第75話 絶対に嗅いだことがあるにおい

 カールペイソンから馬車を走らせること半日と少し。

 日没前に辿り着いた経由地、オルテスという名前の村は寂れてはいないけれど栄えてもいない場所だった。


 でも着いた時間が悪かったのもあるわね。

 そう思い直したのは村の広場で行なわれる朝市に出掛け、その威勢の良さを目の当たりにしたから。作物や肉類が中心だけれど村の職人が編んだカゴや小物細工も並んでいる。

 まだ眠そうな顔をしたお姉様が私と並んで歩きながら言った。


「ここ、普段は出荷が中心だけど、人通りが増える時期だけ朝市を開いてるそうよ。デビュタントパーティーだけでなく王都での収穫祭や巡礼祭の時もやってるみたい」


 したたかよね、とお姉様は辺りを見回した。

 巡礼祭っていうのはこの世界で一番信じられている宗教の偉い人たちが各地を巡礼し、一年かけて戻ってきた時に王都で開かれる大きなお祭りだと聞いているわ。

 巡った先々で聖なる炎を灯す儀式をするけれど、形式的なものであって本当に聖なる力がある炎ではないらしい。


 宗教といっても全員が狂信的に信じているものではなく、日常に溶け込んだものなので害になることはないと思う。だから一度は巡礼祭にも行ってみたいかも。

 そう言うとお姉様が「? 行けばいいじゃない」と不思議そうな顔をした。

 ええ、最後の危機を乗り越えたら自由に行けるわ。


「お姉様、それじゃあ私が初めて巡礼祭に行く時は一緒に行ってくれますか?」

「わ、私だって暇じゃないのよ。まぁヘルガは断っても十回は食い下がりそうだし、それを断る労力を考えたらここでOKしてあげてもいいけど……」


 お姉様のツンデレが心地いいわ!

 というかツンの部分は絶対に半角くらいしかないわね、グレーの消えかけの文字でもいいわ。むしろ完全にデレよデレ! 大好き!


 ――っと抱きついたら「人通りの多いところで変なことしないの!」と叱られた。


 わかったわ、人通りの少ないところならいいのね、と心に刻みつつ私も周囲を見回す。お父様とお母様は宿にいるのでなにかお土産になるものを買っていきたかった。


 ちなみにレネは少し離れたところから別行動を装って見守ってくれている。

 これは常にべったりだと恋人同士でもさすがに家族からの印象が悪くなるから……というのもあるものの、更に詳しく言うなら一緒に朝市へ行くことになったお姉様から威嚇されたからというのが大きい。

 挨拶を経て認めてはくれたけれど、やっぱりお姉様とレネの相性は微妙に悪いみたい。

 いつか仲良くなってほしいんだけれど。


 と、そんなことを考えていた時だった。

 人ごみの向こう、家の陰にいた誰かが視線を向けるなり姿を消した。

 まるで私に見られそうになったから隠れたみたいだ。そして瞬時に私の視線に気づけたってことは。


(あっちも私を見てた?)


 お祖父様が差し向けた暗殺者かもしれない。

 そんな予想が脳裏を過り、足が竦んでしまう前に手早く朝食向けのパンやジャムを買って朝市を後にした。

 宿に戻ってからレネに小声で訊ねてみたけれど、レネの位置からはその人物は見えなかったらしい。警戒して朝食後に宿周辺を見回ってくれたけれど、そこでも不審者はゼロ。


 ただ、こういった小さな村は警備が手薄だし、一時的に人が増える環境なら更に危険は高まるだろうねとレネは言った。

 経由地はその土地の人間以外がぶらぶらしていても警戒心が薄いらしい。


 レネはその後も村に数ヵ所ある宿を見て回り、泊まっている人間をチェックしてくれた。宿は普段はこんなに無いけれど、人の増える時期だけ宿として営業している民家も多かったらしい。

 っといってもさすがに室内にまで押し掛けることはできないので、外から見た感じや馬車や馬の様子を中心に見てくれたそうだ。


 夕食後に宿の談話室でその報告を受けながらレネの顔を見ると、少し疲れている様子だった。

 気を張りながら色んなところを見て回ってくれたんだから当たり前よね……。


「レネ、ありがとう。疲れたでしょ、私の見間違いかもしれないし今夜はゆっくり休んでね?」

「あはは、大丈夫だよ。目が疲れただけだから」


 足腰は鍛えたのにここはさっぱりだ、とレネは肩を竦めてみせた。


「とりあえず馬車や馬も変わったところはなかったかな。僕らみたいな貴族の馬車もあったけど、レリーフやデザインを見る限りイベイタス卿とは無関係だ」

「屋敷の見張りからは報告はないの?」

「あっちも動き無し、だけれど――少し不安要素があるな」


 不安要素?

 そう問い返すとレネは「杞憂かもしれないけれど」と前置きしてから言う。


「見張りを付けたのは君が出発してからだ。……イベイタス卿は見送りに来た?」

「ううん、いつも通り離れにいたわ」

「色々な可能性を危惧してきたけれど、僕はイベイタス卿は自ら手を下すか――自分の目で君の最期を見ないと安心できないんじゃないかって思っているんだ」


 それは……お祖父様が私たちより先に出発して、自分の目で私の死を確認する機会を狙っているんじゃないか、ってことかしら。

 レネは真剣な顔で続ける。


「だって刺客を差し向けるならもっと沢山のチャンスがあったし、金に糸目を付けなければ腕のいい暗殺者は沢山いるからね」

「で、でもお祖父様まで屋敷からいなくなっていたら騒ぎになるわ」

「世話をするメイドに金を渡して口裏を合わせればいい。あの屋敷に勤めている人間はすべてご両親が雇ったわけじゃないんだろう?」


 いつも私たちの世話をしてくれるメイドや侍女はお母様が選んでくれた人たちだ。

 ただしお祖父様の世話はマクベスが中心になって受け持っていて、その他の世話もお祖父様の代からいる人だったり、お祖父様本人が新たに雇った人だったりする。

 だから私は頷くことしかできなかった。


 談話室には私たちしかいない。

 そのシンとした空気が一気に怖いもののように感じられた。


「でも可能性は低いと思っていたんだ。イベイタス卿はいつも車椅子に乗っているくらい足腰を悪くしているようだったから。でも絶対に立てないわけじゃないし、もちろん寝たきりでもない。そうだね?」

「……ええ。――レネ、私もヘラで探ってみるわ」


 ヘラに意識を移している間は無防備になるので控えていたけれど、こうなったら屋敷を直接確認するなり村の中を見て回るなりしたほうがいい。

 そう考えて立ち上がった時、普段はあまり嗅がないにおいがした。

 でも絶対に嗅いだことがあるにおいだ。


 そう、これは落ち葉を焼いたり、昔に領地内で行なっていた焼畑を見学しに行った時に嗅いだのと同じもの。

 ――物が焼けるにおいだった。

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