君の手を

 さくらが家を出てからさらに数年が経過した。

 激しい雨の中、達樹は岐路についていた。

 それはほんの偶然だった。

 普段は見上げることのない歩道橋を不意に見上げると、そこに見覚えのある顔の女性が歩いていた。

「さくら!」

 達樹は歩道橋を駆け上がった。

「ちょ……何よ!」

「さくら、お父さんもお母さんも、心配していたんだよ、連絡くらい……」

「放してよ!」

 さくらは歩道橋を駆け下りた。

 その直後、背後からゴトンと音がして振り返ったさくらは青ざめた。

「お父さん?」

 達樹は足を滑らせて頭をぶつけていた。


 達樹は打ちどころが悪かったらしく、脳出血を起こしていた。

 辛うじて一命をとりとめたものの、達樹は、半身不随になってしまった。

 病床で眠る達樹のもとに、百合が訪れた。

「達樹さん、さくらの連絡先、ゲットしておきましたよ」

「うん」

「会社の方が、障がい者枠での再雇用も検討してくださるっておっしゃってましたよ」

「うん」

「ふて寝しているだけじゃ、動くようにはなりませんよ」

「うん」

「さ、一緒にリハビリしますよ!」

 百合は達樹がかぶっていた布団をはがすと、達樹を起こした。

「さあ、私の手を取って!」

 言われるままに達樹が百合の手を取ると、ぐいっと引き起こされた。

「お付き合いしますから、一緒にリハビリしますよ」

 それからというもの、百合に手を取られて、一緒にリハビリをする日々が続いた。

 手をつなぐなど、何年ぶりだろうと思っていると、同じことを考えていたのか、百合が話し始めた。

「最初に手をつないだのは、まだ、お互い顔を知っている程度の頃でしたね」

「ああ、僕が、電車の中で気分が悪くなったのに百合さんが気づいてくれたんだったね」

「あなたを電車から降ろすのに必死で、思わず手をつないでいたことに気づいてお互い真っ赤になりましたね」

「あれがきっかけで、僕は、百合さんのことが好きになったんだよ」

 達樹は二人の日々を思い起こしていた。

 電車の中で見かける美人という存在だった百合が近く感じられ、食事やデートに誘い、何度もアタックして恋人同士になれたこと。

 思えば、恋人になることを渋ったのも、きっと、百合の事情があってのことだったのだろう。

 そして、達樹は明確に思い出した。

 百合が今でもおびえ続けている病気のことを。

 こうして手をつないでいられる日々も、終わりが来てしまうかもしれないことを。

 達樹は、百合の手を握りしめた。

「百合さん、いつも、ありがとうね」

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