第5章 僕は、チカラになりたい。9

 駅前の混雑を抜けると、まもなく僕は湾岸へと続く大きな国道へと出た。

 あとは、この道をまっすぐ進めば、○○の倉庫街にたどり着けるはずだ。

 

 ○○港まで8㎞


 そう書かれた交通標識を通り過ぎた。

 自分の足なら、あと30分はかかるか……。

 

 ――急げ! 


 自分に言い聞かせる。

 

 かなりのハイペースのためか、すでに口の中には鉄の匂いが広がり、肺が燃えるように熱い。途中でタクシーが捕まればとも思っていたが、港へ向かう側の車線には空車が現れる気配はなかった。と、走りへの集中が逸れた瞬間。


 足が絡まり、盛大に前につんのめり、アスファルトに膝を打った!


 ジャージが破け、膝に擦過傷さっかしょうができ、血がにじんだ。

 それでも無理やり立ち上がると、膝に刺すような痛みが走った。


「ちきしょう……ちきしょ――!」


 再び、僕は誰にともなく叫んだ!

 叫べば余計疲れるとわかっているのに、叫ばずにはいられなかった。


 結局、いつもこうなんだ……。

 いつだって……なにをやったって……うまくいかなくて……。


『――小2で両親を失いました。親戚の家をたらい回しにされました。正直、親族の厄介者でした。小学校で虐められました。中学でも虐められました。幼い頃から尊厳を踏みにじられ、はずかしめを受け続けてきました。命の危機すら感じたことがありました。助けてくれる大人は、いませんでした。いや、助けを求めること自体ができなかったのです。親友はおろか、ひとりの友達もいませんでした。常に孤独で、ずっとひとりぼっちでした。いっそ死のうと思ったことは、一度や二度ではありません。でも、死ぬ勇気もありませんでした。しょうがない。仕方ない。すべては宿命。運命だとあきらめてきました。あきらめてしまえば、少し楽になれる気がしたからです。でも、いつだって心は渇いていて、本当は人のぬくもりや愛情に飢えていました。だが、そのことはひた隠しにし、偽りの心の安定を求め、生きたいと願ったひとりの少年がいました』


 えっ? 伊達さん、今の話って僕の……。

 

 予想外の自分の辛かった過去の語りに、思わず視界がぼやけ、鼻奥がツーンとなった。


 なぜ、今、こんな話を……?  

 

 混乱する頭に、さらに伊達さんの言葉が流れてくる。


『――そんな少年が一ヶ月ほど前、運命や宿命というものに人生で初めて抗いました。もう虐められたくない。変わりたい。強くなりたい。それは、ずっと自分の心をごまかし、ひた隠しにしてきた少年の本心が初めて発露した瞬間でもありました。やって来たのは、虎の穴。そこには、恐ろしい赤鬼がいました。強くなるためには、赤鬼に喰らいついていかなくてはならない。それなのに、最初は、まともに鬼の目も見られませんでした。腕立てや腹筋はおろか、ただ走ることすら、できませんでした。一言で言えば、抗う以前の問題。マイナスもマイナスからのスタートでした。それでも、少年は怖い怖い虎の穴に通い続けました。地獄のような日々でした。同時に、挑戦の日々でした。赤鬼との闘いというより、弱い自分自身との闘いの日々でした。毎日毎日、本当に少しずつ、腕立てや腹筋の回数を増やしてきいきました。最初は歩くこともやっとだったロードワークも、早歩きに変わり、ジョギングに変わり、最終的には距離を倍にしてのランニングへと変えました。また、その過程で、初めて自分を応援してくれる人々に出会いました。彼らはなんの見返りも求めず少年を励まし、時に叱咤し、ともに高みを目指そうとやさしく声をかけてくれました。メシを作ってくれました。そして、一緒に食べてくれました。いつしか、ほとんど笑うことのなかった少年の顔に、笑顔も見られるようになりました。不思議なもので、人とのつながりを感じられると、もっとがんばろうと思えました。少年は、加速度的に成長を遂げていきました。だらけきっていた体も、すっかり力強く、しなやかに少年らしく躍動するように一変しました』


 その実況に、虎の穴での日々が走馬灯のように甦った。

 苦しくて、体中が悲鳴を上げて、もがき苦しんだ日々。

 でも、自分が変わっていくことも実感し、それに喜びを感じていた日々。


 たしかに、僕はこの一ヶ月で変わったのだ。改めて、実感できていた。


 ――ほら、今だって。

 

 こんなに苦しいのに、なんとか立ち上がれる!

 いつのまにか、僕は伊達さんの言葉に鼓舞されていた。


『私は、その少年の汗を、涙を、努力を、その一部始終を目撃し続けてきたわけであります。少年は、自らの限界を超え努力することで、初めて自らの運命に抗おうとしたのであります。だから……だからこそ――』


 ここで一瞬、言葉が途切れた。


『――あんなにがんばった少年が、報われないなんておかしいだろうが――っ!』


 伊達さんのその声は、ほとんど絶叫だった。


『さあ行け、乙幡剛! ついに君の人生で、君自身が主人公になる瞬間が来たんだ! 今こそ! 今こそ!! 大切な人を守るヒーローになるんだっ! 君にはその資格がある!! もう虐められ、虐げられていた頃の君じゃない! 君は過去の自分に打ち勝つことで変わったんだ! 変われたんだ!! 今の君は、君の想像以上にスゴいヤツなんだ! それは、この伊達一郎が保証する! だから、走れ! 走れ!! 乙幡剛‼』

 

 僕はその声に呼応するように唇を噛み締め、もう限界に近い太ももを両手で張り、改めて駆け出した。


「うぉ――――――――――――!」


 そして僕は自分を鼓舞するよう叫びを上げ、さらに加速した。

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