第27話 こんなことになってもまだ

 少し湿った風が顔に当たる。


 コウモリの羽で長時間飛び続けるのは苦労したけれど、本物のコウモリとは異なる体だからか風に乗りさえすれば驚くほど上昇し飛ぶことができた。

 それでも物は試しと途中から飛ぶのに適した鳥の姿に変えようと試みてみたが――そういう細やかな変更は憑依している間はダメらしい。


 そうして飛び続けた先でようやくスラムの終わりと思しき区域に差し掛かった。

 もちろん突然「ここから先は治安がいい」と切り替わったわけじゃない。ただ代わりに目に見えて浮浪者が減ったり、壊れた壁の補修がしっかりとされていたり、道が舗装されていたりと徐々に変化があったのだ。

 通行人もよく屋敷の近所で見かける人のような服装が増えてきた。そして。


(大きな通り! まだ知ってる道じゃないけど何か手がかりがあるかも……)


 私は街路樹の中に潜むときょろきょろと辺りを見回す。

 もしアルバボロス家に行かなきゃならなかったら途方に暮れていたと思う。なにせ領地外に行かなきゃならないし。

 ただ今日はレネが我が家に来ているはず。

 もしかしたら前日に私が行方不明になったことで家に帰されている可能性があるけれど――そこはレネが上手いことやってくれてると思いたいところね。

(とにかく我が家の位置がどこか探らなきゃ。……って、あれ?)

 しばらく進んでいると見覚えのある店が見えてきた。

 お父様と一緒にランチを食べた店だ。

 見え方が違っていたのでピンと来なかったけれど、周りにも見覚えのあるスポットがいくつかある。


(あの通りだったの……!? あ、そうか、気を失った娘を抱いて移動するなら長距離移動はマズいわよね……)


 あの路地を選んだのも身を潜める予定のスラムから近く、それでいて警戒されにくいぎりぎりのポイントだったんだろう。

 目覚めた時に擦り傷も無ければ痛む場所もなかったってことは、やっぱり袋や箱に詰められたりせず抱かれて移動した可能性が高い。

(お父様……)

 殺すためにそこまで大事に運ぶ意図がわからない。

 複雑な気持ちになりながら私は昨日お父様と辿った道を遡り始める。途中まで馬車に乗っていたため自信のない部分も多かったが、俯瞰して見ることで徐々に知っている場所が増えてきた。


 そして私は風を掴んで一気に上昇する。

 視界の先に見えたのは広い庭の向こうに佇む、愛おしの我が家の屋根だった。


(やっと見つけた……!)


 早くレネを探さなくちゃ。

 お父様は私が寝ていると思っているかもしれないけれど、昼になれば朝のように食事を運んでくるだろうからその時にバレると思う。

 そしてしっかりと観察すればお父様なら私が何をしているかわかるだろう。

 この魔法はお父様の方が遥かに熟練しているのだから。


(意識を移してる間に殺されることもありえる。お願いレネ、うちに居て……!)


 祈るような気持ちで屋敷の敷地内へと入り、高度を下げて人の姿を探す。

 玄関先に人影はない。

 ただ停まっている馬車があったので夫人が来ているのは確実だ。安堵したが心配し憔悴したお母様を夫人が支えているとしたら、レネも同じ部屋に待機させられているかも。

 しかしこの姿では中にはそう簡単には入れない。

 まずは居場所の確認をしよう。それなら窓だ。

 そう壁に沿って飛ぼうとしたところで――お母様たちの部屋の隣、私の部屋の窓が開いていることに気がついた。


(そんな、まさか……)


 その窓から顔を覗かせていたのはレネだった。間違いない。

 しかもこちらの姿を見つけると両手を広げて呼んだのだ。ヘルガ、と私の名前を。

 不覚にも泣きそうになりながらその腕の中へ飛び込み、勢い余って胸元に張り付いた私をレネは優しく撫でる。人間の姿ならハグをしていたかもしれない。

 それくらい強い安堵感にほっとしたのも束の間、慌てて足に結えた金髪を見せるとレネは笑って「身分証明書のつもり?」と返した。


「そんなことしなくても君だってわかるよ。……探しに行くのを禁じられてしまってね、でもヘルガを待っていたいからと言って部屋に通してもらったんだ」


 そして待ってた、とレネは言った。

 レネはしばらく前に我が家に到着し、お母様とお姉様から私がいなくなったことを知ったそうだ。そしてそのシチュエーションから、事情を知っている彼はお父様が私を監禁していると察したらしい。

 もし拘束されているなら、私の持つ連絡手段で最も有効なのはこの方法だろう。だからむやみに外へ出て探し回るより、お互いが知っている場所で待とうと思ったそうだ。

 なんて機転が利くんだろう。

 おかげでお母様たちに気づかれずに接触できた。レネの大人びた部分に感謝していると彼が真剣な顔で問う。


「君は……こんなことになってもまだ穏便に済ませたいんだよね?」


 その気持ちは変わらない。

 こくりと頷くとレネは「わかった」と頷き返した。

「通報して駆けつけるのは簡単だ。でもそうすると君の父親は説得の機会もなく捕まってしまう。……僕を案内してくれないか、当初の予定通り――」

 レネはコウモリになった私の小さな頭を人差し指で撫でながら言った。


「説得作戦を決行しよう」


 どれだけ甘い考えでも、すでにやると決めたんだから。

 そうレネは笑ってくれる。

 ああ、巻き込みたくないな。

 でもこの子は……この人は今更私が手を切ったって自分から何としてでも繋ぎにくる人だ。独断で動いてとんでもないことをする気がする。だってアルバボロスだもの。


 最後まで巻き込んで、そして沢山お礼を言って謝ろう。

 改めてそう決意しながら、私は久しぶりに心からほっとした。

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