第23話 なにがどうなっても

 一回のノック。

 つまりレネがお父様を見つけ、足止めに向かう前に私へ合図をしてくれたもの。


(本棚で少し時間を食ったけど想定内だったはず……)


 想定はしていたけれど、こんなにも早く戻ってくるとは思わなかった。

 剣技の練習中にどこか傷めたのかしら。


 兎にも角にも早く部屋から撤収しなくちゃならない。

 逃走ルートは窓。このまま部屋の中に隠れるという手もあるけど悪手だわ。

 もし訓練中に一時的に部屋へと戻ってきただけでなければ、お父様の仕事が終わるまでずっと隠れ続けることになるもの。

 運良く見つからずに済んでも、私の姿が見当たらないことに気がついたメイドたちが騒いでしまうかも。


 早々に出ていって「かくれんぼしてました!」と誤魔化す作戦も考えたけれど……これは窓を開けられなかった時の最終手段ね。


(動かしたものは全部元に戻したわね……OK!)


 しっかりと最終確認してから私は窓へと向かう。

 少し高いものの、乗り越えてジャンプすれば屋敷の裏手へ出られる距離だ。

 スカートを引っ掛けないか少し心配だったけれど、その時は遊んでて引っ掛けたってことにしましょう。


「っとう!」


 幸い窓に鍵はかかっていなかったため、ノックから最終確認をして飛び降りるまで二分もかからなかった。我ながら迅速だ。


 そう思っていたのだけれど――これは凡ミスだわ!

 外からだと窓が閉められない!


 お父様の部屋の窓は外開きではなく上に持ち上げるタイプ。

 要するに上げ下げ窓と呼ばれるもので、子供だと外に出てしまうと手が届かない。

 もし手頃な木の枝があっても少し力が必要なため、音をさせずに上手く閉められるかわからなかった。

 窓から即逃げるところまではあらかじめ決めておいたのに、細かなところを見落としていたわ。


「……! 細かな作業がどこまで出来るかわからないけど……ヘラ!」


 私はヘラに窓を閉めてもらおうと指示をする。

 ヘラは賢いけれど足が人間ほど器用なわけではないので、きちんと閉められるかどうかは賭けだった。

 しかも元が影なせいか本物の鳥より軽い。

 つまり自重で閉めるというより、的確に足を引っ掛けて下へ引っ張るよう指示しなくてはならない。


 意識を移せばもう少し簡単なんだろうけれど、窓を閉められないままここに倒れているのを見つけられたらそれこそ大変だわ。


(二回試してダメなら窓はこのままにして離脱ね。お父様がうっかり閉め忘れたと思い込んでくれることを祈るしかないわ……。頑張って、ヘラ……!)


 そうハラハラと見守っていると、ヘラは何食わぬ顔で窓を閉めた。

 しかも極力音が出ないよう丁寧に。


 ――私、この子の評価を正確にできてなかったかも。


 これからはただ連れ歩くだけでなく、なにが出来てなにが出来ないのかちゃんとひとつひとつ確かめなきゃ。

 そう心に決めながら、私がその場から走り出したのと……部屋の中からドアの開く音がしたのは同時だった。


     ***


 ――十数分後、再び私の自室にて。


 レネと一緒にいないことを指摘されないよう隠れながら廊下を進み、ようやく辿り着いた自室の中でレネは待機していた。

 なんでもお父様が部屋に戻ろうとしているのを見つけ、お手洗いを借りたら帰り道がわからなくなった……というていで話しかけて足止めしてくれたらしい。


 手筈通りだったけれど、お父様は私の部屋に案内するのではなく道順を教えるだけに留まり、時間稼ぎとしては失敗だったとレネは視線を落とした。

 教えられたからには他の場所をうろついていては怪しまれる。

 そのため一旦部屋に戻り、数分経っても私が戻らない場合はロジェッタ夫人のところへ向かうふりをして探そうと考えてくれていたそうだ。


「慎重に進んでたせいですぐに戻れなくてごめんね」

「大丈夫、僕が心配性なだけだよ。それより……鍵は見つかった?」


 お互いに報告はしたものの、肝心の鍵と手紙についてはまだ話していなかった。

 なんとなく、改めて口に出すことで事実が確定してしまうようで怖かったのかもしれない。

 しかし現実だ。

 そしてそれと向き合わなくちゃならない。時間がないなら尚のこと。


 まだこの世界に生まれ直して前世の半分も生きていないけれど、現実と向き合うのはもう飽きるほどしたじゃない。

 ここで目を逸らしてても何の得にもならないわ。

 私はレネをしっかりと見つめると口を開いた。


「……鍵は見つかったわ。そして新しい手紙も確認できた」

「!」

「計画実行は三日後らしいわ」

「三日……」


 レネは険しい表情を浮かべ、自分を落ち着かせるためなのかゆっくりと息を吐くとこちらを見る。


「思っていたより急だけど……ヘルガ、穏便に済ませたいっていう気持ちは今も変わらないんだね?」

「ええ」

「父親の気持ちを推し量れる情報はあった?」

「手紙から読み取れたのはお父様が実行時期の前倒しを嫌がっていたことだけよ。お父様からの返事は結局見つからなかった。拒んでいるのは色んな理由が浮かんだし、その中には楽観視できないものも含まれてるけど……」


 私を殺す。

 その前提は揺らがないまま前倒しを拒む理由なんていくらでもある。

 けれど何度も拒んでいる様子を感じ取っている間に、私はお父様が本当に嫌がっていることに賭けたくなってきた。そうレネに包み隠さず伝える。


「だから……当日を迎える前にお父様を説得してみようと思うの」

「今なら手紙を持って誰かに助けを求めれば匿ってもらえるのに?」

「そうよ。……それ、やろうと思えば見つけた初日にできたけど、ずっとずっと嫌だったの。一番初めに『やりたくない』って思ったことだから。だって……」


 私は瞼の裏にお父様の顔を思い浮かべる。


「――やっぱり、なにがどうなってもお父様が大切だもの」


 子煩悩で、うっかりやで、優しくて。

 目立たないけど仕事だってよくできるし、お姉様を探す時も本心から協力してくれた。そして心配もしてくれた。


 もしそれが偽りだったとしても、私は本物だって受け取ったわ。

 偽りだと言い張る本人に本物だって証明できるくらいそう思ってる。

 遅かれ早かれ説得は必要だと思っていたから、それが少し早まったくらいで怖気づきたくない。


 レネはしばらく薄紫色の瞳でこちらを見た後、目元を少し緩めると頷いた。


「じゃあ明日は準備に充てて、決行日に説得しよう。もし心が揺らいでるなら当日ほど嫌なものはないだろうしね」

「……! ええ!」

「連続になるけど、その日は僕もまたここへ来れるようにするよ」


 たっぷりと子供らしく駄々をこねてね、とレネは笑うとウインクする。

 手紙を見てからずっと張りつめていたけれど――やっと心からホッとできた気がした。

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