第28話 ふたたび酒場へ
レネは私を連れてヘーゼロッテ家の屋敷を抜け出すと、敢えて汚い布をフードのように被って裏路地を中心に移動した。
普段から着ているものが上質なため注目を集めてしまうからだ。
布は庭の手入れ道具が入っている倉庫にあったもので、道具を拭くためにあるのか土で汚れている。これでまさか彼が公爵家の息子だとは誰も思わないわ。
急いで筆談で決めた作戦としては、まずはお父様のいた酒場へ向かい、私は体へ戻ってレネには物陰に身を隠してもらう。
そして私がお父様の説得を試みて、もし――もし駄目だったら助けに入ってもらうことになった。
外からどうやって中の様子を窺うかっていう問題があるけれど、お父様はわざわざ私を閉じ込めて生かしていた。
そして部屋はボロボロで不衛生だったけれど、血の汚れはなかったから殺しに使う部屋じゃないのかもしれない。
上は酒場とはいえ食べ物を扱っているから、あのおっかない店主が許さなかったのかも。
ということは、私に手を下す時は外に出て場所を移すはず。
その時に説得しようと考えていた。
(……いやー、うん、作戦としてはまだまだ穴だらけよね)
また気絶でもさせられたら計画の意味がない。
それに血が出なくても毒を盛るとか色んな方法がある。
レネが助けに入っても逃げられるかわからない。
そんな危険を冒してでも説得すると決めたのだから、今やれることを全力でやるまでよ。
……ただ、もしレネに危険が及んだ時は死ぬ気で影の動物たちを作り出してその場を撹乱しよう。
お父様は私が複数の影の動物を作れると知らないから、きっと虚をつけるはず。
無茶な魔法の使い方をすれば私は倒れてしまうだろうし、それはつまり逃げられないことを示しているけれど、ここまで付き合ってもらったんだから最後に守るくらいはケジメとしてやらせてもらいたい。
きっと、そんなことをレネは望んでいないだろうけれど。
そして、もし説得が上手くいった時はレネには急いで屋敷に戻ってもらい『屋敷から抜け出したりせず私の部屋にいた』ということにしてもらうわ。
アルバボロス家は嘘を嫌う。
もちろん今まで作戦のために小さな嘘は沢山重ねてきたけれど、それは私との約束を『嘘』にしないためレネが優先してくれていたからこそ。
けれど今回ほどの規模だと嘘はつけない。
ならなにかを問われる状況にならなければいい、ということだ。
屁理屈なのでレネも自分で自分を騙す必要があるらしいけれど、ギリギリで許容範囲内とのことだった。
そして私はスラムの人間に誘拐されていたことにし、お父様はそれを独自に見つけ出して助けてくれたと主張する。
誰かが冤罪を被るのは困るから、偽の犯人は捕まらず逃亡したってことになるよう調整が必要ね。
これが目指す未来図だった。
――都合良くいくかはわからないけれど、もう後戻りはできない。
使える力が限られている私たちが、幸せな未来を目指すための道を安全且つ綺麗に舗装することは不可能だ。穴だらけでもやるしかない。
そう考えている間に私が抜け出してきた酒場が見えてきた。
「あの建物の地下?」
そう訊ねるレネに頷き、私は体に戻ることを示すために自分と店を交互に指す。
今度はレネが頷き、それを見届けて私はコウモリとのリンクを切った。
ふわりと人間の瞼の感触が戻る。
――外も日が暮れ始めていたけれど、部屋の中の暗さは外とは段違いだった。
上半身を起こした私はきょろきょろと辺りを見回す。
ランプの灯りは消され、毛布が一枚追加されていた。
(……! 助けを求めに行っている間にお父様が来たんだわ。そうよね、昼食の時間はとっくの昔に過ぎてしまったし……)
そして私が寝入っていると思い、こうして暗くして毛布まで被せてくれたのだ。
ヘラを確保しているからとはいえ、魔法を使っていることを疑ってじっくりと観察することもなく。
――他の人がしてくれた可能性もあるけれど、気の遣い方が今までずっと私たち家族と接してきたお父様そのもので、こんな状況でも真っ先に顔が浮かんできた。
「お父様……」
やっぱりきちんと話し合わないと。
そろりそろりと足を進めて廊下の様子を窺う。
誰もいないみたいだけれど、朝には聞こえなかったのに上の方が騒がしいから酒場が賑わっているらしい。酒場なら夜の方がお客が多そうだものね。
治安も悪いどころじゃないからレネが心配だけれど、作戦会議の時に私が不安げにしていると「もしかして心配してくれてる? 隠れるのは上手いから大丈夫だよ」と笑みを見せていた。
気配を消して近寄るのが上手かったのを身を以て知っているから説得力がある。
(それでもなるべく早く方を付けなきゃ)
お父様はどこにいるのかしら?
最初に言われたようにヘラを経由して呼べば来てもらえるかも。
そう考えていると突然上のざわめきが大きくなった。ガラスが割れる音や面白そうに囃し立てる声も聞こえる。
「も、もしかして喧嘩?」
酒場なら日常的に起こっていることなのかも。
すると地下へ続くドアが開く音がし、間を置かず私の捕まっている部屋のドアが開いた。
フードを目深に被っているけれど――お父様だ。
また気絶させられるのでは、と一瞬身構えたものの、なぜかお父様のほうがホッとした表情を浮かべている。
「ヘルガ、起きてたか。寝たままだと抱えにくいから心配してたんだ」
「抱える……?」
「上でお父様が金で頼んだ人に喧嘩をしてもらってる。その隙に他の建物へ移ろう」
「ここから出るんですか?」
酒場の一般客に見られるのを防止するために人為的に騒ぎまで起こしたのね。
ここまでするなんて、やっぱり殺しは別の部屋でやるんだわ。
そう背筋が冷えたけれど、私の問いにお父様は困ったような笑みを向けた。
「ここが見つかっちゃったからね」
「……? いったい誰に――」
「ほら、説明は後だ。おいで」
お父様は両腕を広げる。
信じたい気持ちと、恐ろしい気持ちと、そんな気持ちを抱く申し訳なさが心の中で渦巻く。
私はそれをすべて捻じ伏せてお父様に近寄ると、自分の意思で腕の中に収まった。
そのまま抱き上げられて視点が高くなる。
「ローブで隠すから少し息苦しいけど我慢してくれ。しかしこのだっこの仕方も久しぶり……」
「お父様」
私はお父様の顔を見上げた。
私とよく似た金色の髪、淡い目の色。
そして優しい表情を目に焼き付けるようにしながら口を開く。
「外に出たらお話したいことがあります、……聞いてもらえますか?」
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