第63話 ヘルガの秘密
緩やかな坂道を進んだ先に手すりが設置され整備された丘がある。
ここは昔から少し高い位置から家々の屋根を眺めたり、星空を見上げることができる知る人ぞ知るスポットだった。お父様にも幼い頃に何度か連れてきてもらったわ。
観光の促進のために整備されたのは最近のことで、宣伝もしているのだけれど観光客が訪れることは稀なのよね。
たぶん景色は良いけれど、そこそこ歩くのに景色以外に売りがないからだと思う。
テコ入れが必要な場所なものの、あまり人に聞かれたくない話をするにはうってつけの場所だった。
「着いたわ。歩かせちゃってごめんなさい」
「いや、大丈夫だよ。けど門限ぎりぎりになってしまうから……ヘルガこそ大丈夫?」
レネは元々一泊してから朝に馬車で戻るつもりだったという。
私は門限付きでの外出許可で、時間はそろそろ夕方と呼べる時間が終わる頃。
西側に見える屋根が途切れた先、地平線の彼方に夕日が沈んで橙色が群青に変わっていく。光を空かして赤々としていた雲も一気に温度が抜けたように灰色になっていた。
今から屋敷に戻る時間を考えると、レネが心配しているようにここに長居はできない。
「心配いらないわ。多分、その、時間に背中を押されている方が迷わなくて済むと思うの」
念のため周囲を見回す。
どこにも人影はない。予想通りだわ。
もし誰かいても距離を取って声をひそめればいいと思っていたけれど――レネがあれだけ頑張ってくれたデートだもの、こそこそせずに最後まで過ごしたかったから。
私は大きく息を吸い込む。
「あなたとの関係を変えること、それに対して前向きじゃなかったのには理由があるの。まず下手をすれば明日死ぬかもしれない身だし、それを回避するためにやるべきことが沢山あったから」
「……うん」
「でもこの件に関して希望が見えてきたのは、他でもないあなたのおかげよ」
レネがいなければ私はたったひとりでお父様の件と向き合い、アニエラと敵対しなくちゃならなかった。そしてお祖父様に関しては今のように色んな情報を知ることは難しかったと思う。
お父様の件で心を支えてくれたのも。
お祖父様に対して効果的なアピールを考えられたのも。
――全部レネがいてくれたからだわ。
「そして、もうひとつ。私はお父様の罪を隠すという新たな罪を背負っている。償いに関する考えはもう決まったけれど、……関係を変えてしまったら、あなたはそんな罪人と家族になってしまう」
「それは」
「レネは気にしないと思うけれど、ご両親やご兄弟は心配するわ。それに嘘をつき続けることになる。……アルバボロスなのに」
アルバボロス家の信頼まで傾けかねない危ない橋だ。
単に黙っているだけなら『嘘』にはならないけれど、今後万一お父様の過去について訊ねられた場合、その時に真実を話さなければそれは『嘘』になる。嘘はアルバボロス家が最も嫌っている要素だ。
そんな嘘をアルバボロス家の三男がついていたとしたら一大事どころじゃない。
「そして最後に、私には秘密があるの。それを伝えてからでないとフェアじゃないわ」
「ヘルガ。アルバボロスが言うべきことじゃないけれど、人は誰にだって秘密があるものだよ。少なくとも僕に関してはフェアじゃないからって理由で無理に話さなくてもいい」
「そう言ってくれるレネだからこそ話したいのよ」
だってレネは突拍子のない話でも嘘や冗談として扱わず、真剣に聞いてくれるに違いない。
受け入れてくれるかまではわからないけれど、少なくともしっかりと聞いて――その上で、恋愛に関しても改めて考えてくれるはずよ。
年下だと思っていた相手の中身がうんと年上だったら「仲間ではいられるけど恋愛は無理」って思うこともあるかもしれない。だから、彼の選択肢を曇らせないためにも秘密を明かすことは必須だった。
レネは話を聞いてくれる。
その上で知った情報から改めて考えを巡らせることができる人間だ。
なら、私にはもう「彼に話さないようにしよう」なんて気持ちはこれっぽちもない。
不安はあるし緊張もするけれど、私は思いきって口を開いた。
「あのね、レネ。じつは私……精神年齢が見た目通りじゃないの」
「……? もしかして前世の記憶がある的な話かい?」
「どんぴしゃりね!?」
――不安も緊張も、あまりにも的確な予想に吹っ飛んでしまった。
もしかして今までの付き合いで察されるようなことがあったのかしら。自覚がないからこそやらかすわけだけれど、これに関しては心当たりがいくつもある。
しかしレネは私のそんな問いに首を横に振った。
「うちの国には転生の概念があるし、嘘が本当かはわからないけど色んな転生に関するエピソードがあるからさ。ある男がまったく行ったことのない国の風景を言い当てたり、知らない名前を名乗ったり、子供が見聞きするはずない古代語を話したり、ってね」
「そ、そうなの?」
「うん。僕は今までフィクションとして見てきたけれど……君がそれほど悩むくらいなら、本当に起こりえることだと認識を改めよう」
そう言うとレネは髪色に似た空を背負いながら微笑む。
「……君の魂がどこの誰であっても、僕は構わないよ」
前世といっても異世界なのに、と悩み始めて即解決されてしまった。
レネは「法律的に問題はないし、なんなら百歳のおばあさんでも問題ないくらいさ」とあまりにも本気で口にしていたので、思わずそこまではいってないわよと笑ってしまった。
でもまたレネの本気度を知ってしまったわね。
「解決すべき問題は僕も助けたい部分だし、罪は……君だって父親の罪を一緒に背負ってるんだ。そこに僕も加わりたい。いや、もう加わってたつもりだったけど君にとってはそうでなかったのが少しショックかな?」
「ご、ごめんなさい、そういうつもりじゃなくて、ええと」
「あはは、わかってるよ。……その上で、これからはそうじゃないといいなって思う。どうかな、ヘルガ。君の気持ちはどうだい」
レネの問いに私は目を閉じる。
この日が来るまで延々と考え続けたのは――彼の気持ちに応えることができない理由。そう、それが私の気持ちの答えだわ。
ひっかかっていた事柄さえ解決できれば応えたいと思っていたってことだもの。
レネはそんな障害をひとつひとつ解きほぐしてくれた。
正直言うと今も大人として彼をそういう目で見ることに抵抗感があるけれど、レネが理解力のない子供とは思っていない。むしろ普通の大人より大人だと感じるわ。
まだ確認し合う事柄は残っているけれど、今は……これ以上、彼を待たせたくなかった。
「……レネ、お父様の事件が終わった後に話した時、私のことが大切だって言ってくれたわよね」
「うん」
「あの時は訊ねても私がわかってくれるまで説明はお預けってはぐらかされたけれど――今はわかったわ。わかったけれど、もう一度どういう意味か訊ねていい?」
レネは紫色の目を何度か瞬かせた後、こちらへと手を伸ばす。
そして了解を得る代わりに私が嫌がっていないことを確認すると、こちらの手を握った。
「僕はヘルガのことが好きだから大切なんだ。これからもずっと傍にいてほしい」
「私も……私もレネのことが好きで、大切よ。あなたには私と一緒に生きてほしい」
自分からこんなことを言う相手がいるとは思わなかった。
けれど今は、夢と呼べるほど求めている平和な人生の中に彼がいてくれたらどれだけ嬉しいか知ってしまった。そんな想いを込めて伝えると、レネは身を屈めて目線を合わせてから私を抱き締める。
「良かった、……君に嫌われてるわけじゃなくて」
「沢山悩ませてしまったみたいね、ごめんなさいレネ」
「この嬉しさを前にしたら霞む程度のものさ。僕のこれからの人生に君がいてくれることに比べたら苦でもない」
――同じことを考えていたみたいね。
それがなんだかおかしくて、そして同時にさっきの何倍も嬉しくなって、私は自分からレネを抱き締めると彼の肩越しに空を見上げる。
夜を迎えた空には私の髪色のような星々が煌めき始めていた。
この空の下を、これからはふたりで歩んでいこう。
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