第60話 予想もしていなかったこと
薬の詳しい種類まではわからなかったものの、アニエラの使った禁薬より強いものだとお父様は言った。
それが本当ならお祖父様がそれを手にする意味はただひとつだけだと私は知っている。
――けれど、悲願のためにもそこは「何かの間違いかも」と一旦調べ直してもらうことにした。もちろんお父様に真実を悟られないようにするための時間稼ぎだ。
裏社会のツテはしっかりしたものだそうだけれど、隠蔽体質がデフォルトの世界なのでツテがしっかりしているだけじゃ怪しい情報も入ってくる。
そのおかげかお父様は心配しつつも頷いてくれた。
けれどお祖父様に会いに行きづらくなってしまったわね……。
まったく会いに行かないわけではなく、控える程度に抑えればお父様に不審がられることはないだろうけれど、そうするとお祖父様へのアピールとしては足りなくなる。
薬の件でアピール計画はあまり意味がなかったんじゃと思ったものの、お祖父様の言葉が本当なら、忌み子であることを忘れてはならないと言いたくなるくらい私に対する印象が変わり始めていたことになるわ。
危機感は覚えるけれど良い情報として考えることもできるかもしれない。
だからこのまま続けたい――のだけれど。
(私がどういう意図で動いているかお父様に伝えられたら話は早いのに……!)
あっちが立てばこっちが立たず。
こうなったらお祖父様へのアピールを数より質で勝負するしかない。内容を更にお祖父様の『不安』に効くようにして、且つ私たち側にプラスになるよう誘導するの。
ただこれはひとりで考えるよりふたりの方がいい。
私はお父様から話を聞いた日の夜、早速レネの部屋へとヘラの姿で訪れた。
コンコン、とくちばしで窓をノックすると、すでに部屋に戻っていたレネが慌てて立ち上がる。
「やあ、ヘルガ。今日は会う日じゃなかったはずだけど……何かあったの?」
「ちょっと動きがあったの。そこでレネの意見も聞きたくて」
でも訓練の後なら疲れてない? と顔を覗き込むとレネは「多少は疲れてるけど寝れば取れる程度だよ」と笑いながら迎え入れてくれた。
レネの部屋は以前と変わった様子はなかったものの、いつもは決まった場所に立て掛けてある剣が鞘に収まった状態で机の上に置かれている。私の視線に気がついたのか、レネはそれを鞘から抜いてみせた。
素人の私から見てもわかるくらい刀身がぼろぼろだわ。
「訓練に使ってたんだけど、ついに交換することになってさ。記念に貰ってきたんだ」
「凄い傷ね……」
「貴族が使う剣は保護用の魔法がかかっているから長持ちするんだけれど……これはスパルタだったせいっていうより、僕の使い方が下手だったからだ」
もっと精進しないとね、と刀身を見つめるレネは真剣な顔をしている。
そういえば実戦用の剣は手入れを怠るとすぐに傷むけれど、魔法のかかった剣なら大分軽減されるってお父様が言っていた。それでもなおこれだけぼろぼろになるほど使い込んだのね。
「――これはレネが頑張った証だわ、だからそんなに卑下しなくていいのよ」
「あはは、ヘルガはいつも優しいね。そういうところが……」
何かを言いかけたレネは一瞬視線を落とすと「それで? 急ぎの話なんでしょ?」と問い掛けた。
気になったものの本題を切り出さないまま時間が過ぎるのは良くない。
私はテーブルの上にぴょんと乗り、お父様から聞かされた話をレネに伝えた。
裏社会でヘーゼロッテ家の使いを名乗る者が現れ、イベイタスお祖父様の名義で危険な薬を買った。
その薬はアニエラが使用した禁薬に属するものだった。
お父様は調べ直しの名目で足止め中。けれど長くは持たない。
お祖父様は私に対しての考えが変わりつつあるようだけれど、計画の変更をするつもりはないのかも。
そう話し終えるとレネはしばらく無言で考え込み、そしてゆっくりと口を開いた。
「それが本当ならイベイタス卿は近々動き出すつもりなのかもしれない」
「やっぱり時期的にもありえるわよね」
「禁薬っていうのは理性を失う代わりに身体能力を強化するものだったね? イベイタス卿本人か、それとも誰か別の適任者に使うつもりなのか……いや、動物にも使えるなら利用してくる可能性もあるか」
考えられる用途は様々。だからこそ厄介だった。
アニエラの時はどうにかなったけれど、自宅であの薬を使ったものに暴れられたらどうなるかわからない。しかもあの禁薬より強い薬よ、身体能力も更に上がっているかもしれない。
「……でもこれって暗殺からは程遠いというか、物的証拠が残るわよね」
お祖父様は私を事故に見せかけて殺そうと考えていたはず。
禁薬は国からも危険視されていて、アニエラが捕まった際も理解が早かった。そして変異したものは死んでも消えないし、そのまま肉体が残る。禁薬の痕跡も一緒に。
そんなものを使えば真っ先に疑われるだろうし、入手経路がわかればお祖父様に辿り着いてしまうのに。
「アピールはお祖父様を追い詰めることにもなっていたんじゃ……」
「たしかに捨て身っぽさは強いけれど、それだけ更生の余地があるってことじゃないかな。アロウズ卿も君を殺したくない気持ちと板挟みになって、最後は君を取ったんだから」
だから気にしすぎないで、と。
今度はレネが私を励ましてくれた。
その言葉に胸が仄かに温かくなり、同時に少し気恥しさも感じながらお礼を言う。
「ありがとう、レネ。やっぱり私の協力者は頼りになるわね」
「……」
レネは微笑んだまま頬を掻く。……ち、ちょっと今更な褒め方をしすぎたかしら?
これはさっきとは別の意味で気恥しいわね。
そうアタフタしていると、レネがテーブルの上で自分の指を組んでこちらを見た。さっき刀身を見ていた時よりも真剣な顔に見えるのは気のせいかしら。
そしてレネはハッキリと言う。
「君へのアプローチの一環として提案するけれど――イベイタス卿を安心させるために、健全な恋愛をしているとアピールするのはどうだろう?」
そんな、予想もしていなかったことを。
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