の行く理由」を考える事など、微塵も無く。(時々、それらしい言葉をこねては突っぱねられを繰り返しつつ)ただただ二時間くらいぼーっと突っ立っていただけでした。

 タイムカードから、私がほぼ毎日“用途不明のサービス残業”をしている事は、会社にも知られて問題になったようで。

 それで上司に怒られたらしいセキ係長には何度も「早く帰れ」と言われてきましたが……。言う相手を間違えては無いだろうか。

 勿論、私が足止めを喰らってる様子はセキさん含む、多くの人が目撃しています。

 どうして、無駄な残業が多いのか、皆わかっているはずでした。

 

 

 

 夜勤の後輩に残したくない、難しい仕事がありました。

 これを先に済ましてしまえば、若干、定時を過ぎる事になります。

 けれど定時きっかりに帰れる、なんて事は私も含めて、出来ることは稀です。

 夜勤でのトラブルを防ぐ事が先決。私は、そう判断しましたが。

「定時は17時のはずだ」

 当然、事情は説明しましたが通じず。

「定時は17時だ。時間を見れないなら腕時計を買え。これは命令だ」

「そうした、お金の発生する私的な指示を聞くわけにはいかない」

「金が惜しいなら、品質管理委員会に予算を請求して買ってやる。会社にそこまでさせるなんて、情けないと思うけどな?」

「……そんなお金は受け取れません。わかりました、自分で買います」

 

 普段は現場に出てこない係長や部長。

 しかし、人手が足りないので応援に出ていました。

 彼らが現役だったころと、末端のルールはかなり変わっており、細かなミスが出る事は仕方が無い面もありますが。

「あんたがセキさんのミスを見逃したのは二回目だ。目が見えないなら眼鏡を買え」

「視力は0.9あるんですが」

「関係無い。これを見落とした事が事実だ。眼鏡をかければ意識が変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。

 しかし、あんたには口で言っても駄目だから、道具を使う方向で行くしかない。この前の時計と同じだ」

 その週末、JINSに行って5000円の眼鏡を作成。

 ちなみに、翌週から眼鏡をかけて来た私を見たダイさん曰く、

「で、その眼鏡に何の意味があるの? それで成果でるわけ」

 こっちが聞きたいです。

 

 

 

 驚くべき事に、この時の私はまだ、A社に骨を埋める気でいました。

 と言うより、正確には、他所の会社に行けるビジョンが全く無かったと言いますか。

 この辺りの、辞めたいのに転職出来ない、と言う思考については別の機会に書かせてもらいます。

 ただ。

 ここまでされても辞めようとしなかった私が、転職を決意するだけの事が起こりました。

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