第61話 僕は君に生きていてほしい
「へ?」
レネの提案への第一声はとてもシンプルなものになってしまった。
それでもレネに別段気分を害した様子がなかったのは、もしかして予想済みの反応だったからなのかしら。
そう思ってしまうほどレネは冷静に続けて言う。
「イベイタス卿が忌み子を忌避するようになった最も大きな原因は妹、イレーナの恋愛感情絡みの事件だ」
「そ、そうね」
「イレーナの性格とは真逆だと見せたいなら、恋愛面でも健やかだと知らしめるのが効果的じゃないかい?」
イレーナは庭師の男に恋をして大変な事件に見舞われたけれど、それ以前から恋愛方面に関しては病んでいると呼べる領域に足を踏み入れていた。
燃えるような恋と言えば聞こえは良いけれど、イレーナのそれはどれも一方通行で病的なもの。お祖父様は妹がそんな性格になってしまったことも忌み子の呪いとして捉えているかもしれない。
それならそういった方面の健やかさもアピールに含めていい。
なのに今までやってこなかったのは、単純に私にそんな相手がいなかったからだ。
「それは、ええと、素敵なパートナーがいて幸せですよーってお祖父様に見せるってことよね?」
「そう。できればその相手は僕で」
「レネで!?」
レネは長い付き合いだし事情も知っている。
そして年齢も近く、家柄も対等なため問題はない上に次女と三男なので権力争いの心配も少ない。性格は表情のせいで誤解されやすいけれど、お母様からの縁で私たちはアルバボロス家の人間が良い人だと知っている。
好条件どころじゃないし、真っ先に思いついたことではあるけれど……これは今までより更にレネにリスクを背負わせてしまう。
「いや、妥当ではあるけれど恋人のふりまでしてもらうのは――」
「たしかにリスキーだ。貴族同士だし、場合によっては簡単に解消してしまうと悪評に繋がる婚約まですることになる。……だから先に伝えておこうと思って」
傍まで移動したレネは私の目線の高さに合わせてしゃがむと、まっすぐ目を見て言った。
「僕は君のことが好きだ、ヘルガ。好きだから『ふり』じゃなくて正式に付き合ってほしい」
そうやって言い放たれた言葉もとてもまっすぐだった。
――レネが私のことを好き。
そう言われても実感が湧かなかったものの、すぐにこの数年間で彼から貰った言葉、贈り物、見せた仕草、守ってくれようとした姿が頭の中に蘇ってアタフタする。
そうだわ、さっきも「君へのアプローチの一環として提案する」ってわざわざ言っていたわね。
……。
つまりお世辞や貴族の嗜みじゃなかったの?
いや、可能性としては考えたこともあるけれど、……私の中身は大人も大人。だから敢えて考えないようにしていたと思う。
そうぐるぐると考えているとレネが笑った。
「本当はこんなプレゼン告白じゃなくて良い雰囲気で伝えたかったんだけど、ヘルガはびっくりするほど鈍かったからね。それとも意図的に避けてたのかな」
「そ、それは……」
どんぴしゃりすぎる。
だからといって理由が理由なので上手く説明できない。レネは大切な協力者だから、いつかは転生のことも話したいと思っていた。けれど今起こっている問題とは直接は関係のないことだから、話すとしてもすべて解決してからだと考えていたの。
けれどレネの気持ちを受け入れたら、ゆくゆくは家族になるわけよね?
話すハードルが上がった分、考える時間が欲しかった。自分の気持ちを確かめることも含めて。けれどレネは真摯に言葉を重ねる。
「僕は君の対象外?」
「た、対象外というか、対象にしちゃだめっていうか……」
「? お互い年齢も身分も申し分ないと思うけれど――もしかしてアロウズ卿が何か……」
「違う違う! お父様は関係ないわ、本当よ! ……レネはどうして私のことが好きになったの?」
お父様の耳に入ったらちょっと予想外の行動をしそうだけれど、今まで意図的に恋愛を避けてきた理由には含まれていないわ。ええ、本当に予想外の行動をしそうだから心配ではあるけれど。
私はまだ自分の気持ちがわからない。
そこで彼がどういう経緯で惹かれたのか気になって訊ねると、レネはしばらく考えてからおずおずと口を開いた。
「初めて声をかけた時は好奇心だったけれど、君と過ごすうちに色々な面を見れて……それが全部好きになれるものだった。それに君といると楽しいし、僕のことを認めてくれているからね」
「あんなに大変な目に遭ったのに?」
「あれを楽しかったと言うと語弊があるけど――普通なら得難い体験だったと思ってる。それに、そのおかげで剣の楽しさも知れた」
アニエラの件でレネはとても痛い思いをした。
本当なら味わわなくてもよかった痛みだ。けれどレネはそんな体験をマイナスだとは思っていない、そう声音から伝わってくる。
「それにさ、君みたいなタイプのご令嬢には早々お目にかかれないよ。アルバボロスの情報網を以ってしても、ね。だからヘルガとずっと一緒にいられたら楽しいなと思う」
「……」
「そして君も同じように楽しい気持ちでいてくれると嬉しい。……だからこそ無理にとは言わないよ、もし断っても協力を打ち切るなんてことは決してしない。僕は君に生きていてほしいから」
自分の手に入らなくても、この世界で生きていてくれればいい。
レネのその言葉に不意に泣きそうになった。
私もこの世界で生きていたいから足掻いている。だから誰かに『生きていてほしい』と強く――自分の願いが叶わなくてもいいくらい強く願われていることが、救いだった。
なのにこの場ですぐに返事を返せないことが申し訳なくて堪らない。
しがらみを無視して勢いでOKすることはできる。でも真剣に伝えてくれているレネに対して、それはあまりにも失礼だわ。
するとレネがそっと立ち上がって手を差し出した。
「ヘルガが何に引っ掛かってるのかはわからないけれど……僕に君を説得する時間をくれないか?」
「時間を?」
「次の休みにデートしてくれないかい。君にとっては貴重な時間だからもったいないけどね、……これから挑むのが最後の試練だと考えると、ここで人生で一番の我儘として、君の一日が欲しいんだ」
もし。
もしお祖父様の説得が失敗したら、私は死んでしまうかもしれない。
その過程でレネに害が及ぶ可能性もある。――お祖父様へのアピールにもなるんだからもったいないなんてことはない、と口にするのは野暮な気がして、私はぴょんとヘラの姿のままレネの手の平に飛び乗った。
「わかったわ、レネ。あなたが真剣に説得するように、私も真剣に考えを纏めてみる」
彼の気持ちを粗末には扱えない。粗末に扱いたくない。
そう気持ちを込めて言うと、レネは年相応の笑みで嬉しそうに頷いた。
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