第30話 アニエラの強襲

 お父様は警戒した様子で腰元の剣を抜く。

 しかしアニエラは気にも留めずに足を進めた。武器を持ったお父様をちっとも脅威だと思っていない様子だ。


「勇ましいわね、けど忘れたの? あなたに剣を教えたのは私よ」

「アニエラ、僕はもう……」

「計画から降りたいんでしょう」


 でも駄目よ、とアニエラは妖艶に微笑む。


「これだけ時間と手間をかけたのに、あなたの裏切りを知った時の私の気持ちがわかる? 父もおば様も復讐の達成を目にできず死んでいったわ。その顔を見ることのなかったあなたが羨ましくて仕方がないわよ」

「……」

「一度だけチャンスをあげるわ。その子を今ここで殺して、こっちに戻ってきなさい」


 アニエラがそう言って指しているのはもちろん私だった。

 お父様は冷や汗を流しながらアニエラを睨み続けている。……そう、私を一瞥もしないのはお父様に殺す気がないからだ。

 アニエラが「早く」と急かすように言ったところでお父様が首を横に振る。


「……僕の本物の家族はこの子たちだ。君じゃない、アニエラ」

「任せておけ、我が子でもヘーゼロッテの血を引いているなら惨たらしく殺してやるって意気込んでたのはどこの誰よ」

「それも僕の罪だ。……ヘルガ」


 初めてアニエラから視線を外したお父様は私に笑みを向けた。


「……君の幸せを優先する。真実を隠しながら、そして僕なりの埋め合わせをしながら償うよ」

「お父様……!」

「だから最後に一度だけ、罪を重ねよう」


 お父様は剣を握り直すと今度は自らアニエラとの距離を詰める。――最後の罪。つまりアニエラを殺して生家と関係を断つということだ。

 殺しを黙って見ていていいのか私は瞬時に判断できなかった。相手には殺意しかなくて、私を守りながら戦うならお父様も本気で向かわなきゃならない。

 それにアニエラが生きていたら真実を話して回られる可能性がある。


(けど口封じの意味も込めて人を殺すなんて、……)


 だからこその罪だ。

 お父様はその覚悟を持ってアニエラと相対している。

 私の我儘を通した結果なら、ここで私が止めるのはあまりにも勝手すぎる。

「……お父様、私はお父様たちと幸せに暮らしたい。だからその罪は私の罪でもあります」

「ヘルガは悪くない」

「良し悪しの問題じゃないんです。私は一緒に背負いたいからこう言ってる。お父様、私はお父様を止めないから私のことも止めないで」

「……」

 お父様は横顔からでもわかるくらい苦しげな顔をした。

 しかしアニエラが先に動いたことでその表情が崩れる。


「悠長に話してる暇なんてあると思う? 計画は変更よ、あなたが敵になるなら私がその子を殺す」

「そうはさせない!」


 お父様はアニエラが突き出したナイフを剣で弾こうと横凪いだ。

 しかしアニエラは初めからわかっていたように一歩引いてから、お父様の剣をよく見て再び前へ踏み込む。

(不意打ちじゃなくてフェイントだった……!?)

 お父様の剣を避けて私に向いたナイフの切っ先に鳥肌が立った。

 でも棒立ちでお父様のお荷物になるのは御免だ。私はヘラをアニエラへけしかけるとお父様の真後ろへと退いた。


「やるわね、ふふ……なんならこの子を攫って姉の方を殺させる?」

「メラリァにもヘルガにも手は出させない」


 お父様はアニエラに斬りかかる。

 アニエラはくすくすと笑いながら刃を避けた。……彼女がお父様に剣を教えたというのは本当みたい。あまりにも熟知されている。


「安心して、どっちみちあなたは生かして連れ戻す。だって再興のために本物の家族を作らなきゃならないでしょう?」

「アニエラ、もうそんな未来はないんだ。……僕らの一族の復讐は逆恨みに他ならない。本当は君もわかってるんだろう」

「わかってるから何?」


 暗闇の中を何度も刃が煌めく。

 私の目にはもうどちらがお父様の刃の煌めきか判断が出来ないほど早い応酬だった。

 そんな中、大きな隙が出来るのも構わずにアニエラが右腕を大きく振り上げる。


「お父様!」


 お父様はその一撃を難なく避けたけれど――アニエラの右手にナイフはない。

 代わりに左手に握られたナイフが死角からお父様の足に突き刺さった。血を吸った土の臭いと共にアニエラが笑う。


「アロウズ、昔からフェイントに弱いのは変わらないわね。……急所は外しておいたわ、しばらく苦しんでなさい」

「……っヘルガ!」

「さあ、穢れた血族のお嬢さん。私たちのために死んでちょうだい」


 アニエラはナイフに付いた血を振って落とすと私に向かって走り出した。

 ――大きな影のアニマルは作り出したことがない。けれどここで自分の身を守れるのは自分だけ。そう自分を奮い立たせ、ヘラにアニエラの邪魔をするよう指示しながら影で出来たクロヒョウを作り出す。

 実際のクロヒョウを更に一回り大きくしたサイズで、私の前に立つと全身が隠れるほどだった。

 ぎょっとしたアニエラはそれでも足を止めず、ヘラを振りきるとクロヒョウにナイフを突き刺す。対してクロヒョウも怯まず反撃しながら私の盾になってくれた。しかしこのままでは危うい。


(私ひとりでも避けやすい状況にしなきゃ。けどクロヒョウの攻撃は届いてないから、足を狙って機動力を落とすのは難しそうだし……そうだ!)


 私はヘラを帰すと小さな羽虫を影で作り、それをアニエラの目に突撃させた。

 砂かけ並みの卑怯な手だけれど、正攻法だけで乗り切れる場面じゃないから仕方がないわ。

 アニエラは片目を押さえながら後退する。


「どういうこと? 二匹同時に……しかもこんな大きなものと、小さなものを?」


 アニエラは思わずといった様子で疑問を零す。

 そうか、呼び出せる数だけでなくサイズも本来ならここまで大きくないのね。だからアニエラもここで影のアニマルを呼び出さないんだ、と納得した。

 呼び出したところでそれは隠密行動や連絡手段に使うような小動物から中型の動物まで。戦闘時はむしろ邪魔になる。アニエラは腕に自信があるようだから、自分一人で集中した方がやりやすいと思ったのかもしれない。


 そして彼女の言葉が本当なら、極端に小さなものも本来なら影では作れないってこと……?

 自分の力のことがよくわからなくなったところでアニエラが静かな声で言った。


「つくづく不思議な子ね……どう? それだけ血が濃いなら本当に私たちの一族に入れてあげてもいいわよ。ヘーゼロッテは捨てなさい」

「嫌よ! お姉様もお母様も殺さないし、殺させはしないわ」

「ならイベイタスは?」


 アニエラは目を細める。


「私が一番殺してやりたいのはイベイタスなの。父たちも最も恨んでいたわ、没落の原因を作った張本人の子供だもの」

「……お祖父様本人は何もしていないってこと?」

「酷い父を持ったという罪があるわ」


 アニエラはどうやら本気で言っているらしい。

 縁故主義と復讐心を混ぜ合わせた主張だ。


 多分これはアニエラの父母や縁者……恐らく没落で直接被害を受けた世代からの刷り込みなんだろう。そして私はお父様の血が半分混ざっているから、条件さえ飲むならもう半分の血には目を瞑ってあげると言っているわけだ。

 一族がアニエラとお父様だけでなければこうはいかなかっただろう。

 血を絶やすよりも計画を変更して穢れていても優良な血を取り込む、そうアニエラは判断したらしい。――けど私は真っ平ごめんだった。


 だって、お祖父様は私を殺そうとしているけれど。


「イベイタスお祖父様も私の家族よ。何がどうなろうとそれは変わらないんだから!」

「そこまで家族に執着するなんて愚かね!」


 血筋と復讐に執着しているアニエラに言われると耳が痛い。けれど私は諦めるつもりなんてなかった。

 守りに徹していたクロヒョウをアニエラにけしかけ、彼女を拘束するように命令する。

 その隙に私はお父様のもとへと走った。

 アニエラの言っていた通り殺すつもりはないのか出血はすでに止まっていたけれど、満足に立つこともできない傷だ。大きな血管を傷つけず的確に動けなくするなんて恐ろしい技術力だわ。


「お父様、大丈夫ですか? アニエラは……まずは捕えましょう、それから傷を癒してどうするか決め――」

「っ……待て、ヘルガ」


 お父様は壁伝いによろよろと立ち上がると震える手で剣を握って私の背後、つまりアニエラへと向けた。

 私もつられて振り返る。アニエラの様子がおかしい。

 クロヒョウに押さえつけられながらも辛うじて動く片手で何かを取り出していた。新しい武器か、それとも逃げるための何かか。そう身構えたが、アニエラは小さな薬のようなものを自分の口に放り込む。


 刹那、クロヒョウが空高く蹴り上げられ空中で雲散霧消した。


「アニエラ! 禁薬を飲んだのか!?」

「禁薬……?」


 禁じられた薬って意味なら碌でもないものなのは明らかだ。

 アニエラの激しい息遣いが響く中、お父様は私の問いに頷くと剣を握る手に力を込める。

 自由の身になったアニエラはゆらりと立ち上がり――再び開いた両目は、瞳孔が開き白目が緑色に染まっていた。

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