第29話 お父様の説得

 激しい怒号と争い合う音。

 お父様のマントに隠れて目で見ることはなかったけれど、大人同士の本気の喧嘩は音だけでも怖かった。

 それでもガタガタと震えることがなかったのは、これからもっと怖いことが我が身に降りかかるかもしれないとわかっているからだ。


 お父様は私を抱いたまま酒場の裏口から外へと出る。


 客の視線は喧嘩に注がれていて誰も気づかない。

 いつの間にかどっちが勝つかの賭けにまで発展していて、みんなそっちに熱中しているみたいね。娯楽まで物騒だわ。

 喧嘩の主役はお父様がお金を握らせた人らしい。

 ということはお父様の目論見通りになったというわけだ。


 外はもう完全に日が暮れてしまっていた。


 私はお父様が走り出したのと同時に影の蜘蛛を作って簡単な命令を与える。

 地面に放たれた蜘蛛は闇色の糸を私にくっつけたまま表の方へと走っていった。

 ――レネに私たちの移動を知らせるためだ。裏口から出てしまったからまだ気づいてないかもしれない。


(酒場なら裏口があるって予想しておくべきだったわ。考えが甘いことばかりでごめんね、レネ……)


 軍師並みの脳みそでもあればよかったのだけれど、あいにく私の頭はそんなに良い出来はしていない。

 けれど心が折れることはないわ。

 ――なんとしてでもお父様を全力で説得してみせる!


「お父様、走りながらでいいので聞いてください」

「さっき言ってたことかい? けれど舌を噛んでしまうよ、もう少しだけ待っ……」

「私、お父様がヘルガ・ヘーゼロッテを殺すよう言われていたことを知っています」


 静かな声で、けれどしっかりと耳に届くように言い放つ。

 お父様は無言だった。

 けれど走っていた足は徐々に速度を緩め、ついには暗い路地裏で止まってしまう。

 走ったことによる汗ではない冷や汗を流し、目を見開いたお父様は私を見下ろした。その表情は殺意が籠ったものというより――愕然としたものだった。


「な、なにを言ってるんだ、ヘルガ。たしかに危険な目に遭わせたし、説明できない僕の行動は不審だったろうが、そんなこと……」

「七歳の誕生日パーティーの時にお父様の部屋で見てしまったんです。……見せしめとして私を殺せという手紙を」


 私の説明にお父様の腕が震える。

 そのタイミングを見計らって自分から地面に降りると、顔色の悪いお父様が再び手を伸ばそうとしたけれど――それが届く前に私は頭を下げた。


「手紙を勝手に見て……部屋に勝手に入ってごめんなさい」

「謝るところじゃないだろう!?」


 驚愕と戸惑いが前面に出た声音だ。

 たしかにちょっと場違いだけど、今ここで言わないともう伝えられなくなるかもしれないから仕方ない。


「私が今、お父様を責めているわけではないと伝えるには必要なことです」

「……ヘルガ、君は幼いから責める気になれないだけだ」


 お父様は暗い顔をすると私に伸ばしかけていた腕をゆっくりと下ろした。


「手紙にあった通り、僕は君を殺すためにヘーゼロッテ家に潜り込んだ。金を使って懐柔した貴族の息子に成り代わってね」


 貴族にも金さえ積めば悪事に手を染める人間はいる。

 身分は高くても金策に頭を抱えている貴族は思っているより多いから。


 そして、息子に成り代わるための金さえ一族が汚いことをして稼いだものなのだとお父様は言った。

 つまりお父様は今、身分を偽る以外にも沢山嘘をついて罪を重ねていたと私に自白しているわけだ。

 父方の祖父祖母として認識していた人はすでに亡くなっている。

 それが一族の手によるものなのか、それとも自然死なのかは今となってはわからないけれど、私はふたりとも病死だと聞いていた。


 ――自白が贖罪のためなのか、すべてを明かしてから手を下そうとしているのかはわからない。そう、他人なら。

 家族として長い間お父様を見てきた私には、これはお父様の良心からの言葉だと感じられた。

 お父様は俯き気味になって再び口を開く。


「けれどメリッサに出会って、メラリァとヘルガが生まれて……初めて自分の家族を持てたと感じたんだ」


 長い年月を経てヘーゼロッテ家に復讐を誓っていた一族は有象無象を取り込んだ犯罪組織と化し、純血はもはやお父様と従姉妹のアニエラという人物だけになった。

 ヘーゼロッテ家への純粋な復讐心を抱いている者もふたりだけになったということだ。あとの構成員は金欲しさか犯罪を犯したいだけ。そうお父様は説明する。


「お義父様は昔、妹を失っている」


 そして、突然そんなことを言った。

 お父様の義父ということはイベイタスお祖父様のことだわ。


「イベイタスお祖父様が妹を……?」

「ああ、だから姉妹の妹の方を見せしめに殺すのが良いという話になったんだ」


 ――お父様が計画を完遂していても結果は実を結ばなかったってことね。


 だってお祖父様も私を殺したがってるんだもの。

 けれどそれをここで言うわけにはいかないわ。

 お父様は視線を落としたまま言葉を継ぐ。


「復讐が終わったらアニエラと結婚して、本当の家族と本当の子供を持つことになっていた。……だから偽りの子供を殺しても大丈夫だと。でも」


 苦しげな声。

 なのに喉を震わせてでもお父様は伝えてくれた。


「――僕の本当の家族は君たちだけだ」


 お父様は、私のお父様だった。

 その事実が浸透するように心の中へ広がっていく。


「僕はヘルガを殺したくない。だから決行を先延ばしにして、君をアニエラの手の届かないところへやろうとした」

「だからこんなことを……?」

「ああ、けれどあの酒場がアニエラに見つかってしまったんだ。だからもっと安全な場所に逃げ――」


 私はお父様に抱きつく。

 涙と鼻水まみれだけど仕方ないわ。


「お……お父様は、本当は私を殺したくないんじゃないか、でもそんな考えは甘いんじゃないかって、ずっと思ってたんですっ……」

「ヘルガ、ヘルガ、ごめんよ」

「でもっ……良かった、お父様は私の、私のお父様でした……っ」

「ヘルガ……」


 偽りでもいいと思っていた。

 偽りでもこれまで私たちに優しく接してくれていた事実は変らないから。

 けれどお父様にとっても私たちは家族で、一方通行な気持ちではなかったことがとても嬉しかった。


「お父様の本心ではないとずっと思いたかったのに、やっぱりどうしても疑う気持ちもあって、ッ……」

「それを何年もの間……ごめんよ、本当にごめん、ヘルガ」


 お父様は私をぎゅっと抱き返して頭を撫でると、ゆっくりとした声で言った。

 その声はもう震えてはいなかった。


「今はしばらくの我慢だ、このまま逃げて隠れていてほしい。その間に僕はアニエラと決着をつけて、その後に罪を償――」

「いいえ!」


 私の大きな声にお父様は目を丸くする。

 お父様がこれを罪として償うこと。

 世間はそれを望むかもしれないけれど、私は違うわ。これまで抱いていた大望を成就させるためにもそんなことはあってはならないの。


 強い反発があるかもしれない。

 けどお父様がこの話をしてくれたのは、私から嫌われる覚悟あってのこと。

 なら私も覚悟には覚悟で返すわ。


「お父様、私は今回の件を徹底的に秘匿します」

「……ヘルガ、いったい何を……」

「すべて『なかったこと』にして、普通の家族に戻りましょう。私の願いはそれだけです。……なぜ手紙を見つけた時に誰かに言いつけて捕まえてもらおうとしなかったんだと思いますか?」


 お父様を捕まえて罰して、そのまま一家離散なんて嫌よ。

 私は今の家族のまま幸せになりたいの。

 これはまさに一世一代の夢。叶えるためなら罪だって隠してみせる。


「ヘルガ、それはダメだ。僕みたいな酷い人間は償わないといけない」

「お父様、そんなに償いたいならこれから先ずっと『なにもなかった』とお母様とお姉様に嘘をつき続け、私に幸せをください」

「……!」

「つらい罰になると思います。でも……」


 お母様はお父様の真意や行なったことを知ったら深く傷ついて、きっと笑顔を見せることができなくなる。私が大好きな笑顔を。

 お姉様も同じよ。

 尊敬して愛情を注いでいたお父様に裏切られたと、もう誰も信じられなくなるかもしれない。そんなことは許せない。


 そして私の幸せは家族の幸せがあってこそのもの。


 罪を償うと言って、それを取り上げるのはあんまりだと――そう言うと、お父様は苦悩の表情と共に一歩下がった。


 苦しみ続けることが罰だなんて言われれば誰だって嫌だろう。

 私も自分本位なことを口にしてる自覚はある。

 けれどお父様が苦しげに言ったのは、


「……僕は許されちゃいけない。でも償いがヘルガを、家族たちを苦しめてしまうこともわかった、……いったいどうすればいいんだ……」


 そんな言葉だった。


 罪を隠すことは新たな罪を重ねること。

 私への償いにはなるけれど、それとは別に罪を重ね続けることだ。

 けれど、だからこそ償いになるのではないか。

 お父様の中でそんな考えが堂々巡りになっていると私にも感じ取れた。


 説得するならもっとお父様が納得できる言葉を伝えなきゃいけない。

 そう口を開こうとした時、闇に溶けるように暗い路地の向こうから突然女性の声がした。


「あなたにはガッカリよ。許されたいから償いたいだけなんでしょう?」


 足音がしない。

 それなのにたしかに歩きながら姿を現したのは、くすんだ金髪に青い目をした長身の女性だった。

 髪は後ろで一つに縛ってあり、黒いコートを身に着けている。

 転生してからズボン姿の成人女性を見たのは初めてだ。こんな状況でなければとてもカッコよく見えたかもしれない。


 そして、そのすべての特徴が目に入る前に真っ先に捉えたのは右手に握られたスクリュー状の刃を持つナイフだった。とても殺意の高い形をした刃に僅かな光が反射している。

 お父様が愕然とした表情で呟いた。


「……アニエラ」


 お父様の従姉妹、アニエラ。

 つまり――私の従伯母だ。

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